別にモラトリアムの対象は元本でも金利でも良いのだけれど。
ちょっと亀井さんの経済観に対して。
「銀行が困った時は公金注入で救った。それもこれも銀行が公的機能
を果たす公的責任を持った公的存在だからだ。ならば融資先が困って
る時は銀行は公的責任を果たし融資先を助けるのは当たり前である。」
彼の観はこんな感じみたいです。でもこれは妥当な観なのでしょうか。
銀行は『金融の信用秩序の要』です。
『金融』 = カネの融通
『信用秩序』 = 貸した金が返ってくるという信用
ですね。2008年の9・15リーマンショックは何がショックだったの
でしょうか。この世界金融の信用秩序の底が抜ける一歩手前だったっ
て事です。金融信用秩序は公的資源なので、その要たる銀行が公的な
存在、一定の公的責任を持つのはその通りです。ゆえに一定の公的規
制や公的保護の下にある。でも同時に銀行は、会計年度ごとの決算に
縛られたプライベートな民間の存在でもあるのです。
80年代後半のバブルの発生、そして90年代前半での崩壊とは何だっ
たのでしょうか。
①85年のプラザ合意
②その後の急激なドル安・円高。
③それに伴う円高不況
④日銀のそれへの対応としての低金利政策
⑤不動産、株への投機バブル発生
⑥バブル景気ゆえの税収の自然増収
⑦そのカネを竹下政権がふるさと創生でバラ撒き
その額はGDPの1%をゆうに超える巨額
それがバブル景気の火に油を注ぎ、バブルのさらなる過熱
↓
⑦政府による銀行への行政指導「不動産融資の総量規制」
↓
⑧バブル崩壊
ですね。
一つの銀行の経営が傾いたのなら、それは経営者の責任でしょう。
しかしバブルの発生と崩壊の様に銀行が総じて経営難に苦しんだのは、
経営環境の悪化があったという事です。そして金融の環境を整えるの
は、政府や中央銀行といった公的部門当局の職務であり責任です。そ
の当局の作為と不作為の責任こそが、第一に非難されるべきです。
そもそもが円高不況への対処としての④の低金利政策は、自民党政
府の長年の放漫財政ゆえに機動的な財政政策に頼れず、過度に金融政
策に頼ったからです。また⑥の自然増収分をバラ撒いたのは、不況時
なら財政出動でバラ撒き、好況時には自然増収でバラ撒くという自民
党政権のバラマキズムゆえの大失政です。一月は正月で酒を飲み、二
月は節分で酒を飲み、みたいなものです。バラマキズムこそが自民党
の集金集票の要であり、自民党の生命維持装置だったのですから。
公的部門の失政により公的資源たる金融信用秩序が危険にさらされ
た。ならば公的資金でそれを支えるのは当然です。
リーマンショックもまた、公的部門の失政ゆえです。金融機関のサブ
プライムローンやCDSを象徴とするデリバティブ金融商品の開発販売。
それを野放しにした政府と中央銀行当局の不作為責任です。医薬品の開
発販売には規制がかけられています。社会的世界的影響が巨大な金融商
品もそうあってしかるべきだったのです。リーマンショックは薬害エイ
ズなんかよりよっぽどタチが悪いです。まぁデリバティブ金融商品を開
発してるのは、冷戦終結後に米軍や軍需産業やNASAをクビになった、一
流大学の数学や物理学の博士号を持つ超秀才だったりしたわけです。で
も販売してるの人や監督してる役人にはまったくのブラックボックスだっ
たりしてたわけです。このコミュニケイションの断絶たるや・・・
HIVウィルスに汚染された血液製剤を販売していた現場の営業マンが、
その危険性を十分には知らなかったというのと同様ですね。
公的部門の失政による経営環境の悪化。それへの民間企業としての当
然の適応行動としての、貸し渋り&貸し剥がし。それはそうそう単純に
非難されるべきものではありません。
鳩山政権が援助すべき対象は債務者ではないのだと思います。では日
本の再生を目指す鳩山政権が援助すべき対象はあるのでしょうか。ある
とすればそれは何なのでしょうか。
それは『バンカーの心意気』なのだと思います。
明治維新以降の富国強兵、殖産興業。そして戦後の焼け野原からの復
興。そのどちらの局面においても、バンカー達の果たしてきた役割は極
めて重要なものでした。技術、人材育成、組織運営、それら優れた能力
は持ちながらも資金に恵まれない経営者達を、カネの面で後方支援する。
優れた経営者と、そして優れたバンカーとの二人三脚、そしてそこで奏
でられた美しい協奏曲。(バブル期においてはそれが狂想曲となってし
まったのですが。)
そんな協奏と交響があってこそ、いくつもの世界的企業がこの日本か
ら羽ばたいたのです。またそんな世界的企業を支えてきた町工場とバン
カーの関係も同様です。そこで働く名も無き人達の『住』の確保を支援
する住宅ローンもまた同様だったのです。
融資先がダメだと見切ったら、元利を早急に回収し回収率を上げるの
もまた、銀行として当然の適応行動です。しかし自己資本比率規制など
ゆえに、融資先に希望あれどしかし杓子定規に元利の回収に走らなけれ
ばなければならない。そんな局面も当然あるでしょう。そしてその杓子
定規の回収が、融資先の息の根を止めてしまう事も。
融資先に希望があるのかないのか。それを最も知っているのは、現場
のバンカー達です。
そんな厳しい局面に置かれているバンカーの心意気を後方支援する。
政府によるそんなモラトリアム政策ならば、多くの人達の賛同を得られ
るのではないでしょうか。
『バンカーの心意気』
随分とまた青臭い言葉を使ってしまいました。しかしまた我々のこの
日本は、現場で働くひとりひとりのそんな『青雲の志』を回復しなけれ
ばならない局面にあるのだ。それもまた、事実だと思うのです。
当blogの目次に戻る。
ちょっと亀井さんの経済観に対して。
「銀行が困った時は公金注入で救った。それもこれも銀行が公的機能
を果たす公的責任を持った公的存在だからだ。ならば融資先が困って
る時は銀行は公的責任を果たし融資先を助けるのは当たり前である。」
彼の観はこんな感じみたいです。でもこれは妥当な観なのでしょうか。
銀行は『金融の信用秩序の要』です。
『金融』 = カネの融通
『信用秩序』 = 貸した金が返ってくるという信用
ですね。2008年の9・15リーマンショックは何がショックだったの
でしょうか。この世界金融の信用秩序の底が抜ける一歩手前だったっ
て事です。金融信用秩序は公的資源なので、その要たる銀行が公的な
存在、一定の公的責任を持つのはその通りです。ゆえに一定の公的規
制や公的保護の下にある。でも同時に銀行は、会計年度ごとの決算に
縛られたプライベートな民間の存在でもあるのです。
80年代後半のバブルの発生、そして90年代前半での崩壊とは何だっ
たのでしょうか。
①85年のプラザ合意
②その後の急激なドル安・円高。
③それに伴う円高不況
④日銀のそれへの対応としての低金利政策
⑤不動産、株への投機バブル発生
⑥バブル景気ゆえの税収の自然増収
⑦そのカネを竹下政権がふるさと創生でバラ撒き
その額はGDPの1%をゆうに超える巨額
それがバブル景気の火に油を注ぎ、バブルのさらなる過熱
↓
⑦政府による銀行への行政指導「不動産融資の総量規制」
↓
⑧バブル崩壊
ですね。
一つの銀行の経営が傾いたのなら、それは経営者の責任でしょう。
しかしバブルの発生と崩壊の様に銀行が総じて経営難に苦しんだのは、
経営環境の悪化があったという事です。そして金融の環境を整えるの
は、政府や中央銀行といった公的部門当局の職務であり責任です。そ
の当局の作為と不作為の責任こそが、第一に非難されるべきです。
そもそもが円高不況への対処としての④の低金利政策は、自民党政
府の長年の放漫財政ゆえに機動的な財政政策に頼れず、過度に金融政
策に頼ったからです。また⑥の自然増収分をバラ撒いたのは、不況時
なら財政出動でバラ撒き、好況時には自然増収でバラ撒くという自民
党政権のバラマキズムゆえの大失政です。一月は正月で酒を飲み、二
月は節分で酒を飲み、みたいなものです。バラマキズムこそが自民党
の集金集票の要であり、自民党の生命維持装置だったのですから。
公的部門の失政により公的資源たる金融信用秩序が危険にさらされ
た。ならば公的資金でそれを支えるのは当然です。
リーマンショックもまた、公的部門の失政ゆえです。金融機関のサブ
プライムローンやCDSを象徴とするデリバティブ金融商品の開発販売。
それを野放しにした政府と中央銀行当局の不作為責任です。医薬品の開
発販売には規制がかけられています。社会的世界的影響が巨大な金融商
品もそうあってしかるべきだったのです。リーマンショックは薬害エイ
ズなんかよりよっぽどタチが悪いです。まぁデリバティブ金融商品を開
発してるのは、冷戦終結後に米軍や軍需産業やNASAをクビになった、一
流大学の数学や物理学の博士号を持つ超秀才だったりしたわけです。で
も販売してるの人や監督してる役人にはまったくのブラックボックスだっ
たりしてたわけです。このコミュニケイションの断絶たるや・・・
HIVウィルスに汚染された血液製剤を販売していた現場の営業マンが、
その危険性を十分には知らなかったというのと同様ですね。
公的部門の失政による経営環境の悪化。それへの民間企業としての当
然の適応行動としての、貸し渋り&貸し剥がし。それはそうそう単純に
非難されるべきものではありません。
鳩山政権が援助すべき対象は債務者ではないのだと思います。では日
本の再生を目指す鳩山政権が援助すべき対象はあるのでしょうか。ある
とすればそれは何なのでしょうか。
それは『バンカーの心意気』なのだと思います。
明治維新以降の富国強兵、殖産興業。そして戦後の焼け野原からの復
興。そのどちらの局面においても、バンカー達の果たしてきた役割は極
めて重要なものでした。技術、人材育成、組織運営、それら優れた能力
は持ちながらも資金に恵まれない経営者達を、カネの面で後方支援する。
優れた経営者と、そして優れたバンカーとの二人三脚、そしてそこで奏
でられた美しい協奏曲。(バブル期においてはそれが狂想曲となってし
まったのですが。)
そんな協奏と交響があってこそ、いくつもの世界的企業がこの日本か
ら羽ばたいたのです。またそんな世界的企業を支えてきた町工場とバン
カーの関係も同様です。そこで働く名も無き人達の『住』の確保を支援
する住宅ローンもまた同様だったのです。
融資先がダメだと見切ったら、元利を早急に回収し回収率を上げるの
もまた、銀行として当然の適応行動です。しかし自己資本比率規制など
ゆえに、融資先に希望あれどしかし杓子定規に元利の回収に走らなけれ
ばなければならない。そんな局面も当然あるでしょう。そしてその杓子
定規の回収が、融資先の息の根を止めてしまう事も。
融資先に希望があるのかないのか。それを最も知っているのは、現場
のバンカー達です。
そんな厳しい局面に置かれているバンカーの心意気を後方支援する。
政府によるそんなモラトリアム政策ならば、多くの人達の賛同を得られ
るのではないでしょうか。
『バンカーの心意気』
随分とまた青臭い言葉を使ってしまいました。しかしまた我々のこの
日本は、現場で働くひとりひとりのそんな『青雲の志』を回復しなけれ
ばならない局面にあるのだ。それもまた、事実だと思うのです。
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