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「医療崩壊と叫ぶ人が無視する事実」コロナ禍でも絶対に救急を断らない病院がある1

2021-01-11 15:31:25 | 日記

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湘南鎌倉総合病院「年末年始」密着記

「彼女から『コロナ、陽性だった』とメールがあって…」
ここは湘南鎌倉総合病院の救急医療を行う入り口だ。
新型コロナ疑いの「患者の受け入れ」と「治療」の最初の入り口は、各病院の救急医療が主に担っている。
2021年1月2日夜、とてもだるそうな30代男性が、目の前の椅子に腰かけた。
「今日はどうされましたか」
と、看護師の馬場健司さんが話しかける。その男性はこう答えた。
「2日前から熱があって、だるくて……。(付き合っている)彼女も具合が悪かったのですが、ついさっき彼女から『コロナ、陽性だった』とメールがありました」
馬場さんはうなずき、男性の体温や血圧、酸素量などのバイタルチェックにとりかかった。この業務を「トリアージ」という。
男性と馬場さんは対面に向き合うため、間にはアクリル板による透明の仕切りがあり、看護師はゴーグルとマスクを身につけている。
「熱が出る前に彼女さんとは、かなり一緒にいましたか?」
再び馬場さんがたずねると、「半同棲のような感じだったので……」と男性は答えてうつむく。
ほかにもいくつかの質問をした後、馬場さんは「トリアージ検証表」の「白」に丸をつけ、男性を院外に設置されたプレハブの「発熱外来」に案内した。
トリアージ検証票(筆者撮影)
救急医療で3年以上の経験を積んだ看護師による「トリアージ」
トリアージでは病や怪我の「重症度」よりも、早く医療介入すべきかどうかの「緊急度」が重視される。カナダの院内トリアージ「CTAS救急患者緊急度判定支援システム」の日本版であるJTASを基準として判定し、青(超緊急)、赤(緊急)、黄(準緊急)、緑・白(低緊急)とランクづけしてカルテに色を記す。
トリアージを行うには幅広い知識と注意深さ、経験が必要とされる。実際にトリアージを担当できるのは、救急医療で3年以上の経験を積んだ看護師だ。
時間をさかのぼり、その日の午前中、看護師の狩野雄太郎さんのトリアージでは、こんな患者もいた。
「コロナにかかったのではないか」という不安
60代女性で、「12月28日に息子がコロナ陽性となって、保健所から、濃厚接触者なので医療機関を受診してくださいと言われて……」と、話す。女性は普段、息子とは離れて生活していた。
看護師の狩野雄太郎さん(筆者撮影)
27日に帰省した息子が28日に新型コロナを発症。息子は28日以降、療養施設に入院し、現在も母親と離れて生活している。陽性者となった息子と接触したのは2020年12月27日と28日の1日半のみ。しかもこの女性は年末(12月31日)にすでに一度検査をして「陰性」と判定されているのだ。
「今、何か症状はありますか?」と狩野さん。
「熱と咳があって……」
その女性が答える。熱は36度台で、話している間に咳は一度もなかった。それでも「コロナにかかったのではないか」という不安を口にする。
「外の世界に生きている限り、感染リスクはありますから」
狩野さんは穏やかな口調でそう話す。
「どうすれば安全に、すべての患者を受け入れられるか」
新型コロナの流行とともに、トリアージでは「緑・白」の“低緊急”の割合が増えた。受診する患者は、37度前後の微熱を訴える人が圧倒的に多いという。介護施設で働く人など、「知らずに周りに移しては申し訳ない」という気持ちから受診する人もいる。
同院救命救急センター長の山上浩医師はこう話す。
「例年、インフルエンザによって救急医療はパンクしていました。救急医の仲間と『インフルエンザにかかっても、若くて健康な人は薬もいらないし、自宅療養してください』と毎年声をあげてきたのですが、くる日もくる日もインフルエンザの患者が殺到しました。コロナも同じ状況だと思います」
神奈川県新型コロナウイルス感染症対策チームから、入院が必要なコロナ陽性患者を受け入れる際には、ERにこうした掲示がされる(筆者撮影)
山上医師が率いる同院の救命救急センター(=ER)、そして集中治療部では「どうすれば安全に、すべての患者を受け入れられるか」を常に考えている。「患者数増加→ベッドが満床→救急患者を断る」という姿勢ではないのだ。
だから、院外に「発熱外来」を建て、地域の開業医を含めて人を集めた。神奈川県が申し出た新型コロナ患者を入院させる「専用病棟」の建設も受諾し、治療にも参加した。院内のER一画には「コロナ疑いの患者を経過観察する病床」も確保。そしてERを中心として診断を下し、同院を訪れた患者、救急車で搬送された患者を“振り分けていく”のだ。
しかし日本では、多くの病院がこのような体制をとれない。ある救急医からは「今、“崩壊”と叫ぶほど、国内の医療体制はもともと整っていなかったのではないか」という声もあがった。
各科の当番制だから「その患者は診られない」が頻発する
簡単に日本独自の救急医療体制を説明しよう。
救急医療においては「救急告示病院(救急指定病院)」が重要な役割を担う。救急指定病院とは「救急患者の診察に協力できる」という旨を都道府県に申し出た医療機関のうち、要件を満たし、かつ都道府県知事により認定された病院を指す。
救急指定病院は3段階に分けられる。入院や手術を伴わない軽症患者に対応する「一次救急」、入院や手術を必要とする患者に対応し、24時間体制の「二次救急」、一次や二次では対応できない重症疾患に対する「三次救急」だ。湘南鎌倉総合病院のような「救命救急センター」は三次にあたる。
湘南鎌倉総合病院 救命救急センター長の山上浩医師(筆者撮影)
一次・二次・三次と重症度に応じて医療機関を分類することは、一見、優れたシステムのように思えるが、ここには大きな落とし穴がある。患者を受診前、すなわち医師の診断前に“選別”するため、「重症疾患の見落とし」が起こり得るのだ。
実際にこれまで、本来助かるはずであった患者が命を落とす痛ましい事件が、全国各地でいくつも起こった。患者本人や救急隊らが「見える情報」だけで重症度を判定する構造に、無理があるのだ。
また、一次救急や二次救急を中心として国内で最も多い救急医療の形態は、「各科相乗り型」と呼ばれるスタイル。多くの場合は各科の当番制で救急患者に対応するため、「今夜は整形外科医が当番だから、その患者は診られない」といった事態が日常茶飯事。だから「たらいまわし」が起きる。
海外ではすべての救急患者を「ER」が最初に診る
それではどうすればいいか。
海外の救急医療システムでは、軽症から重症まで、すべての救急患者を「救急科専門医」(以下、救急医)が最初に診療するのが主流である。これをER(=Emergency Roomの略称)型といい、日本もこれに倣えばいいと私は思う。ERでは赤ちゃんから高齢者まで、単なる風邪から心肺停止まで、そして内科から外科、眼科、耳鼻科、小児科、精神科まで、24時間365日、ありとあらゆる患者を診る。もちろんそこには今回の新型コロナのような「感染症」も含まれる。
埼玉医科大学総合医療センター総合診療内科・感染症科教授の岡秀昭医師は「これまで臓器別の専門医ばかりの養成を行ってきた」と話す。
「心臓や脳、肺などの専門診療が重視され、感染症専門や集中治療、総合診療、救急医療、周産期など臓器を横断するような医療に関しては重視されず、ニーズが認められていないところがありました」
日本では「臓器別」が重要視され、体全体をトータルで診る医師が非常に少ない。医師が自由に、自分の“好きな科”を選べるためだ。
救急医は「なんでも診る」が基本
体全体を診る「総合診療」という大きな枠組みがあるとするなら、ERで働くドクター、すなわち救急医はその入り口に位置する存在。救急医はすべての科の基本的知識と初期診療に対応する技術を持ち、必要があれば各科に振り分ける。しかし国内で内科医約6万人、外科医約1万4000人に対し、救急医はわずか5300人。
もちろん、医師免許があれば「救急医療に携わる」ことができる。当直で救急担当になった場合などがそうだ。だが、救急医はそれとは一線を画し、他の科の専門医と同様に、“救急”という部門を専門的に学んだ医師である。だから救急を専門とする医師は「私は○○科ですから、これしか診られません」とは言わない。救急医は「なんでも診る」が基本なのだ。
「同じく、しっかりとトレーニングを受けた感染症の専門医も臓器によらず、全身の感染症を診療することができる」と岡医師が補足する。
湘南鎌倉総合病院には全国各地から救急医が集まり、ERが機能している。そのため救急車の搬送であれば「ER」で救急医が患者の選別と初期治療を、患者自らが歩いて救急医療を受診した際は看護師のトリアージで選別する構図が可能になる(図表2)。
1万4858件の救急車搬送を受け入れた「日本一の救急病院」
湘南鎌倉総合病院のERでは2020年に1万4858件の救急車搬送(歩いて救急外来を受診した患者も含めると計4万3199人)を受け入れた。同院の救急車搬送受け入れ数はここ数年日本一。ちなみに、東京都内では年間1万件を超えて救急車を受け入れている病院は、聖路加国際病院1万187件、国立国際医療研究センター病院1万1130件のわずか2病院のみ(2017年度)である。
電話をうける救急救命士(筆者撮影)
新型コロナを含む感染症の院内感染は起きていない。これほどの人数を受け入れているのに、と驚いた。ERの医師も一人として新型コロナに感染していない。
「その理由は、実は僕たちにもはっきりとはわかりません」と山上医師は言う。
「一つには入院させる時には、疾患を問わず、すべての患者に新型コロナの検査をします。しかしそういったところでも院内感染が起きていますね。あえて言うなら、私たちは仮に陰性であっても、基本に忠実な姿勢で治療をしています。普通の診察ではマスクやゴーグルで大丈夫ですが、胸骨圧迫(いわゆる心臓マッサージ)や気管挿管(気管にチューブを挿入して肺に酸素を送る)はもちろん、痰を吸引する、鼻出血や縫合など患者がマスクを外しての処置時は感染リスクが高まるので、フル装備で行っています。綿棒でPCR検査をする時も、くしゃみをされたらアウトなので、患者さんに瞬間的にビニール袋をかぶせて行うなどの工夫をしています」
治療と同時に新型コロナの検査を行うものの、いずれにしても医師や看護師は「感染症患者」に接しているものとして医療行為をしているという。
これからコロナ入院患者に接するERの医師に防護服を装着する
「感染症を含めた疾患を最初に診ることが救急医療」と、山上医師。そして「私たちは救急告示病院を掲げているから、地域の救急患者を断らないと腹をくくっている」と、繰り返す。
「初療」という役割を担う病院が、地域に一つは必要
体制が整わず、「救急医療」が行えない病院があってもいい。それならそれで、最初に患者を受け入れる「超急性期病院を支える役割」を全うすれば、地域医療はまわっていく。湘南鎌倉総合病院がある神奈川県では、コロナ疑いを受け入れる病院、陽性と確定した患者を受け入れる病院、感染症が治癒した患者を受け入れる病院などと、各病院の役割分担がトップダウンで進められている。
しかし——。
年明けのERの様子
新年早々、「発熱している患者なのですが……」と、救急隊が申し訳なさそうに頭を下げながら同院ERに患者を運んできた。
<40代女性、症状は37度前半の発熱と呼吸苦、バイタル安定、意識清明、ぜんそくもち>
聞けば、たったこれだけで10件以上の近隣の救急指定病院に断られ、1時間以上かけて同院に患者を搬送してきたのだという。救急車は帰り道ではサイレンを鳴らさないため、往復で3時間はかかると推定される。つまり数時間、患者が住む地域の救急車1台が占拠されることになる。
だから「初療」は、患者が住む地域で行うべきで、その「役割を背負おう」と腹をくくる病院が、各地域に少なくとも一つは必要だ。
「お医者さんはいませんか」に応じる医師は34%
もちろん「初療」には常にリスクがつきまとう。
こんな調査報告がある。
医師758人に「飛行機・新幹線内で救助要請に応じる」、つまり「お医者さんはいませんか」という呼びかけに応じるかと問うと、「応じる」と回答した医師はわずか34%。しかも要請に応じた医師のうち、約25%は「今後は応じない」と回答した。「助けることができれば感謝されるが、失敗したら訴えられるから」というのがその理由だ。
前述した女性患者がいい例なのだが、発熱と呼吸苦と聞けば、「新型コロナ」や「持病のぜんそく」が疑われやすい。しかし、「心不全」の可能性もあるのだと、担当した久志本愛莉医師が教えてくれた。「ぜんそく」と「心不全」では治療が真逆になるという。
特にこのコロナ禍では、大半の病院は、医師は、患者を選ぶ。少しでもリスクがある患者は、自分の身を守るために受け入れられない。そして患者を乗せた救急車のたらいまわしが起きる。
「あと何人まで受け入れられるか?」「腹をくくってます」
同院ERの電話が鳴った。救急救命士が電話をとる。電話の相手は、神奈川県新型コロナ感染症対策本部であった。
「明日の朝までに新型コロナ陽性や疑いの患者を、あと何人まで受け入れられるか?」
という連絡。その問いかけに対して山上医師は「腹をくくってます」と応えた。
「ここで最初の診断と治療方針を示す。そして周囲の病院と連携すれば、『満床』はありません」


「綺麗なまま母らしく旅立ち…」 「岡江久美子」さん長女が初めて明かす「母の最期」&小林麻央さんも頼った「代替医療」について考える

2021-01-11 13:30:00 | 日記

下記の記事はデイリー新潮からの借用(コピー)です

享年63。死因は「新型コロナによる肺炎」──女優やタレントとして幅広く活躍していた岡江久美子の急死は人々に衝撃を与えたが、家族は、感染対策を理由に、見舞いどころか葬儀を執り行うことすら叶わなかった。あれから8カ月。一人娘で女優の大和田美帆(37)が初めて明かす、母の最期。
 ***
速報五木ひろし、実は今回で「紅白卒業」だった? NHKから打診されるも本人は“拒否”
速報「美空ひばり」御殿、消滅危機にパチンコ「京楽」が救いの手 不肖の長男から泣きつかれ
 美帆が2017年に上梓したエッセイ集『ワガコ』(新潮社刊)は、現在5歳になる長女の出産と育児について綴ったものだが、母・久美子についてもかなりの紙数を割いている。例えば、
〈母になって初めての母の日。今までの母の日と、格別に違う母への想い。〉
 久美子が自分を産んだときのことを直接本人に尋ねたくだりも読み応えがある。
「母は読んでも良かったとか言わないんです。でもほとんど母への感謝の言葉なので生前、読んでもらえてよかった」
 と語るのは美帆ご本人。
「母が亡くなった今だからこそ、女優としてではなく母親としての岡江久美子を知ってもらえたら嬉しい」
“娘がいない時に、自分が娘の立場になって泣く時間はできました、最近は”とも語る美帆。母の最期を尋ねると、重い口を開いた。
「自粛期間中でしたので、今思えば非常事態、異常なことでした。母がお世話になった方など皆で集まって一緒に泣いたり母の思い出話をしたり励まし合うこともできなかった。家にいなくてはいけなかったのが父(大和田獏)も私も辛かったです」
4日後に遺骨と対面
長女の大和田美帆(他の写真を見る)
 入院17日間、家族との面会は許されず。4月23日、久美子は息を引き取った。
「私は病院で頑張る母にどうしても声を聞かせたくて、テレビ電話、それが無理なら電話や、声を録音したものを聞かせたい、って父に頼んでたんですけど、父は“自分より大変なのは病院の皆さん。こっちからお願いはできない”って。凄いなと思いました。誰よりも声が聞きたかったと思うんですけどね」
 再会できた時、母は既に骨と灰になっていた。
「父は、もし自分がコロナだったら、と心配だったようで家に来ない方がいいと言っていて。お互いセンシティブになっていました。4日ほど経って、やっと母に会えました。父とは距離をとりながらでしたけれど。正直、遺骨を見てもそれが母だとは思えなかった。葬儀という儀式の大切さを痛感しました」
 葬儀は執り行えていない。
生後まもない美帆を抱く久美子(他の写真を見る)
「母は交友関係が広かったですし、節目が必要だと思うので、いつかお別れ会はしたいです。ただ、父とは“感染の不安がなくなったら”と話していて。いつになるのか……」
 そんな特異すぎる死別にも、美帆は意味を見出す。
「皆の中では“元気な岡江さん”のまま。弱々しい、衰えた姿でなく、綺麗なまま突然旅立った。それってとても母らしいと思うんです。早すぎるし衝撃的な死でしたけれども、いつもポジティブな母でしたから。私も母の死から何か学ばせてもらって『さすが、私の子!』と褒めてもらえるよう娘と父と前を向いて生きていきます」
 と涙ぐみながら微笑んだ。

小林麻央さんも頼った「代替医療」について考える

気功をしても「身体が鈍感だから効果がまだよく分からないの」が口癖
 34歳の若さで亡くなった小林麻央さん。幼い子ども2人を残してこの世を去る心中は察するに余りあるが、「標準治療を選んでいれば助かったのではないか」と、その死を惜しむ声があがっている。
 乳がんそのものは手術での除去に加えて、放射線治療・抗がん剤・ホルモン療法・分子標的治療薬を組み合わせる“セオリー通り”の標準治療を行っていれば、5年生存率が90%を超えたとされる。
速報五木ひろし、実は今回で「紅白卒業」だった? NHKから打診されるも本人は“拒否”
速報「美空ひばり」御殿、消滅危機にパチンコ「京楽」が救いの手 不肖の長男から泣きつかれ
親しい間柄である歌舞伎役者にも相談せず、家族一丸となって闘ってきた(他の写真を見る)
 「週刊新潮」(7月6日号)では、麻央さんが気功に頼っていたという関係者の証言が報じられているが、事実、麻央さんのブログでは気功のほか、マッサージ、サプリメント、温浴療法、酵素風呂などの言葉が散見され、夫・海老蔵のブログからも長女・麗禾ちゃんや長男・勸玄くんをともなって気功に通っている様子が窺える。
 麻央さんはブログに〈マッサージをしたり気功をしたりサプリを飲んだりしても!「私は本当に身体が鈍感だから効果がまだよく分からないの」が口癖でした〉と綴っているが、思ったような効果が得られなかったことが示唆され、苦しい胸中が垣間見える。
様々な“代替医療”を科学の眼で検証
 現代の科学では効果が検証できていない治療法を総称して代替療法と呼ぶ。
 英国の科学ジャーナリスト、サイモン・シン氏は著書『代替医療解剖』のなかで、鍼・ホメオパシー・カイロプラクティック・ハーブ療法という代表的な代替医療を、その起源から現状まで徹底取材し、科学的な評価を加えている。またオステオパシー(整骨療法)やコロンセラピー(結腸洗浄)、酸素療法、医療用ヒルなど新奇な治療についても丁寧に検証している。
 そのうえでこうサイモン・シン氏はこう語る。
ホメオパシー、鍼、指圧、カイロプラクティック、アロマセラピー、ホントに効くの? 様々な代替医療を科学の眼で検証する

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「代替療法は大繁盛しているが、多くの場合は誤った考えを抱いてしまったセラピストによって、ときには大衆を食いものにするニセ医者によって、人びとは繰り返しまどわされている。今こそまやかしがはびこるのを食い止めて、本物の治療法を優先させるべきときではないだろうか」
 歴史的にみれば、代替医療として広まったのち通常医療に受け入れられた治療法が数多く存在しており、そのメカニズムが未来において証明される療法もあるだろう。代替医療が患者の心理的な苦痛を緩和するケースがあることも否定できない。
 しかし、導入にあたってはしっかりとその療法のリスクと現在時点での科学的評価を確かめることが重要だ。


本誌記者に不自然な笑み…小室佳代さんの半生取材で見えたもの

2021-01-11 11:00:01 | 日記

下記の記事は女性自身オンラインからの借用(コピー)です

小室佳代さんの元婚約者の暴露により始まった、眞子さま婚約を巡るトラブル報道は、ますます過熱する一方だ。だが、当の圭さん、そして母・佳代さんは、沈黙を守り続けている。ただひとつ言えることは、佳代さんは、夫が自死したあと、母ひとり子ひとりで、なりふりかまわず“幸せ”をつかみ取ろうとしてきたに違いないことだ。
だが、そのためにおこなってきたこと、彼女の半生を追い、見えてきたものとは――。
暮れも押し迫った昨年12月18日午後6時4分。私鉄駅近くの老舗洋菓子店の店舗に、白衣に身を包んだ中年女性の姿があった。
白衣は洋菓子製造の仕事着だろう。秋篠宮眞子さまとの結婚問題が取り沙汰される小室圭さんの母・佳代さんだ。
それから約10分後、着替えを済ませた佳代さんは、茶色のダウンコートを着込んで、20代と思しき同僚女性とともに店を後にした。
2人は最寄り駅から下りの普通列車に乗り込み、混み合った車内に並んで立った。離れて立っていた本誌記者の耳にも、ときおり会話の内容が漏れ聞こえてくる。同僚女性の相談事に、佳代さんは、ニコニコとほほ笑みながらうなずいて、聞き役に徹している。職場内での人間関係はよさそうだ。
──眞子さまと圭さんの結納に当たる納采の儀が延期になったのは、18年2月6日のことだった。
それからまもなく3年になる。
昨年11月13日、宮内庁は、眞子さまの結婚に関する「お気持ち」を文書で公表した。
そのなかで、眞子さまは、
「私たちにとっては、お互いこそが幸せな時も不幸せな時も寄り添い合えるかけがえのない存在であり、結婚は、私たちにとって自分たちの心を大切に守りながら生きていくために必要な選択です」
と、お二人の気持ちが揺るぎないことを率直に表明された。
それを受け、父・秋篠宮さまも11月20日、お誕生日に際しての会見で、記者の質問に対して、結婚を認めるご発言をされている。
「結婚することを認めるということです。これは憲法にも結婚は両性の合意のみに基づいてというのがあります。本人たちが本当にそういう気持ちであれば、親としてはそれを尊重するべきものだというふうに考えています」
慎重で複雑な親心が垣間見えるご発言だが、眞子さまのご結婚はこれで一歩、前に進んだ。この会見の直後、ご結婚延期の最大の要因だった佳代さんの金銭トラブル問題にも進展があった。
佳代さんに約400万円の返金を求めていたX氏の独占告白を、『週刊現代』(12月5日号)が掲載。
「眞子さまにお伝えします。もうおカネ400万円は要りません」
眞子さまのお気持ちの文書を読んだX氏は、翻意の理由を、
「いつまでも二人の結婚の障害になってはならないと思った」
と、話している。
X氏は、それまで400万円は圭さんの学費と主張してきたが、本誌は「学費には使っていない」という圭さんの代理人・上芝直史弁護士の言葉をスクープ(12月15日号)。国際基督教大学(ICU)への入学金と1学期の授業料は、圭さん自身の貯金から支払い、以降の学費は奨学金で賄ったことを明らかにした。圭さんの学費にX氏が関わっていないのなら、借金問題は単に佳代さんとX氏の間の問題ということになる。
このままいけば、眞子さまの義母となり、天皇家の縁戚となる佳代さん。その人物像はやはり気になる。小室佳代さんとはどんな女性なのだろう。
佳代さんの旧姓は角田。小室敏勝さんと結婚したのは23歳のときだった。1歳年上の敏勝さんは明治大学工学部卒。横浜市役所に勤務し、市内に購入したマンションで家族3人、幸せに暮らしていた。
圭さんが3歳のときからバイオリン教室に通わせていたという。敏勝さんは幼稚園の保護者会や参観日には必ず出席するほど子煩悩な人だったが、佳代さんも、敏勝さんに負けず劣らず、教育熱心な母親だった。
「この子はバイオリンの天才なの」が口癖で、圭さんは私立の国立音大附属小学校に入学している。
そんな小室家の生活は、02年、敏勝さんの自死で一変する。
圭さんは当時10歳。以後、専業主婦だった佳代さんは、福祉事務所のカフェや地元のケーキ店などで働き、女手ひとつで息子を育てたが、圭さんの教育水準だけは落とさなかった。音大附属小学校はそのまま通わせ、中学からは、高校まで一貫教育のカナディアン・インターナショナルスクールに入学させた。学費は年間約200万~300万円(当時)。
そもそも海外生活経験もなく、日本の小学校で学んだ子どもが、インターナショナルスクールに入るのは並み大抵のことではない。授業はすべて英語で行われるため、圭さんは小学校卒業から9月の入学まで、英語の強化クラスに入り、サマースクールに通い、さらには家庭教師をつけて特訓し、ようやく入学を果たしたという。
圭さんと同時期に、インターナショナルスクールに在籍していた生徒の親はこう話す。
「入学当初の圭くんは、ほとんど英語はできていなかった印象です。お母さまが本人以上に熱心でしたね。入学までは必死だったと思います。わずか半年である程度の英語力を身につけさせようとする熱量には、すさまじいものがありました。英語ができないお母さまは、事務の日本人のスタッフを通訳にして、各担当教科の先生に質問したり、勉強方法などを相談していたみたいですから」
入学後も家庭教師をつけるなど、学費以外の出費は多い。
「お誕生日会とかが、けっこう大変なんです。外資系企業や大使館の子のお誕生日にお呼ばれすると、お土産もどっさり持たされますから、それなりにプレゼント代も必要なんです」
佳代さんは真っ赤なアウディを乗り回して、圭さんを送り迎えしていたという。パートの収入と夫の遺族年金で、月収は20万円を超える程度と報じられたギリギリの生活の中で、圭さんをインターナショナルスクールに入学させたことは、世界の一流どころの家庭の子女が集う環境を、必死につかみ取ろうとした佳代さんの執念と見えが感じられる。
圭さんは、佳代さんの上昇志向の波に乗るかのように、横道にもそれず、まっすぐに育った。10年9月、ICUに入学した圭さんは、12年6月、大学の交換留学生説明会で、眞子さまと初めて親しく会話し、交際に発展。
プロポーズは13年12月。婚約内定会見は17年9月。緊張のなかでも恥ずかしそうに見つめ合い、記者の質問に答える初々しいカップルのご様子は、多くの人を魅了した。
この結婚がここまでもつれるなど、当時、誰も予想していなかったことだろう。
『週刊女性』(’17年12月26日号)の「400万円借金トラブル」報道が、大きな波紋を起こすまでは──。
佳代さんの借金を告発したX氏は、暴露の直前まで小室一家と同じマンションに住んでいた。
本誌が当時取材したとき、X氏は薄いストライプのスリーピース・スーツに身を包み、襟元にはちょうネクタイ、言葉遣いも丁寧で穏やかな男性だった。
「敏勝さんとは、マンションの管理組合の会合で話すようになりました。お互い理系だからウマが合って、今度、横浜で飲みましょうという約束もしていたのですが……。かなりたってから、敏勝さんが自殺したと聞き、本当に驚きました」
外資系企業に勤めていたX氏は、生活時間が違う佳代さんとは顔を合わせたことがなかったが、07年、共通の知人を介して知り合い、圭さんのパソコンの修理を頼まれたことなどから、親しくなったという(『週刊文春』18年2月1日号)。
X氏と佳代さんが、婚約したのは10年9月。圭さんがICUに入学したのとほぼ同時期だ。佳代さんは二人の財布を一緒にしようと持ちかけたこともあったという。
そのころから、佳代さんの金の無心が始まったと、X氏は主張する。その総額が約400万円だ。佳代さんの度重なる無心にへきえきしたX氏は12年9月、婚約解消を申し出て、1年後には、返済を求める書面を小室家に送っている。
一方、小室家側は「400万円は借金でなく、贈与だった」と主張。
進展のないまま4年以上経過するなか、X氏は眞子さまと圭さんの婚約を知り、公開に踏み切った。
「弁護士に相談しましたが、借用書がなければ裁判で勝つことは難しいと言われてしまいました。皇族をお嫁さんにしようとする人が、自分の学費を出してくれた人に対して、感謝の一言もないというのは、それでよいものでしょうか」
X氏は本誌の取材当時に、そう胸の内を明かしている。
この騒動で、18年3月4日に予定されていた納采の儀も、11月4日の帝国ホテルでの挙式も延期され、今日に至っている。
ここにきて「お二人の結婚の障害になってはならない」(前出)と、返金を求めない趣旨の発言をしたX氏だったが、その後、事態が急変。『週刊文春』(20年12月17日号)では、佳代さんからX氏に届いた無心メールの詳細が公開され『週刊現代』(20年12月12・19日号)では、佳代さんと圭さんが、13年秋に「400万円は譲渡だった」と記した手紙を携え、X氏の自宅を訪ねた際の録音テープを公開。借金問題は再燃し、いまや過熱の一途だ。
この事態を憂慮したのか、12月10日、西村泰彦宮内庁長官は定例記者会見で、小室家の金銭トラブルについて聞かれ、こう述べた。
「説明責任を果たすべき方が果たしていくことが極めて重要だ」
皇室の歴史に詳しい静岡福祉大学名誉教授の小田部雄次さんも、小室家に対して手厳しい。
「金銭トラブルの経緯について、国民への説明責任を果たすべきなのは、当然ながら小室家です。400万円が借金であれ、贈与であれ、元婚約者が金銭的援助をしてきたのが事実ならば、相手方に対し何の恩義も敬意も見せず、感謝や謝罪の念がないのは、一般的な社会通念からしても異常な感覚と言わねばなりません。
400万円が学費ではないというなら、何に使ったのでしょうか? 筋の通った説明をすべきです。現状のままでは、皇族と結婚する家としての社会的な信用は得られないでしょう」
小室家の金銭トラブルの発端をたどれば、やはり敏勝さんの自死に行き着く。敏勝さんの生前から、小室夫妻と一時的交流があったという元喫茶店経営者A氏は、今回の本誌の取材にこう語る。
「圭くんを連れて家族3人で、よく店に来てくれました。
旦那さんはおとなしくて優しいタイプ。反対に佳代さんは社交的で、よく喋る。メニューを見て、旦那さんに『何を食べる?』と、聞いておきながら、『○○でいいでしょ』と、どんどん決めちゃう感じでした。旦那さんはもの静かで、小さかった圭くんに、食べさせてあげたりしていましたね」
頻繁に顔を出していた一家が、しばらく姿を現さなくなったのは、圭さんが10歳のときだ。
「久しぶりに佳代さんが来たと思ったら『主人が死んじゃった。首つり自殺した』と、言うんですよ」 敏勝さんは精神的に弱っていて、しばらく藤沢の実家に帰っていたと聞いた。
「それを佳代さんが無理やり自宅に連れ帰ったような言い方でした。ある日の深夜、旦那さんが外に出ていったらしく、ガタンと音がしたそうです。佳代さんはそのまま眠ってしまい、目が覚めても旦那さんの姿が見えないので、圭くんを連れて捜したら、亡くなっていた現場に行き着いたそうです」
佳代さんはそう店主に説明していたが、敏勝さんの遺体を発見したのは、立川警察署という報道もある(『女性セブン』21年1月7・14日号)。
「それからは毎日のように閉店間際に圭くんを連れてきて『おじいちゃんも自殺しちゃった。圭くんにカウンセリングを受けさせたほうがいいのかしら』と、こぼしていました」
敏勝さんの死後まもなく、敏勝さんの父親も後を追うように自死していたのだ。
「佳代さんは、自分の父親の家に居候して、毎晩、狭い部屋で圭くんを抱きしめて寝ていると話していました。私たち夫婦は、突然、夫を亡くして、経済的にも大変だろうと、ご飯を食べさせ、もらい物を持たせたこともあります」
佳代さんが話し込むと、夜9時、10時になる。
「圭くんはおとなしく絵を描いたりしているのですが、そんな時間になると眠ってしまうから、車で送ってあげるんだけど、いつも小さなアパートの前で『ここがウチだから』と言われていたんです」
Aさんはそれを信じていたが、圭さんのご婚約内定報道で、小室家の自宅が聞かされていたアパートとは違うマンションであることを知ったという。
「当時はそんなことも知らないから、夫婦で同情していましたよ。旦那さんが、実家から連れ戻した後に亡くなったので、実家から『あなたが殺した』と、言われたと聞きました。『この子の(遺産相続の)権利はどうなるんだろう』と、悩んでいました」
実家との橋渡しを頼まれたAさんは、委任状を持たされ、敏勝さんの藤沢の実家を訪ねたという。
「旦那さんのお母さんにお会いすると、すごくいい人で、きついことも言いませんでした。佳代さんの気持ちを伝えると、『わかりました』と、一度で話が済んだんです」
しばらくして、佳代さんが1人の女性を連れて店にきた。
「霊媒師みたいな人で、女性は店に入った途端に店内の絵を見て、『ああ、この絵も、この絵のこともわかっていた』と、言うんです。奥の席から入口のほうを見て『圭くん、お父さんがこっちを見て笑っているよ』って。佳代さんは、心底、信じているようでした」
Aさん夫婦に違和感が芽生えた。その後、佳代さんは自分の父親らしき男性と一緒に店に来て、夫婦に封筒を差し出したという。
「それでいきなり『手を引いてくれ』と言うんです。何のことかと思いました。藤沢の実家からの援助の話がうまくいったということでしょうか?でも、こちらは親切で動いただけなのに『手を引け』という言い方は……。封筒に何が入っていたか知りませんが……」
親切をあだで返され、侮辱された思いがして、Aさんは封筒を受け取らず、帰ってもらったという。
「佳代さんとはそれっきりです。旦那さんの話をしながら、佳代さんは涙ひとつ見せなかったと思います。それに、圭くんの前で平気で自殺の話をする。こちらが心配すると『知っているから大丈夫です』と言うのですが……」
Aさんの話を聞く限り、佳代さんの話にはうそやごまかしが多いように思える。著書に『被害者のふりをせずにはいられない人』(青春出版社)などがある精神科医・片田珠美さんは佳代さんをこう分析した。
「400万円は学費に使っていないということですが、学費が必要と言って融通してもらったお金を、ほかの目的で使うほうがタチが悪いと思うのが普通です。ところが、彼女は『悪い』と思わないどころか『返さなくてもいい』と言えてしまう。自分に都合の悪い現実が見えなくなることを精神分析で『暗点化』と呼びますが、暗点化が起こりやすいタイプは、自己正当化の達人になりやすい。佳代さんは自己正当化の達人かもしれません」
小室家に吹く逆風のなか、いまも圭さんを擁護するのは、居酒屋「のん処」店主の五井憲治さん(74)だ。圭さんが高校のころにアルバイトをしたフランス料理店のオーナーシェフだった人である。
「みんな圭くん本人を知らないからね。僕のように知ってる人間は『いいコだよ』って言えるけど。圭くんは、お母さんに尽くしてもらってきたでしょ。だから、恩返しをしたいと、お父さんが亡くなったときから言ってたんだ。『僕がお母さんを守っていくんです』ってね。それ、聞いたときはジーンときて、目が潤みましたよ」
圭さんは21年5月、ロースクールを卒業予定だ。なりふりかまわず、“幸せ”をつかみ取ろうとしてきた佳代さん。いま、54歳の彼女が、早朝からおよそ半日近くも、立ちっぱなしの洋菓子製造の仕事をするのは、体力的にも厳しいはずだ。
そんな母を「守る」と言うのなら、さらには眞子さまの率直なお気持ちに応えるためにも、代理人に任せるのではなく、圭さん自身が母の金銭トラブルの経緯について真摯に説明するときがきているのではないだろうか。
最後に、やはり佳代さんの肉声を一言でも聞きたい。冒頭で述べたとおり、同僚と帰途に就いた佳代さんは、途中駅で1人下車して、駅直結のショッピングモールに入った。退店時から紙袋を持っていたが、ショッピングモールから出てきたときにはさらに大ぶりの紙袋が2つ加わっていた。
老舗菓子店の名前が見える。大量のお菓子を買い込んで、これからまたどこかに行くのだろうか。
3つの紙袋とハンドバッグを抱えるようにして改札口に向かう佳代さんに、声をかけた。
「小室さん、突然すみません……」
彼女の顔が一気にこわばるのが見て取れた。怒りとおびえがないまぜになったような感情が目元に浮かび、表情に険しさが増していく。
「秋篠宮さまがお二人の結婚を認めるご発言をされましたが、お母さまとして今、率直にどんなお気持ちでしょうか?」
しかし、佳代さんは進行方向の一点を凝視するかのように、前だけを向いて決して顔を動かさない。やや前のめりの姿勢のまま、ズンズンと歩みを進める。
「何もお話したくありませんか?」
記者には、そのとき彼女が小さくうなずいたようにも見えた。
「朝早くから、こんな遅くまで、お仕事ご苦労さまでした」
そうねぎらうと、いきなりピタッと足を止め、不意に記者のほうに向き直った。
そして、マスク越しにも“作り笑いですよ”と、ハッキリ伝わる不自然な笑みを記者に向け、絞り出すようにこう言った。
「ご苦労さまでございました」
こくりと頭を少し下げ、足早に改札を抜けると、佳代さんは帰宅ラッシュのホームへと姿を消した。
「女性自身」2021年1月19日・26日合併号 掲載


コロナ後遺症の実態 退院後も疲労感や呼吸困難

2021-01-11 08:30:10 | 日記

下記の記事は日経グッディからの借用(コピー)です   記事はテキストに変換していますから画像は出ません

新型コロナウイルスの感染者数が激増するなか、このウイルスに感染・発症し、回復した患者の後遺症に関する情報も少しずつ蓄積されてきました。日本国内では、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)を発症し、軽症で済んだ若い患者が、PCR検査が陰性となった後も体調不良に悩み、元の生活になかなか戻れないなど、この感染症の後遺症と考えられるケースが報道されています。
世界でも、新型コロナウイルス感染症の回復後の患者を苦しめるさまざまな症状について調べた論文が、次々と発表されています。それらをいくつか紹介していきましょう。
軽症患者の半数に、1カ月後も味覚や嗅覚の異常
まずは、回復後も続く味覚障害と嗅覚障害について調べたイタリアの論文[注1]です。嗅覚や味覚の異常は、新型コロナウイルス感染症の初期症状として多く報告されていますが、イタリア・パドヴァ大学の研究者らは、こうした症状が1カ月も持続する患者が少なくないことを明らかにしました。
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対象となったのは、新型コロナウイルス感染症の発症時点で味覚障害または嗅覚障害があった113人の軽症患者です。これらの患者の経過を4週間後まで追跡したところ、55人(49%)は味覚障害・嗅覚障害の症状が消失していましたが、症状は改善したものの持続していた患者が46人(41%)、症状が継続または悪化していた患者が12人(11%)いました。これらの症状の持続は、新型コロナウイルスの感染の持続とは関係していませんでした。
入院した患者、退院しても約9割に何らかの症状が持続
やはりイタリアで行われた別の研究では、新型コロナウイルス感染症で入院治療を受け、2回のPCR検査で陰性が確認されて退院した患者143人がその後に経験した、さまざまな症状について報告しています[注2]。
143人の平均年齢は56.5歳、女性が37%でした。18人(13%)はICUに入院した患者で、77人(54%)が酸素療法を受けており、21人(15%)は非侵襲的な機械的人工換気(マスク式の人工呼吸器による換気)を、7人(5%)は侵襲的な機械的人工換気(気管チューブ、気管切開チューブなどを介した人工呼吸器による換気)を受けていました。入院期間の平均は13.5日でした。
発症から平均60.3日、退院からは36.1日の時点で、持続する症状の有無を調べたところ、症状がなかった人は18人(13%)にとどまり、残る125人(87%)には何らかの症状がありました。
持続していた症状として最も多かったのは疲労感(53%)で、続いて呼吸困難(43%)、関節痛(27%)、胸痛(22%)が多く報告されました。ほかには、せき、嗅覚異常、乾燥症、鼻炎、目の充血、味覚異常、頭痛、たん、食欲不振、咽頭痛、めまい、筋肉痛、下痢などが継続していました。症状の数が1つから2つだった人が46人(32%)、3つ以上あった人が79人(55%)で、QOL(生活の質)の低下は63人(44%)に認められました。
米国立アレルギー・感染症研究所(NIAID)を率いるAnthony Fauci(アンソニー・ファウチ)氏は、7月9日に行われた国際エイズ学会の新型コロナウイルス感染症プレスカンファレンスで「新型コロナウイルス感染症を発症し、治療を受けた後で、かなりの人が筋痛性脳脊髄炎(以前は慢性疲労症候群と呼ばれていた)に似た症状を示し、疲労感が強く、頭にモヤがかかったような状態で、集中できない日々が続いて、発症前の生活をなかなか取り戻せない、という話を聞いている」と語っています[注3]。
退院3カ月後も7割のCT画像に異常 4人に1人は肺機能異常
新型コロナでは退院後も後遺症に悩まされる患者が多いことが分かってきました。(写真提供:NIAID)
新型コロナウイルスの後遺症は、こうした自覚症状だけにとどまりません。中国鄭州大学などの研究者たちは、新型コロナウイルス感染症にかかり、退院した55人(軽症4人、中等症47人、重症4人)の患者について、退院3カ月後の胸部CT画像や肺機能を調べました[注4]。
その結果、35人(64%)に、退院後3カ月の時点でも新型コロナウイルス感染に関連した症状が残っていました。また、39人(71%)の胸部CT画像にさまざまな程度の異常が認められ、肺機能の異常も14人(25%)に見られました。
厚労省や呼吸器学会も調査に乗り出す
こうした情報に基づいて、日本の厚生労働省も7月10日、約2000人を対象に新型コロナウイルス感染症の後遺症についての調査を8月に開始すると発表しました。同省は、新型コロナウイルス感染症を発症し、退院後もさまざまな後遺症に悩む症例が医療現場から数多く報告されているものの、原因が明らかではないという事態を重視。重症者、軽症者からそれぞれ約1000人ずつ選んで、呼吸器の機能低下を中心に原因究明を進めることになっています。日本呼吸器学会も7月17日に、この問題に関する調査・研究を開始すると発表しました[注5]。
新型コロナウイルス感染症は2020年2月に感染症法上の指定感染症として定められたため、発症した人の医療費は、PCR検査の時点から公費で賄われます。しかし、PCR検査で陰性になり、退院が認められた後にも持続している症状や、新たに現れた症状に対する治療を受ける場合、自己負担は免れません。
若いから感染しても軽く済むだろう、あるいは、治療費は国が出してくれるから感染しても大丈夫、などと考えることは危険です。後遺症のような症状が長く続けば、身体的・精神的な苦痛に加えて、医療機関に通う時間も医療費もかかります。発症前の生活に戻るまでに、何週間も、何カ月もかかるかもしれません。「新しい生活様式」の下、日常生活を営んでいくためには、また、少しでも元の状態に近づけるためには、1人1人が、引き続き油断せずに感染予防策を徹底していくことが欠かせません。