岡山日日新聞(平成21年10月24日付)の「古写真でめぐる岡山」の一面に擬洋風建築家江川三郎八」特集記事の掲載が見つかった。
記事の中には、古写真などで確認できる江川三郎八の関与した建築物の中に三蟠軽便鉄道の三蟠駅と国清寺駅舎の名前も見られます。
私としてはとても誇らしい気持ちになりました。
江川三郎八の建築物を研究されている上田恭嗣名誉教授(ノートルダ女子大女子大) が寄稿された記事でした。
岡山日日新聞(平成21年10月24日付)の「古写真でめぐる岡山」の一面に擬洋風建築家江川三郎八」特集記事の掲載が見つかった。
記事の中には、古写真などで確認できる江川三郎八の関与した建築物の中に三蟠軽便鉄道の三蟠駅と国清寺駅舎の名前も見られます。
私としてはとても誇らしい気持ちになりました。
江川三郎八の建築物を研究されている上田恭嗣名誉教授(ノートルダ女子大女子大) が寄稿された記事でした。
江川三郎八をご存じですか?
大正時代に擬洋風建築で一躍名を成した福島県会津若松出身の江川三郎八。
福島県と岡山県だけに重要文化財級の多くの建築物の設計と建築に携わった方で、国重要文化財として保管されている建物の多い建築技師です。
建物については岡山県の建築業界では、余りにも有名ですが、三蟠軽便鉄道株式会社の株主となっていることは誰も気づいていませんでした。
ところが開業当時の株主名簿に江川三郎八の名がみつかりました。
国清寺駅まで延伸する三蟠軽便鉄道が、用地買収など急ぐ中、江川三郎八が優先株発行にも応じていたことが分かりました。
江川三郎八研究会の会長である難波好幸先生とお話をする機会があり、近く発行予定の三蟠鉄道記録集には、大きく掲載する予定です。
このことから、開通時点の三蟠駅舎と国清寺駅舎の江川三郎八との関係も掲載したいと思います。