ものづくりあれこれ

ものづくりで毎日を楽しもう!

山形県へのドライブ

2016年10月18日 16時27分21秒 | 旅行

鶴岡市生まれの作家藤沢周平記念館へ行く。

10月15日、久しぶりの予定のない休日でした。
そろそろ紅葉もはじまっているかもと、早朝、会津方面へ車を走らせることにしました。
ラーメン好きな夫が、喜多方へ行ってみようと提案したのです。

朝の冷気は車のフロントガラスを凍らせていました。
福島の山岳地帯を走り抜けるときは、あちこち深い朝もやでした。
こんな日は、お天気が良くなる傾向なのです。
思った通り、日が昇ると快晴で絶好のドライブ日和。

喜多方市へ着くと、朝の8時過ぎ。
まだラーメンには早すぎるなと、山形県米沢市まで行ってみることになりました。
私は、日本国内旅行で、新潟・山形・秋田の3県にはまだ一度も行ったことがありません。
山形県へ行けると思うとうれしくなってきました。

米沢市上杉神社あたりへ行くことにしました。
館山城跡には、伝国の杜と名付けられたところにとても近代的な米沢市立上杉博物館がありました。
米沢の地にゆかりの深い伊達氏と上杉氏の歴史を比較分析して、わかりやすく展示されていました。
古くは、伊達氏の支配下にあった米沢ですが、豊臣政権の仕置で伊達は仙台へ行かされ、後に上杉の支配下となりました。
米沢藩は、江戸時代になり財政の貧困に苦しみ、上杉家当主がさまざまな土地の開拓や産業を起こし、その苦難を乗り越えたのです。

館内に、山形県の情報が展示されていてその中に、鶴岡市にある藤沢周平記念館の案内がありました。
夫にすすめられて最近、藤沢周平の時代小説を読むようになりました。
映画やドラマでも時々見ることがあります。
その作風がしみじみとして歯切れよく、登場人物の人情や人間らしさに引き付けられます。
鶴岡市までは、2時間余り、道中は長い。
ここまで来たのなら、行ってみようと決めました。
山形自動車道は、高い山々の合間を縫うように走ります。
深い谷や美しい山並みを走るのはとても快適でした。
広い庄内平野を走り、最上川を横切りました。

ようやく鶴岡市に着いたのは、午後2時。
喜多方ラーメンではなくて、いりこ出汁の効いた山形ラーメン。
ようやくありついたラーメンはとても美味しく、もう一度食べたくなる味でした。

鶴岡城跡にある藤沢周平記念館をじっくりと見て、遠路訪ねてきてよかったねと夫と話しました。
山形県に今も大切に残されている歴史が、藤沢周平の小説の根幹にある人間観や歴史観を育てたのだと思います。
帰ったら、また藤沢周平の小説をいろいろ読みたいなと思いました。
初めての山形県を急ぎ足で走りぬけた感じです。
またいつか、ゆっくりと旅したいなと思います。

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種差海岸へ行く

2016年08月05日 17時56分20秒 | 旅行

青森県八戸市にある種差(たねさし)海岸。

福島から北へ。
宮城県から岩手県を経て、青森県への自動車旅行。
八戸へはじめて行きました。
子どもの頃から、本州の北の果て、りんごの生産日本一の青森県に何故かあこがれがありました。

東北道を北上し、奥羽山脈を走り抜けて八戸インターへ。
まさに森の国でした。
青々とした森が続く景色に感動。
青森県は、海も山も素晴らしい自然に囲まれた県です。

八戸はとても広く、食の豊かな地です。
海の幸や山の幸にあふれています。

八戸市の南、太平洋に面した海岸線は、三陸海岸。
東北大震災に大きな被害を受けたところです。
JR八戸線下りに乗って鮫駅でおりました。
そこからワンコイン(100円)で乗れる遊覧バスが出ています。
美しい海岸線をバスに揺られて種差海岸まで行きました。


岬は荒波にもまれた岩場。


大須賀海岸に続く松林。広い砂浜。

大須賀海岸は、美しい砂浜ですが遊泳禁止区域。
その先に白浜海水浴場があり、若者たちが下車、にぎわっているようです。
この浜辺一帯は、海沿いに遊歩道が整備されています。
時おり、リュックを背負ってウォーキングする人が見られました。



種差海岸には、広い広い一面の芝が広がっています。
海からの爽やかな風に吹かれ、どこまでも続く緑の上を歩くのはとても気持ちよかった。
この芝原は、昔は馬の運動場だったようです。
今では、馬も減りボランティアの人たちにより草刈りでこの美しさを保っているとのことでした。


三陸復興国立公園のポスターより。

種差海岸は、美しい海岸線で昔からの景勝地でした。
震災の影響を受け、復興を目指して新しくインフォメーションセンターや無料休憩所ができていました。
ここ三陸海岸一帯は、「三陸復興国立公園」に指定されているとのことです。
「みちのく潮風トレイル」といって、福島県から続く海岸線を青森のこの地まで歩いて旅しようという提唱されています。
道は、人が歩いて道になります。
歩きながら東北の美しい自然や人と出会い、一緒に歩いて東北の復興を見守ろう。
素晴らしい思いつきですね。




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つつじの季節

2016年05月04日 11時32分30秒 | 旅行
  
  樹齢800年と推定される勾当内侍遺愛(こうとうないしいあい)のつつじ。

先日、お世話になっている方に連れられて、館林つつじが岡公園へ行ってきました。
福島県から栃木県を通り越し、はるか群馬県館林市までのドライブ旅行。
館林市にあるつつじが岡公園は、江戸時代から多くの人々の力で大事に守られてきたそうです。
数メートルもあるつつじの大樹が数多く植えられて、今も美しく咲き誇っている様は、絶景です。

  
  見上げるような立派な赤いつつじの木。

つつじがこんなに長寿で大きく育つとは初めて知りました。
たくさんの美しいつつじたちに囲まれて至福の時間を過ごす事ができました。
写真で撮りきれないほど多種多様で見事です。

  
  山つつじに似た控えめな花も好きです。

その後、あしかがフラワーパークにもつれていってもらい、藤の花の美しく壮大な景観に圧倒されました。
世界にも誇れる日本庭園や花々に囲まれて、心行くまでゆったりと過ごした春の一日でした。

さて、我が家にも遅ればせながら、清楚なつつじの季節がやってきました。
福島は関東より春の訪れが遅いのです。
庭のささやかなつつじを載せてみましょう。

  
  
5年余り放置されてきた庭です。
雑木を取り除き、つつじを残しました。
痩せて細い木々ばかりですが、夏の間、手入れして元気にしてやりたいなと思っています。
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高松市内を歩く

2016年01月14日 13時34分39秒 | 旅行
高松市内の商店街にあった果物屋さんで見つけた「さぬき紅」のみかん。
紅いみかんとは、とっても珍しかったので、おみやげに買ってきた。

 

香川県は、年間の降雨量が少ないことで知られている。
それが幸いしてか、香川産のみかんは、とても甘いそうだ。
この紅いみかんは、昭和47年、ある農家の畑のみかんの一枝に、突然実を付けたそうだ。
20年間、農業試験場で研究され、栽培が可能になったとのこと。
この品種の実から、見かけや糖度など厳選されたもののみを「さぬき紅」とブランド化して販売しているという。
食べてみると、一粒一粒がジューシーで甘くとても美味しい。
開発の苦心のほどがうかがえる。

 ★ ☆ ★
 

今回の旅行では、高松市内にあるホテルに2泊した。
「菊池寛通り」から一歩商店街の中に入ったところにあった。

菊池寛といえば、戯曲「父帰る」でよく知られている。
中学校時代、2級上の先輩たちが、この劇を上手に演じていたのをよく覚えている。
当時としては珍しくテレビ局の取材が来て、テレビ放映されたのだった。

菊池寛は、この高松の生まれ。
菊池寛記念館があることを知り、是非訪ねてみたいと思った。

高松市は、北に瀬戸内海に望む高松港がある。
たくさんの瀬戸の島々を持つ県である。
南北に大きな通りが3本、東から「フェリー通り」「中央通り」「県庁前通り」とある。
東西には、北から「県庁北通り」「菊池寛通り」「観光通り」と大きな通りがある。
その道路をつなぐようにアーケード街が縦横に通っている。

「高松市中央図書館・菊池寛記念館・高松市歴史博物館」と表示された看板を見ながら、中央通りの五番町交差点から高松市役所前を通り、ひたすら西に向かって歩いていった。
繁華街を離れ、街並みは人通りも少なく静か。
歩道は広く、自転車道と歩道がきちんと区切られ、とても歩きやすかった。
ずんずん行くと、香川大学の巨大なキャンパスが見えた。
さらに歩く。初めての場所は、何と長く感じることか。

20分は歩いただろうか、何やらきらきらと光る総ガラス張りの大きな建物が見えた。
それは四階建て建築物で、サンクリスタル高松と呼ばれていた。
1・2階は中央図書館、3階に菊池寛記念館、4階が歴史博物館となっている。
近代的な文化施設をねらったのだろうが、周囲の景観とあまりに異質で戸惑う。
しかし中味は充実し、落ち着いた学びの場となっていたと思う。


菊池寛記念館では、1時間かけてゆっくりと展示された資料を鑑賞し、菊池寛について学ぶことができた。
菊池寛は、ヒューマニストであり「生活者の文学」を貫いた。
さらに、作家以外の活動でも、長く現代まで大きな影響を与えた人だ。
文藝春秋社の設立から「芥川賞・直木賞」「菊池寛賞」の設立、著作権擁護、作家の地位向上など、多くの業績を残していることを初めて知った。

作品では、戯曲に焦点を当て、実際の舞台づくりや後に映画(映像化)製作にも関わっている。
大映社長となっていた頃の写真もあり、驚いた。
演劇や映画を通して、文学を大衆文化へと近づけたことが、成功へとつながったようだ。

私生活では、29歳で妻包子と結婚した。
写真を見て結婚を決めたそうだが、この結婚は、我が人生のなかの成功の一つだと話していた。
結婚当初に買ってもらった金縁眼鏡を大事にしていたようだ。

また、競馬の大ファンで競走馬を持っていたとのこと。
学生時代の懸賞作文で入選した時にもらった双眼鏡を使って、競馬の応援に熱中していたとかで、その双眼鏡も展示されていた。
なかなか面白い人だと思う。

芥川龍之介や直木三十五を友として、親しく交流があった。
そのほか、文学を通して過去から現代まで、多くの人とつながっている。
この記念館は、その人となりや功績がていねいに展示されていて、行ってよかったと思う。








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東京から瀬戸内海の小島へ行く

2016年01月11日 22時33分55秒 | 旅行
これは、瀬戸内海に浮かぶ小さな島々を訪れた時のお話です。

 
  
この写真は、香川県高松市の男木島港から見える女木島を写したところです。
輝く海と空がとても美しい。

この島を目指して、東京の八王子インターから高速道に乗り、10時間余りをかけて香川県高松市まで車を走らせました。
もちろん、夫の運転です。
飛ぶような高速運転は、私には自信がありませんから。
助手席で、高速道路の進路変更をナビするのが私の役目です。

早朝、午前2時35分に家を出て、高松市に到着したのがお昼の12時10分。
長い長い、ハラハラドキドキ、でも楽しいドライブとなりました。
途中、伊勢湾岸道路の分岐点で迷って一般道路へ出てしまうというハプニングもありました。
1時間のロスタイムがありましたが、無事に目的地へ着きました。

中央自動車道 → 東名高速道 → 新東名高速道 → 東名高速道 → 伊勢湾岸自動車道 → 東名阪自動車道 → 新名神高速道 → 名神高速道 → 中国自動車道 → 山陽自動車道 → 神戸淡路鳴門自動車道 

明石海峡大橋を通って淡路島に渡り、島を縦断します。
さらに、鳴門大橋を通って徳島県に渡ります。
あいにくの曇り空でしたが、初めての淡路島は、大きく広い美しい島でした。


 鳴門大橋を通る。

以前、瀬戸大橋やしまなみ海道を渡って四国に旅したことがあります。
今回、明石海峡大橋や鳴門大橋を初めて通り、その便利さや雄大な景色が素晴らしく感じられました。
橋は、島と島を結び、人の行き来を盛んにし、多くの文化の交流が行われます。
自動車往来の文化の発展はめざましいものです。


でも、小さな離島には、橋がかかりません。
その不便さからか、どんどん人が都会へと流出し、深刻な過疎に悩んでいるのでした。

高松市からフェリー船で20分のところに女木島があります。
瀬戸内海の美しい海と大小の島々が見渡せるいいところです。

  
  桟橋から対岸に屋島が見える。
  (※小豆島と思っていたら違っていたので、訂正します。)

フェリーボートで海を渡るときのゆったりと落ち着いた雰囲気は、私の生まれ故郷と同じでした。
島で生まれ、小中学校時代を過ごし、高校・大学では、街の学校へ通ったことが思い出されました。

今思うと、飛ぶように走る自動車にくらべ、ゆっくりとしたフェリーに乗ってあれこれ思いながら過ごす時間は、とても大切な時間でした。
人にとって、ゆったりとした時間の流れは、こころを豊かに取り戻すことのできる必要不可欠なもの。現代の時間を競う風潮は、人のこころを追い詰めるのです。

  
  「めおん2」という名のフェリー。


島の道をたどって歩いてきました。
ゴミのないきれいな道でした。
道路で出会う人にあいさつすると気さくに答えてくれました。
しかし、集落のあちこちで見かける廃屋は、過疎の現実をひしひしと感じさせるものでした。

山のふもとにある神社や海岸にある神社は、とてもきれいに手入れされ、島の人々に守られていることがうかがえました。
今でも伝統的な祭礼が大事にされているのです。

  

急な坂道を歩いて登るのは、大変でした。
それでも、山の上から眺める景色は、とても美しいものでした。

  

その後、フェリーに乗って男木島に行きました。
女木島と並んで浮かぶ男木島は、石垣に築かれたひしめく家々が印象的でした。

  


高松市は、近代化された大きな街です。
その街から、ほんの少しはなれたところに、美しい自然に囲まれた島があるというのは、貴重です。
もっと大切にされていいのではないかと思いました。

私は、田舎から街へ引っ越しました。
街での生活は、ものに溢れ、便利で豊かです。
文化的な情報や学びの場もたくさんあります。
働いて安定した収入さえあれば、とても暮らしやすいでしょう。

けれども、終の棲家は、大自然に囲まれて自然の恵みを感じながら、生計を立ててみたい。
先日お会いした小学校の恩師が、「今は地球をけずりながら生きています。」と話していました。
私も、山や海のあるところで、土を耕しながら生きてみたい。
どこに住んでも、生きることは力いっぱいです。
けっして手を休めることは出来ません。



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