四季に暮らす

季節の着物、食卓、ベランダの植物たち
和と洋が仲良く並んでいるような衣食住の風景

会津〜喜多方〜米沢の旅②歴史をたどる

2024-05-17 | 旅行(*国内)

旅の二日目。
初夏の飯盛山は若葉が眩しく、生命力に溢れていました。
訪ねたのがこの季節で良かった・・
転生を願います。

これが八月だったら戊辰戦争 会津の戦に重なり、山の草いきれに息苦しくなったと思う。
白虎隊の亡骸は、賊軍として埋葬も許されずしばらく放置されていたなんて ..
寒さの厳しい冬に来ていたら、寂しさばかりを感じていたかも。

この季節、シャガの群生を右手に見ながら進むと視界が開けました。

 

爽やかな風が通り抜ける見晴らしの良いこの高台は、鹿児島の城山のよう。
白虎隊士が見つめる先が会津城の方向になります。

 

会津城では、敵(西)軍の接近を少しでも食い止めるために城下に火を放ったのを
飯盛山から見ると、城が煙と炎に包まれて燃えているように見えたのでした。
白虎隊19人の自刃は、慶応4年(1968)八月二十三日夕刻のことです。
そして、自刃の約二週間後には、元号が明治に。

それにしても白虎隊は、戸ノ口原からこんな用水路の洞穴を通って飯盛山にたどり着いたのですね。
戸ノ口堰洞穴

また同じく飯盛山には、寛政8年(1796)に建立された「さざえ堂」があり 国重要文化財になっています。
六角3層高さ16M の不思議な形をした建築で、この地の寺正宗寺(しょうそうじ)の住職であった郁堂(いくどう)が考案したものだそう。(この僧侶、理系の頭の持ち主だったのか・・(_?)

*横から撮影するとこんな感じ

*前方からこの構造がわかるように撮るのは難しかったので、栞の図・写真で

 

中には階段はなく、螺旋状の坂道で構成されています。
二重螺旋構造で、上りと下りのスロープに分かれており、すれ違うことはありません。
明治前までは、スロープに沿って三十三観音が安置されていたとか。







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鶴ヶ城へ向かいます。〜🚐 🚗
写真撮影不可の場所が多かったのと、私のカメラが謎の撮影不能?に陥ったため写真が少ないですが
とてもわかりやすい展示でした。
戊辰戦争の終結後、1874年には石垣などを除き全て解体されましたが、1965年に再建された城です。

 

天守閣からの眺め。鉄の棒の先方面が、先に訪ねた飯盛山の方向。
不自然に存在するこの鉄の棒?の設置意味が、飯盛山ではわからなかったのですが
友人たちの間では「城と飯盛山の方角を見定める目印なのかも」ということになりました。
(*後日友人が調べてくれたところ、NHK AMラジオの中継アンテナだそう。
城⇄飯盛山の目印のために建てられたものではないのですが、目印になっていますね!)



会津藩には「(じゅう)」という藩士の子弟を教育する組織がありました。
「ならぬことはならぬものです」
2013年のNHK大河ドラマ『八重の桜』でもよく出てきた台詞ですよね。

故郷の薩摩でも「郷中教育」というのがあって、この内容とは少し違いますが
実家の父(←頑固親父)が
「やっせんもんは やっせんっっ凸(ドスッ!!)」
・・と言い放ち、一刀両断にされていたのを思い出します。ちょっと似ていますかね? ^^;

昨年四国を旅した後には、NHKオンデマンドを一ヶ月だけ契約して『坂の上の雲』(全13回)を一気に視聴したのですが
今回も一ヶ月だけ契約して、現在『八重の桜』(全50話)を視聴中。
綾瀬はるかさんは大好きな女優さんなので気持ちが入ります。(^.^)
登場人物の女性たちの、会津木綿の着物姿もさっぱりと美しいです。

時代はほんの150〜160年前の話。
この時代に生まれていたら、私はいったいどう生きていたのだろう?と思います。
折り合いをつけながら? それとも抗いながら?

幕末の日本は、立ち位置によって見方も生き方も変わってしまう激動の時代でした。

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風情のある七日町通りを、行って戻ってウィンドーショッピング。





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ラーメンを食べるために喜多方へ移動〜🚐 🚗

どのラーメン屋に入ろうか?あれこれずっと迷いながら考えていたのに・・(私はすでに太もも筋肉痛が始まっていたことと、早くラーメンにありつきたい気持ちに急かされ.. ^^;)すぐに入れた「源来軒」に入りました(10人中8人)。
喜多方ラーメンの元祖と言われる老舗ラーメン店。

あと2人の強者はさらに先まで歩いて「麺や玄」へ。↓↓

 

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米沢へ移動〜🚐 🚗
水が張られて田植えの準備が整った田圃の風景が美しい。



■上杉神社

山形県米沢市。
戦国時代の名将、上杉謙信を祭神として米沢城本丸跡に建立された上杉神社。
上杉謙信って越後(新潟)の戦国大名だよね (_?) ?なぜ山形?・・と内心ちんぷんかんぷん。
(*謙信は生涯不犯(妻帯禁制)を貫いたため、子供は全員養子)

帰宅後調べたところによると、家督を相続した景勝は会津で大大名になるも、1600年の関ヶ原の戦いで家康と敵対し、米沢藩に移封されました。
その際、謙信の祠堂は米沢城内に移してあったものを、米沢藩の経済を立て直したことで知られる名君、上杉鷹山(治憲)とを明治時代に合祀して上杉神社とされました。

後の明治35年、鷹山は松岬(まつがさき)神社に遷され、上杉景勝・直江兼続と共に祀られています。

翻る軍旗の文字「毘」「龍」は、仏教に信心深かった謙信が、毘沙門天の「毘」と不動明王の「龍」を表しているそうです。

 

■上杉家御廟(上杉家墓所)↓

樹齢を重ねた杉並木に迎えられ、足を踏み入れると神聖な空気に包まれます。

廟屋がずらりと並んで静まり返っている・・このような場所を訪ねたのは私には初めてのことで、深く心に残りました。

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だんだん帰りの時間が近づいてきました。
その前に、夕食!!
旅最後の食事にふさわしく ぱぁ〜っと米沢牛🐂 ☆



すき焼き・ハリハリ鍋・ステーキに分かれました♪♪♪ ( ´θ`)ノ🍻

 

 

も〜 🐂 になりそう!(^。^)

ああ〜旅が終わる〜 と思うと、短時間で一気に盛り上がり
ビール→ワイン→日本酒・・と飲み進みました。^^

あとは新幹線で寝るだけ♪と思っていたのに、興奮から覚めず結局眠らず。(^^)

あっという間の一泊二日。
みんなのおかげで楽しい旅行でした。

家族旅行とは何か一味違う楽しさ。
これはなんだろう?
甘えがない適度な緊張感とスリル?
それともこれが連帯感なのかな?

みんな、ありがとうね〜〜!(^ー^)/~~
これからもよろしくお願いします。(^.^)

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