坂本龍、日本の整体

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【社】中川昭一、ネトウヨ、国益

2009-10-06 11:33:33 | 日記
 今回の中川昭一さんの急死の後、彼がいわゆるネトウヨに極めて
人気が高いのを知りました。中川さんだけではなく、安部氏、麻生
氏もネトウヨに人気が高いんですね。
 この三者の共通点は、ネトウヨが好んで使う用語である『保守』
もしくは『真正保守』です。しかしネトウヨの掲げる『保守』とは、
『進歩主義 ⇔ 保守主義』
『リベラル ⇔ 保守』
という左右対立軸上の『保守』ではないようです。

 彼らの言う『保守』の意味は、『国益』という意味に限りなく近
い。だからネトウヨの脳内では、『保守』の反対語が『進歩』や『リ
ベラル』ではなく、『売国』になる。

『左翼』  ⇔ 『右翼』
『リベラル』⇔ 『保守』
『売国』  ⇔ 『国益』
ゆえに、
『サヨク』 = 『リベラル』 = 『売国』

という、訳のわからん関係式がネトウヨの脳内には常駐しているよ
うです。

 本来は、左の政治家も右の政治家も(そして官僚も)、国家公務
員である以上は国益第一があるべき姿です。現在の、そして短期的、
中長期的将来の国益(国民益)を実現する上での選択肢上の路線対
立、それが『左⇔右』なはずです。

 しかし、きわめて長期に渡る自民党一党支配の間に、権力は腐敗、
堕落し、政治は国内外の政商(=越後屋守銭奴=強欲なる者達)の
介入を許してしまった。
「右を見ても左を見ても、売国奴と亡国奴の絡み合い」
です。

 中川昭一さんが知的側面においてそれなりに優秀だったのは確か
です。サブプライムローン問題→リーマンショックという嵐の中、
世界金融で何が起こっているのかを一定程度把握する能力はあった。
しかし彼もまた『それなりに優秀』にしか過ぎません。リーマン・
ショックの08年の秋、テレビでの彼の主張を聴いて、
「優秀だ、うむ、彼なら大丈夫だ。」
とは思えませんでしたから。

 彼は二浪して東大ですから『ギリギリ東大』なわけです。そんな
『ギリギリ東大』な彼は、『ラクラク東大』な官僚たちの説明を、
少なくとも理解する能力はあった。
 しかし安部氏や麻生氏のような『低能』『アホボン』、あるいは
『ギリギリ東大』『それなりに優秀』レヴェルの人が日本丸の舵を
握る事自体、亡国への道だと思うのです。

 日本最大のピラミッド状組織、それが政府です。政府はその持て
るリソース(人・物・金・情報・権限)において、強大な怪物のよ
うな物です。官僚はその怪物の手足に過ぎません。そして内閣と内
閣総理大臣こそが、その脳髄なのです。

 官僚は秀才ぞろいです。彼らをそれこそ手足の様に使いこなすに
は、彼ら以上の秀才である必要があります。秀才は超秀才に弱いも
のです。
 または優等生的な官僚が逆立ちしても持てないようなカリスマ的
な能力を持つとかですね。優等生的な秀才は、カリスマ的な天才に
は弱いものです。

 我々のこの日本丸には一億二千七百万人の国民が乗っています。
日本丸の船橋につめるクルー(乗員)やキャプテン(船長)を選出
する時、
『チーム・世襲』
『チーム・ギリギリ東大』
『チーム・ラクラク東大』
『チーム・Best&Brightest(哲人)』
の4チームの内、どれを選出したいですか?

「Best&Brightest(哲人)こそを、まつりごとの場に。」
「国政は国益のために。」

この当たり前の原点に、国政を整体しなければならりません。

 中川昭一さんが、『国益』というものを重視していた政治家であっ
たのは事実のようです。それは国政をあずかる政治家にとっての当
たり前の姿ですが、当たり前が当たり前でないという現状において、
彼のその姿勢は一定程度評価されてしかるべきだと思います。

                        合掌