謎パーク

いろいろな謎を考える。宇宙とか地球とかに関する謎や中南米謎の古代文明だとか。それとあっちこちの白昼の徘徊夜話だとか。

♪30年前にUPしたことのある「謎の中南米古代文明」ネタの復刻版どす(#^.^#)

2017-01-19 11:16:30 | 日記

 ご用とお急ぎでなく、ご奇特な方。お待ちしておりました。

神秘と恐怖の中南米古代文明

 中南米古代文明には、マヤ、アステカ、インカ、それからプレ中南米古代文明とも言うべきオルメカ等があります。マヤとオルメカは密林の中に、そしてインカ文明はアンデスの高地に栄えました。中南米古代文明を生んだのは、私たちと同じモンゴロイド人種のインディオです。そして、マヤ文明はスペイン人が新大陸に上陸したときにはすでに壊滅しており、アステカとインカは、スペイン人の手にかかって征服されてしまいました。それも、空前絶後の非道かつ陰惨な手口にかかって・・・。

  

血塗られた宇宙観

 中南米古代文明というと、まず思い浮かべるのが「血」です。マヤ、アステカそしてインカにおいても、おびただしい血が流されました。とくに、マヤとアステカにおいては、宗教上の儀式として「いけにえ」が捧げられ、その数は年間、数万人にも及びました。
 彼らの宗教観、たとえばアステカのそれは以下のような独特のものでした。

「太陽は宇宙の暗黒を照らし、夜と死と悪の恐怖から人類を救ってくれる。この太陽の力が弱まれば、日照りや豪雨,雷、そして火山の爆発、地震などが襲い、人間が永遠の破滅に陥る。だから,太陽の力が弱まらないように、夜な夜な虚無の暗黒と戦う太陽に力を貸さねばならない。
 太陽は、夜の闇の中の無数の星と戦っている。その星の数のようにたくさんの捕虜を戦争でつかまえて、いけにえに捧げなくてはならない。一人一人の捕虜が、一つ一つの星に相当する。破壊的な宇宙の力ときわどい戦いをつづける太陽に栄養を与え、人間の世界の生存を確保するために、いけにえの捕虜はピラミッドの頂上で虐殺され、どくどくと流れるその血や、生身からとり出された心臓は,太陽に捧げられねばならない」
(増田義郎著「古代アステカ王国」による)

 何ともすざまじい宇宙観です。そしてアステカ人は、この考えを実行にうつしたのです。上に紹介した絵の一番目は、捕虜の心臓をえぐり出して太陽に捧げている光景です(「コディセ・フロレンティーノ」による。増田義郎著「古代アステカ王国」より引用)。
 また二番目の絵は、現在われわれが使っているグレゴリオ歴よりも正確と言われるマヤ歴の伝統を受け継いだアステカのカレンダーで、石に刻まれています。
 三番目の絵は、スペインのコルテス(アステカを滅ぼした首謀者)軍下の武将の一人、アルバラードの一隊がテノチティトラン(アステカの首都)のアステカ人を虐殺している光景です(「コディセ・ドゥラン」による。増田義郎著「古代アステカ王国」より引用)。ある者は顔に槍を突き刺され、床にはすでに殺された者の首や腕が転がっています。

 中南米古代文明の概要

  マヤ、アステカ、インカの各文明の興った地域は、下の地図のとおりです。この地図も増田義郎著「古代アステカ王国」から採ったものです。同書はアステカ文明を論じた書物の中でも群を抜く名著ですので、アステカについて詳しく知りたい方はぜひ読んでください。中央公論社の中央新書版として出ていたのですが、現在はたぶん絶版。amazonで中古本が1円で買えます。
 この地図からわかるように、マヤ文明はメキシコの東部からグァテマラ一帯にかけて栄え、アステカはメキシコの中心部(メキシコの首都のメキシコシティ)、そしてインカは南米ペルーを中心にコロンビアからチリにいたる広大な一帯で栄えました。

 中南米最古の文明は何か?

 中南米古代文明において有名なのはマヤ、アステカ、インカですが、中南米最古の文明と言われる「オルメカ文明」については、あまり知られていないようです。
 この文明の痕跡が最初に発見されたのは1858年、メキシコ湾に面したベラクルス川に沿ったジャングルの中です。下の人頭巨石像がそれです。土地のインディオが木を切り払っている最中に見つけました。面白いことに、この巨石は“たたり”を呼ぶものとして恐れられ、早々に埋め戻されてしばらくの間は日の目を見ませんでした。
 現在までに少なくとも14個発見されており、最大のものは高さ3m余、重さ30tにも達します。玄武岩の原石は川をいかだで運ばれたと思われますが、石切り場はいちばん近いところでも100kmも上流にあります。
 以下の人頭巨石像写真の下側の写真を見るとわかるように、明らかにニグロイド系の風貌をしています。アメリカ大陸に黒人がやってきたのはコロンブス以降ですが、それよりも2千年以上も前にここに黒人系の民族が住んでいたというのでしょうか?

 かと思うと、下の写真のように、あごひげ、口ひげをつけた白人のような風貌の人物像も残しています。もしかして古代オルメカは、黒人、白人、モンゴロイドのすべての人種のるつぼだったのかも!

オルメカ文明の発祥は3200年前

 オルメカ文明は3200年前頃、メキシコ湾岸のベラクレス、タバスコ両州の湿潤な沼沢地帯に興りました。戦いと征服を通じて勢力を広げ、南東はマヤ族の地域、西はサポテカ族のモンテアルバンにまで及びました。そしてついには中央メキシコ全域に広がり、彼らの文化遺産は後にテオティワカンなどを建設した民族に引き継がれました。その考古学的な解明はまだ発展途上です。 

 現代人の度肝をぬく造型感覚

 タバスコ州のラベンタからは、オルメカ文明の最盛期である紀元前800年~500年頃のものとされる遺構が出土しています。小規模な階段ピラミッドや、アメリカ大陸最古の球技場跡、そして墳墓群が見つかっています。
 オルメカ文明を特徴づけるのは何といっても人物像で、その造形感覚はわれわれ現代人の度肝を抜くものばかりです。たとえば、上の赤ん坊像。なぜかオルメカ人は、赤ん坊の像(それも泣いているのが多い)を好んで作りました。その下の写真は女性像ですが、切れあがった目、分厚い唇が特徴です。

 下の写真の上側は何か(おそらく雨の神)を捧げ持つ男性像ですが、先の女性像とまったく同じ特徴を備えています。下側の奇怪な像は、ジャガーと人間の半人半獣像であって、ジャガーはオルメカの主神です。この像はグァテマラで発掘されたもので、オルメカ文化がいかに広く浸透していたかがわかります。

 

 

古代の砂漠に花一輪。女だてらに勇猛果敢、でっかい帝国おっ建てた。その花の名はパルミラ女王ゼノビア。だけど、ここに登場するゼノビアさんは、えっちょっと、とたじろうじゃうかもしんない女王さま・・・なの。⇒パルミラ幻想 

アステカ帝国の興亡と帝国末裔の民が新国家「アストラン」を樹立し、435年後にオリンピックを招致・開催するまでにいたる物語⇒アステカ物語

宇宙の謎・地球の謎の迷路をへ巡る謎パーク別館⇒Sui族館