坂本龍、日本の整体

Perfume、社会科学(政治経済)、自然科学などなど、思うところを

【P】Perfume・MAGIC

2009-08-24 08:04:42 | 日記
 ちょっとオカルトチックな例え話。
「崖の上のポニョ」の舞台のあの町は、広島県福山市という、無理やりの
Perfumeつながりと言う事で。

 去年、ポニョのロードショウを観た直後、
「宮崎駿、終わったな・・・orz」
と思った。何に比較して終わったのかと言ったら、トトロに対してである。
で考えた。
「ポニョには無くて、トトロにあるものは何だろうか?」
と。それをトトロとポニョの両方を観た周りの人に片っ端からきいてみた。
しかし誰もが言葉につまった。
「トトロの魅力って何なんだろう?」
ともきいてみた。しかし、同様だった。そして至った結論。
「大切な事は、言葉に出来ない。」
そしてこれは、
「始めに、LOGOS、ありき。」
の“LOGOS”を“言葉”と訳した西洋の、そして西洋近代への、宣戦布告な
のだ。

 「細部に、神、宿る。」

 これは、
「細部をおろそかにしては、神は宿らん。」
という意味にもとれる。全てのクリエイターが常に心に留めて留おかなけれ
ばならない箴言(しんげん)だろう。トトロに比べ、ポニョは、細部をおろそ
かにされた。ポニョのトトロに対する敗因は、一言で言えば、
「宮崎駿の半径3メートル以内に、里山は有ったが、海は無かった。」
という事だ。その内、トトロとポニョに関する考察、アップします。


 で、ここからがオカルトな例え。

 “魔法陣”ってのがある。ちょっとフラクタルっぽい図だ。東洋で言えば、
真言密教の曼荼羅がフラクタルっぽくはある。なんか、呪術的で神秘的であ
る。魔法陣、曼荼羅の共通点は、細部まで細かく書かれている点、そして一
定の自己相似性がある点である。そういう絵ってのは、それだけで神秘性を
帯びて感じられる。数理にのっとって描かれたフラクタル絵は、細部は永遠
に続き、そして自己相似性を持つがゆえに、数理にのっとっているにもかか
わらず、神秘的に感じられる。細部の精緻さ、自己相似性。自然もまた、そ
のように出来ている。

 トトロは細部まで精緻に描かれているという。従来、漫画やアニメでは、
植物は“緑色の塊”という“記号”として描かれるのみだった。我々は、緑
色の塊という記号を見れば、それを植物であると脳内変換するのが常であっ
た。しかしトトロでは、植物の“種”が、こまごまと描き分けられているのだ。

 「細部に、神、宿る。」
そうした細部が魔法陣の重要な一角一角を占める事により、そこにMAGICが
創発した。MAGICの創発だからこそ、それは、言語化不可能なのだ。

 Perfumeという、MAGIC。
 魔法陣において、一角一角に配置するものは、完全なものばかりではない。
「三本足のイモリの黒焼きを、南南西の位置に配置せよ。」
とか。三本足である事は、イモリにとっては不完全な事である。しかしその
不完全さが、完全なる魔法陣の一角には必要なのだろう。

 Perfumeという、魔法陣。
 ポリプレイク直前、Perfumeには完璧といってもいいくらいの魔法陣が形
成されていた。その一角一角のそれぞれをよく見れば、それは完全と言える
ものばかりでは無かった。ビミョ~なルックスとかね。しかしその不完全な
一角一角によって形成された魔法陣は、完全であったのだ。しかしそれは、
“静的魔法陣”であった。
 そしてそれはポリブレイク後の状況変化によって、その一角一角が崩され
ていった。

 最初の崩壊は「Dream Fighter」だったと思う。あれは明らかにヤスタカが、
“売れる事” “売れている事” “売れなければならない事”を意識して
作ったものだ。また“売れた事”によって、メンバーやスタッフの意識は変
わらざるを得なくなった。また“売れた”事によって、ゴシップ誌やその他
ゴシップ・メディアに狙われるようになった。
 そして魔法陣は一角一角を崩され、PerfumeMAGICは今、風前のともし火で
ある。

 PerfumeがPerfumeで有り続けるために、MAGICが不可欠であるとするならば、
直ちに陣形を整えなければならない。そしてそれは、“動的魔法陣”とでも
いうものでなければならないのだ。

 「無形の形」 「上善如水(上善、水のごとし)」
これもまた、箴言である。


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