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禅と薔薇

高島市 曹洞宗 保寿院 禅の話と寺族の薔薇のブログ

十二時

2014年12月18日 | 小さな法話
趙州禅師は中国の唐の時代の禅僧で、法話でよく紹介される僧侶です。
この趙州禅師が、弟子との問答でこのようなことを言われました。
「汝は十二時に使われ、老僧は十二時を使い得たり」

当時は、一日を十二分割して数えていましたので、ここでいう十二時とは今でいう二十四時間のことです。
あなたは時間に使われているが、老憎(私)は時間を使い切っている。
あちこち思慮をめぐらしすぎず、目の前のことにしっかり対応しなさいということです。

これは、何も「時間」ばかりに限ったことではなさそうです。


庭が雪で真っ白になりました。5月ごろまで薔薇がうちに力をためる季節です。

月落不離天

2014年12月17日 | 小さな法話
禅語に「月落不離天」があります。

「仏法とは何か」という問いに対しての答えは「水流れて元の海に在り、月落ちて天を離れず」。

水はあちらこちらを流れていますが、たとえどこを流れていても
いずれは大海へ流れ込みます。
月は東から上り西へ沈みますが、やはり天にあります。

目には異なったように見えても、その本分は変わりません。
「ほとけの教え」も決して特別なものではなく、私たちの身近なところにあるものです。そのことに気付くことが大切なのです。




行道

2014年12月16日 | 小さな法話
大勢の僧侶が揃う法要の際は、「行道」あるいは「遶行」と呼ばれる僧侶が歩きながらお経を唱えることがあります。
普段は、ご本尊様の前などを横切ることはないのですが、この時ばかりはやむをえません。

この「行道」は、仏に対する敬意を表したもので、円を描くような場合やコの字形の場合などがありますが、いずれも右回りに回ります。

このような法要の動きをとっても、それぞれに深い意味が込められているのです。
意味を知ることで、より供養が深まるのかも知れません。

「ラ・マリエ」が蕾をふくらませていますが、寒さのせいでしばらくそのままです。咲かないままかも知れません。

ザル

2014年12月14日 | 小さな法話
「ヤバイ」という言葉は、もともと否定的な使い方でしたが、最近では「おいしい」などという意味の肯定的な使われ方をしているようです。
言葉といえども、変化をしていくものです。

関山慧玄(かんざんえげん) という禅僧のお話です。

ある雨の日のこと、雨漏りがしたので関山慧玄は弟子たちに「何か雨漏りを受けるものを持ってきなさい」と大声で叫びました。

すかさず、ひとりの弟子が手元にあった「ザル」を差し出しました。
「ザル」で雨漏りが受け取れるはずもありません。
ほかの弟子たちは、何かないかと右往左往するばかり。

ところが、関山慧玄は、この「ザル」を持ってきた弟子をほめ、ほかの弟子たちを叱責しました。

確かに「ザル」では雨漏りが受け取れるはずもないのが常識ですが、右往左往してもどうにもなりません。
常識にとらわれず咄嗟にとった、ひとりの弟子の行動こそが「禅」に通じるものだということです。

閑古錐

2014年12月13日 | 小さな法話
頭の切れる人=仕事ができる人、という漠然としたイメージがあります。
何事もテキパキできる人、さまざまな知識を持ち合わせた人、こういった人を「鋭い人」と感じることがあります。

ところが、「禅」に卓越した人を「閑古錐」〈かんこすい〉とたとえることがあります。
「閑」は、ひまとか落ち着いたという意味で、錐は大工道具の「きり」のことです。
長年使いこまれて、もともとは先端がとがっていた錐が次第に丸くなり、円熟した存在にかわることをいいます。
歴史上の人物のなかにも、「ドン」と構えた人がたくさんおられます。

古くて尖らない錐のようであることは、目先の事にとらわれなかったり、損得勘定が少なかったりすることなのかも知れません。