ものづくりあれこれ

ものづくりで毎日を楽しもう!

鎌倉へ

2015年11月22日 21時26分57秒 | 旅行

 大仏様の美しいお姿に心が洗われる。

かつて勤務していた仕事場で親しかった友人が、東京に訪ねて来てくれた。
月に一度か二度、仕事を終えて、その友人と近くにあった日本庭園のあるレストランで食事をしながらいろんな話をするのを何よりの楽しみにしていたのだ。二人とも人に言えないような悩みを持っていた。何でも話せて聞き合えるいい友人であった。

いつか旅行に行こうね、と話していたが、今回初めて実現した。どこがいい?と訊ねると、鎌倉へ行きたいというのが彼女の希望だ。二人してのんびり屋、はたしてうまく旅立てるやら?

案の定、東京駅構内で待ち合わせたが、新幹線出口が分からず、出会えないまま、行き違い、30分あまり電話でやり取りしながら、ようやく出会うことが出来た。やれやれ。私にとっても東京駅は、1年半たった今でも良く理解できていない。友人にとっては、なおさらのことだったろう。


私は、40年くらい前、鎌倉へ来たことがある。鎌倉は、京都と違って少し落ち着いた街で、歴史も古く、木々に囲まれたお寺は、何となく心休まる雰囲気を持っている。

旅慣れしていない私を気遣って、数日前から夫が北鎌倉はどうだろうかと、丁寧に行程表を考えてくれていた。それを参考に友人と二人、JR北鎌倉駅に降りたった。

北鎌倉の鎌倉五山のお寺を回っている途中、友人が鎌倉の大仏様を見に行きたいと言い出した。大仏様は、南の長谷寺の近くにある。バスに乗って行くことにした。

さすがに人気の大仏様。境内は観光客でにぎやかだ。どっしりとやや下向き加減に座っておられた。友人は「ハンサムな大仏様にお会いできてよかったわ!」ととても喜んでいた。
大仏様の横に入口があり、胎内見学ができる。料金は20円。小さな通路を入ると、中は窓があり、大きな空洞ができていた。たくさんの金属片を張り合わせ巨大な仏像を作った手順を説明してあった。

その近くに、大きな藁草履が飾ってあった。

 

有志が製作して寄贈したらしい。かなり大きな草履であったが、大仏様は履けるのかな?小さいんじゃないかな?と思ったりした。
大仏様にこんな贈り物を考えるなんて、ほのぼの心温まる気がした。

友人とふたり大仏様の前で記念写真を撮ってもらった。いい思い出ができてよかった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

美ら海水族館へ

2015年10月24日 14時04分42秒 | 旅行
ジンベイザメを下から見上げました。
 

透明なトンネルの中から見上げたジンベイザメの幅広の白い腹がゆっくり頭の上を通り過ぎていきました。
美ら海(ちゅらうみ)水族館で一番見たかったのは、ジンベイザメとその設備でした。透明水槽は、とにかく巨大です。

 
 水槽をライトアップ。見物人達のシルエットの先には、悠々と魚達が泳いでいていつまでも見飽きないのです。

この水槽は、特殊加工技術を持っている企業が設置したそうです。何層にも張り合わせた水槽の厚みは、なんと1メートル!だそうです。どこにも境界線が見当たりません。今、この技術を世界に輸出しているとのことでした。ジンベイザメは、立ち泳ぎでえさを採ります。だから、ジンベイザメを飼うには、深い水槽が必要なのです。

この水族館は、美しい海に面した海岸を公園とし、水族館はその中に建っています。施設全体の設計が広々として、いくつもの通り道は、散策も楽しめます。いろんな催し物や遊び場・野外水槽にいる生き物などを自由に見学して楽しめるのです。子どもは大喜びでしょうね。迷子になりそうです。
駐車場を含めすべて無料で、バスや乗用車の収容面積も充分にあり、広い園内を存分に楽しめます。水族館の建物の中のみ有料なのです。南洋の草花や木々も豊富で、時間さえあれば、一日中でもそこで遊べます。

  
 でっかいガジュマルの木の下で記念写真。

旅という非日常は、いいものです。家を離れ見知らぬ地を訪ねて回ると、今までの浅い知識や想像を大きく超えた感動に出会えます。
「本物」を見ることが出来ました。

今回の沖縄への旅は、始まったばかり。また、これから先、何度でも来てみたいな、と思います。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

沖縄本島への旅

2015年10月23日 21時32分02秒 | 旅行
  
  読谷(ヨミタン)村にある残波岬から見える海。

4泊5日の沖縄旅行をしました。夫と二人の旅でした。夫と出会って2年余りですが、出会った時から、沖縄に行こうね!と何度も話していたのです。
以前、仕事の関係で30回以上も訪問したとか、沖縄事情に詳しいのです。

私は、新任の頃、職場の先輩達と沖縄に旅行に行きました。それ以来、40年ぶり。
今回は、地図を片手に、沖縄本島をレンタカーで走りぬけたという訳です。那覇市から中北部の名護市、美ら海(ちゅらうみ)水族館のある本部町までのドライブでした。

  
  ようやく見えた海。車中からの写真。海沿いの国道58号線。

  
  中城(ナカグスク)城跡に登り、そこから眺めた海。

ドライブマップを見ながら、今どこだ?の連続でした。なんと言っても、地名の読み方が変わっているのです。道路標識と地図を見比べながら、一生懸命に覚えました。でも、覚えきれなかったけれど。

沖縄本島は、とても広い。三日間では回りきれません。的をしぼって走りました。夫の案内の中には、必ずうまいものが食べられるところが入っています。

名護市にある沖縄そば屋さんへ行きました。沖縄そばは初めて食べました。しこしこと歯ごたえがあって、出汁は、昆布だしであっさりといい味でした。ソーキそばと言って、豚の角煮が入っていて、何度でも食べたくなる味でした。
そば屋さんの近くに、名護市役所がありました。風通しを考えたユニークな建物で、よく見ると、建物のあちらこちらに、たくさんのシーサーが乗っています。

  
  シーサーは、市役所を守ってる。

  
  大きな茂った葉っぱの木。日よけになって涼しいだろうな。

帰り道、読谷村を通り、残波岬に行きました。平らな台地に白い灯台がキリッと立っています。
  

そのそばは、ゴツゴツとした切り立った崖で、深く荒い海です。岩場の絶壁で、魚釣りをしている人もいました。とても流れが速く、落ちたら助からないとのことでした。覗いてみると足がすくみます。

  
  絶壁の反対側は、デコボコの岩肌が続く。

沖縄の海は、美しい浜辺も多いけれど、荒波の打ち寄せる険しい海岸線も多く見られます。自然の豊かさとたくましさや厳しさが、独自の風土を生み出してきたのでしょう。
青々とした木々の緑や花の美しさ。透き通った美しい海に出会った旅でした。

沖縄には、たくさんの城跡が残っています。沖縄の歴史については、あまり学んだことがないので、とても興味深い。お城のことを「グスク」と呼ぶとは初めて知りました。首里城ほか、いくつか世界遺産に登録されているとのこと。中城城跡に行ってみました。那覇市から西原町へ向かい、国道329号線から入ったところにありました。

  
  山の頂上に作られたお城の石垣。

  
  中城城跡の石碑。

  
  美しい石垣を見て、1580年来航したペリー艦隊は、その美しさを「ペリー遠征記」に記した。

  
  高い石垣は、精巧に美しく築かれた。

  
  遠く太平洋を望む。

城からの四方の眺めは素晴らしく、ここにかつて巨大な城があったことを想像させてくれます。琉球王朝の時代については、今まで学ぶ機会がありませんでした。日本復帰は、昭和47年、私の子ども時代には、社会の教科書で学ぶことができませんでした。立派な城構えからして、国が栄え、華やかな時代があったことでしょう。

旅日記の半分が書けました。続きは、また次回にしたいと思います。
  



  


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

田川市石炭・歴史博物館へ

2015年10月17日 18時08分22秒 | 旅行
九州への旅3日目は、「炭坑節」発祥の地、田川市を訪れた。博多から車で約1時間半、田川市伊田(いた)に石炭・歴史博物館がある。

  
  明治41年に旧三井田川鉱業所に築造。蒸気機関の排煙用。炭坑節のモデルになった。
 
♪月が出た出た 月が出た ァヨイヨイ
 
この歌詞ではじまる炭坑節は、子どもの頃から聞きなれた節だ。二本の高い高い煙突を見て、なるほど・・・・と思った。

福岡県といえば、かつて国内最大の出炭量を誇った筑豊炭田として有名。石炭の需要が激減し閉山するまで、石炭産業によって日本の近代化を大きく支えてきた。その炭鉱の歴史を後世に伝えたいと、筑豊随一の規模を誇った旧三井田川鉱業所伊田坑跡に石炭・歴史博物館を作ったのだそうだ。

  
  石炭・歴史博物館の建物。

  
  石炭の実物展示。

  
  博物館の外には、伊田竪坑櫓が残る。遠く春香岳が見える。

博物館の展示物を見ながら、炭鉱に関わった多くの労働者の生き様や、石炭発掘のあらゆる努力と苦労が身にしみるようだった。昭和30年~40年代、筑豊のヤマの灯が次々と消えていく中、山本作兵衛氏は、自らの体験をも含め、炭鉱記録画を残している。多くの人々の命がけの働きは、血と汗と涙と笑いの毎日だった。初めは手掘りから機械掘りへと移り、その働く様子や使われた道具・機械類など詳細に描き説明が加えられている。その記録画を見ていると、ずしりと重い感動が心に残る。山本作兵衛コレクションもこの博物館に展示されている。日本で初めてユネスコ世界記憶遺産に登録されたとのことである。生涯で残した作品は、1000枚を越えると言われている。

博物館には、坑内で働く姿をジオラマにして展示していた。危険で大変な重労働であったことが分かる。

  
  男女に関わらず懸命に働いた。

  
  坑内で作業する姿。

  
  ベルトコンベアで採掘した石炭を地上へ。

石炭にまじる不要な石を積み上げたボタ山が見当たらなかった。パンフレットによると、道路の補修等で使用するために崩され、今は春香岳のふもとに残っているそうだ。

  
  春香岳(手前から一の岳、二の岳、三の岳)

春香岳は、良質の石灰岩が取れるとのことで、一の岳は平らに削られて印象的だった。

旅行の最後に、田川市を訪れ、博物館で多くのことを学べてよかった。何気なく知識として見過ごしてきた歴史をこうして見直す事ができ、より身近に感じられるようになったのである。



  
  
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

九州への旅 -耶馬渓ー

2015年10月14日 08時02分58秒 | 旅行
九州への旅二日目は、大分県中津市にある耶馬渓へ。

  
  耶馬渓一帯は、ぽこぽこ飛び出した岩山が続く。

青の洞門と羅漢寺を目指して、大分道を走りました。県境の日田から峠を越えて中津市山国へ抜ける山道は、美しい景観が続き快適でした。
耶馬渓といっても広く、深耶馬渓、本耶馬渓、奥まったところには猿飛千壺峡などの美しい渓谷があり、辺り一帯国定公園となっています。

  
  青の洞門近くの遊歩道。右の山は、競秀峰。左の川は、山国川。

青の洞門は、話には聞いていましたが、訪れるのは初めてでした。険しい岩山の競秀峰。禅海和尚は、30年かけてのみと槌で隧道を切り開いたのです。

  
  右は手掘りの跡、左は現在きり開かれた隧道。

手掘りのトンネルを歩いていくと、岩肌は砂岩ででこぼこの有様が、禅海和尚の執念とも言える大仕事が目に浮かぶようです。

  
  岩肌の努力の跡。

  
  禅海和尚の石造。

トンネル中に、明るい切り窓がありました。光とりのために初めに掘った窓とのことでした。

  

青の洞門を過ぎて行くと、アーチ状の石橋がかかっています。耶馬渓橋でオランダ橋とも言うそうです。我が国唯一の8連石橋で、全長116m。
  
  
  耶馬渓橋。災害のため修復された。

この橋は、観光道路と地域の生活道路として、大いに役立っています。地域の有志が山の木材を売り、この橋の建設資金として寄付してできたのです。
橋の上から眺める川の豊かな流れは、心地よく、いつまでも眺めていていたいくらいです。

  
  山国川の川上へ向いて。

  
  山国川の川下に向いて。

遊歩道をゆっくりと回り、青の洞門の対岸からの眺めも素晴らしかった。

  
  対岸からの美しい競秀峰。
  

中津は、福澤諭吉ゆかりの地で、この耶馬渓一帯を訪れるのを楽しみにされていたとのことです。この地が競売にかけられていると知り、史跡の保存を訴えたことが功を博し、今の景勝地として残されたとのことでした。いつか、中津市にある諭吉の旧居・記念館を訪ねてみたいと思いました。

青の洞門から約2kmのところに、羅漢寺があります。延々と急な石段の山道が続き、「最後までただ登ること」。心を無心にして登っていきました。

  

大化元年に法道仙人が修行したのが始まりで、五百羅漢が安置され、山一帯の3千数百体の石仏が見事でした。岩山をくり抜いたところに本堂がありました。高い岩山からは、遠く重なる山並みが美しく見えました。

  

行ってよかったと思いました。晴天に恵まれいい旅になりました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする