
久しぶりに、マックス子供を怒った。
数年前は、毎日毎日ストレスフルで、怒っては自己嫌悪の繰り返しだった。あの時は、自分の心が本当に辛かったぁ。
そんな私が、今は、時々怒るぐらいになったし、怒っても後味さっぱり、本当に伝えたい事が伝えられるようになった。
全て内面の変化だった。
今日、なぜ、私はこんなにも怒りが込み上げて来たのか?
後になってみれば、あんなに怒ることだったのかと、ちょっと笑いが出てしまう。
でも、あの瞬間、
子供に絶対に片付けさせる。どんな手段を使ってもと思った。脅しでも何でもって思った。絶対に従わせてやるぐらいの。
このまま甘やかして、私がいつも片付けの肩代わりをしていると、子供達は自分の事をする能力が育たないのではないかという不安が背景にあった。このままずっと、片付けができない人になるんではないか。パパと一緒で誰かがやるから自分がやらなくていいって思う人になるんではないかという恐れ、そんな、ストーリーが頭の中をグルグル回っていた。
だから、子供達が自分でできるように、私は、代替わりはしない。片付けないと決めていた。
でも、子供達のおもちゃはそれでいいにしても、キッチンをぐちゃぐちゃにされたのは、どうにもこうにも、キッチンを使う私にはとても迷惑な事だ。
私の本当の気持ちは、
こんなにキッチンを荒らされて、とても不愉快な思いをしている。これを、私が片付けるのは、本当に嫌だと思ったし、違うと思った。
ゆっくり朝寝坊していた私にも、落ち度はあった。でも、いくらなんでも、朝からこんな酷い片付けするなんて、最悪〜〜。
子供を怒っても、私の思うようには片付けしてくれないし、途中で投げ出すし、私の怒りはマックスだった。絶対に元通りにしてほしかった。
私があまりにもしつこく、怒責しながら片付けを要求するので、子供達は、義父母の所へ逃げて行ってしまった。ママ怒っているから、バイバイみたいな。これにも悔しかった。散々、脅しをかけたが、戻って来なかった。
行ってしまうと、
あれ?もうしょうがないなぁ〜ぐらいの軽さになっている。そもそもそんなにも怒る事でもない。子供達も悪意があって、ぐちゃぐちゃした訳ではなかったし、作ったものをみんなにあげたい一心で兄弟協力して、ドーナツを作っていたのだ。
怒られながらも、いつもよりずっと、片付けできたし、子供にしたら最大限に頑張ってやってくれた片付けだった。
でもあの時、止められない怒りは何だったのか?
私の深層心理に、やっぱり、どこかで、子供をコントロールしたい気持ちがあるんだなぁって感じた。手放してきたつもりだったけど、根強い。
そして、私の場合、
このパターンの時は、
私も片付けたくない〜嫌だ〜という、その気持ちに正直になって、素直に周囲に協力してもらうという事が、一番の抜け道なのです。
今回は、私が片付けてしまうと子供の為にならないという、幻想が強くて、子供に強制してしまった。それが子供のやる気を削いでしまった。
関係なかった、とにかく、目の前の嫌な片付けが協力してもらいながら片付けば、それで、私の心は満たされるんだ。
そして、子供はどうか?
協力をもらいながら、片付けができて、感謝されたら、片付けがマイナスイメージにならないし、とにかく回数重ねる事で、片付けも上手になる。
故に、
私の、「私が片付けを肩代わりすると子供がする機会を奪うから、片付けは私がやらない」と頑なになるのではなく、
「片付ける時は、ヘルプが欲しかったら言ってくれればヘルプするよ。きれいになって気持ちよかった、片付けが上手になってきたってなったら、ラッキー」って思った方が、断然いいなと思ったのでした。
根元にある、思考、
より緩く楽しく、自由で創造的になるように、書き換えるだけなんだなぁ。
あとは、たくさん、自分自身を満たしてあげること、心に余裕を持つ上でとても大切!
真面目な人程、自分に正直になって、わがままになるぐらいで丁度いいのかも。