『勤務地シンガポール』

残りの人生どう生きるか迷い続けてこのまま終わってしまいそうです

終身の楽しみありて、一日の憂いなし

2009年09月20日 | 心に響くことば

           『終身の楽しみありて、一日の憂いなし』
 
                               荀子


 「人の性は悪なり、その善なるものは偽(ぎ)なり」で始まる「性悪説」で知られる荀子(じゅんし)は、紀元前315年~230年(諸説あり)今の中国で生きた思想家であり儒学者です。

 性悪説は孟子の「性善説」に反対して唱えた主張とのことですが、ここでいう「悪」は現代の我々が考える「悪」ではなく、“人間が美しいものを見ようとしたり空腹感を覚えたり安楽を望もうとしたりするという自然な欲望”、とのことで、荀子のこれは「人間の本性に対する」主張のようです。

 一見誤解を受けやすいのではと思われるこの「性悪説」ですが、荀子は、“人間の本性はこのように欲望的存在にすぎないが、後天的努力(すなわち学問を修めること)により公共善を知り、礼儀を正すことができる”と、説いたそうです。

 そんな荀子の言葉として有名なのが今日の言葉です。

 「終身の楽しみありて、一日の憂いなし」

 これは孔子の道を賞揚した荀子が、孔子と弟子の子路との次のような対話を取り上げて説明した言葉と言われています。

 子路 「君子にも憂いがあるのでしょうか。」
 孔子 「君子は仕事がうまく行っても行かなくても、その目標を一生という長い眼でみているので、その大きな楽しみに前には憂いなどない。ところが小人はちょっとした失敗にもくよくよして、結局一生を憂いに終わるものだ。」

 なるほど(笑)。しかし、「一生という長い眼でみる」“目標”とは一体どんな目標を指すのでしょうか。または、掲げるべきなのでしょうか。にわかには思い付きませんが、ふと頭に浮かんだのは、「生きる」という目標です。ただ「生きる」、ひたすら「生きる」です(笑)。

 失敗も次の成功の足がかり、という気持ちで日々の憂いを吹っ切るような、そんな大きな視野を持ちたいと思っています(笑)。


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