1/6「善意の沈黙」
今日経産省テントでは
「政府の新エネルギー政策に関する」抗議申し入れ記者会見があった。
この寒さの中、
本当に原発を止めたいと念じている郡山市民の人見やよいさんや、
活動家の方々が
今日が締め切りの
パブリックコメントにもう一押しするため、
経産省前テントに集合し、
各々の立場から発言をした。
その際東電株主代表訴訟の「木村結さん」が
「最近の市民は「福島の人々は大変だ、」と言いながらも、
それについて抗議もしない。
それは「沈黙の善意」なのではないのだろうか」と言う発言をした。
つまり、
日本人の多くは今の生活や政治に対して不満を持っているが、
はっきりと発言をしない。
それは単なる「不満」なのであって、
意見を言わないと言う事は「NO」では無く
「YES」なのだと言う事に等しいと言う事を意味している。
格言に「沈黙は「金」」と言う諺がある。
黙っている事が美徳であり、
そうゆうのが日本人固有の文化であると言う事なのかもしれないが、
政治家はその美徳とやらを悪用している。
そして、それが最近の政治手法なのだと思っているらしい。
しかし、3、11以降、
「私達が沈黙しているのはおかしい」と言う事が世間を駆け巡った結果、
金官デモが始まり、
今日では国会包囲や官邸前抗議が普通の風景として定着しつつある。
しかし
未だに家の中のテレビが唯一の情報源で後は道ですれ違う会話程度しか話をしない人々が
テレビを相手に不満をぶつけている。
そして、一歩外に出たとたん、
「愛想のいい人」と思われたいが故に,
お天気などの話で誤摩化している。
それでは本当の意味での「社会人」「主権者」と言えるのかどうか疑問である。
木村さんは更に
「もう、善意の沈黙をやっている時間はないのではないか」とも話された。
今年、来年と私達を襲う重大問題は数が多すぎ、
負いきれないものばかりである。それに対してきちんとした態度を取れるどうかで
これからの私達の方向性も決まるのではないか。
その所をもう一度考え直す時期に来ていると感じている。