三蟠鉄道研究会

今はなき岡山の三蟠軽便鉄道の歴史を探り、後世に伝承していくための活動をしています。

山陽新報に見る三蟠軽便鉄道関係記事と当時の広告

2018-07-25 11:32:15 | 新聞記事


大正12年2月28日船車連絡と小豆島霊場巡拝のご便利

来る3月1日より、土ノ庄、高松方面行連絡切符を発売し、太田運輸商会と協定の上、
京橋発本線連絡巡航船往復は之を廃止す 

賃金往復
犬島   壹円五拾二銭
土ノ庄  壹円六拾壹銭
高松   壹円六拾壹銭 



大正12年5月11国清寺東児島間船車連絡

三蟠鉄道株式会社と三蟠運輸株式会社は国清寺東児島間の船車連絡について広告しています。
寄港地は八浜、郡、北浦、飽浦、高島、宮浦、阿津、小串、番田 賃金は当分の間 大割引
としています。




大正12年5月4日高島の南海岸に海水浴場

今春、大阪市の藤田男爵から三蟠沖にある高島を市の遊園地として開放する旨の申し出があり
岡山市では土木課で同島を実測するとともに、遊園地としての諸施設設計を計画中であると
明らかにした。遊歩道を整備して約5000坪のグラウンドを設けるというもの。
また、南海岸神武寺の門前の突堤を利用して、海面約500坪を海水浴場し、
郊外鉄道、すなわち三蟠鉄道との連携を模索している内容だ。




大正12年5月20日高島の設備盛夏に備えるため今月末から着工

既報の如く市外三蟠沖の高島の所有者藤田男爵が県・市に対して開放したことで、
遊園地としての諸種の設備をなす意向なるも、岡山市は目下財政状態も厳しく、
まだ充分な施設を整えられていない状況だが、盛夏を前にして、
いよいよ今月末には着工することとなっている。
同島の廻周道路として幅員2間、延長700間その他を着工する。
このほか、三蟠軽鉄に委嘱して、約300坪の海水浴場二ヶ所を、神武寺前の突堤を利用して、
沖合いに相当の砂止めをして、内部は全て真砂と入れ替えることとしている外、
和洋両食堂・売店等にも約2万円を投じて、
この盛夏には市民のために同島を利用できるよう努力している。







昭和2年9月30日魚釣の好季来る三蟠行汽車賃大割引広告

往復賃金 40銭  期間 自10月1日   至10月31日
 但し 漁具携帯者に限る
 三蟠鉄道株式会社




昭和3年5月9日三蟠鉄道とさくら 岡山三蟠間で猛競争

自動車の発展に伴って私設鉄道の脅威を感ずることおびただしく、三蟠軽便鉄道とさくら自動車は
昨年来より、猛烈な競争をなしていたが、さくら自動車は三蟠駅から西大寺町までであるのに
軽鉄の方は国清寺駅までしか来ないので、さくら自動車のために大分客を割かれていた。
近時、さくら自動車は、児島に連絡船を設け極力地方の客引きに全力を注いでいた。

今回三蟠軽鉄においても之に対抗すべく、去月28日から三蟠駅小橋間に定期自動車を設け、
向こうを張っているが、両自動車とも11往復をなし、朝は6時から夜は11時半まで運転しており、
賃金も従来さくらは軽鉄より高かったが、これを軽鉄並みに引き下げ、同一切符を使用せしめれば、
一般乗客にとって非常に便利になった。
今後どの程度までこの競争をつづけるかが見ものである。




昭和3年9月16三蟠鉄の発展サクラ自動車を買収経営す

三蟠軽便鉄道株式会社では昨年8月サクラ自動車が創立されて以来乗客の大部分は、
これがために奪われている成績に相当の影響を及ぼしていたが、これに対抗すべく
本年4月からは自動車部を開設し互いに鎬を削っていたが、過半来から
互いに商談を進め、この程、6千円にてサクラ自動車の権利及び車両ともに譲り受け、
いよいよ14日から、これが営業を行っている。



昭和3年9月27日乗合自動車旭川に転落、昨夜三蟠軽鉄経営の三蟠発

女の運転手は重傷を 車掌と乗客6名も負傷す、昨夜三蟠発、岡山へ向かう途中
25日午後8時半頃、三蟠を発し岡山に向け疾走中、
同9時ごろ岡山市網之濱鐘紡岡山工場表門から25間程南に差し掛かった際、
高さ3間ほどの川に転落し、自動車は使用に耐えざる迄に破壊し、運転手含む
7人は軽傷を負い、直ちに弓の町石本医院で応急手術を加えたが、
運転手は目下、入院加療得中、全治3週間程を要する見込み
他は何れも大したことは無いが、打撲傷、擦過傷を負うている。
原因は東署で引続き取り調べ中



昭和4年7月10日海水浴場 今年の夏は宮道、高島、松ケ鼻の海へ
  =7月14日開場=
国清寺駅より
 高島へ   往復55銭 
 宮道へ   往復30銭
 松ケ鼻へ  往復35銭
◇毎週土曜森永キャラメルデー
              三蟠鉄道株式会社



昭和6年5月28日自動車に営業転換 三蟠鉄道の更生策

三蟠鉄道株式会社では25日午後1時より、株主総会を開き、大問題たる今後の
再建方法を如何にするか話した結果、過般重役会に於いて内定を見た如く、
国清寺網ノ濱間を岡山市に譲渡し、廃線とした駅は、現在の鉄道を廃止し、
自動車運転を行うことに成り、既に自動車営業による認可申請手続きを行ったが、
自動車は国清寺三蟠を一日約30回前後運転する予定で、車両も現在のものを
増加することとなった。
なお、・・・減資を行うことになった。