世界の面白話で笑ってる間に博学者になれます。

 歴史や世界史が面白いと思った事あった?反対に諺が全くのうそだったり、雑学の凄さを、是非楽しみながら物知りになって下さい

世界に通用する本当のジョーク【密告は急げ!】

2008年09月11日 23時19分55秒 | Weblog
 【混乱の1950年】
 スターリンにとって、権力維持を絶対的なものにするためには、反対派に対するコンスタントな監視とカウンターが必要だった。勝ての意を受けた秘密警察の長官ラヴレンテイ・ベリアはロシア中にインフォマ―・ネットワークを張り巡らせ、完全な密告社会を作り上げた(1917年のボリシエヴィキ革命を守るという名目でチェカ――「全ロシア非常委員会」が設立され、秘密政治警察として権力をふるうが、22年に廃止され、かわりにGPU隣その後OGPU、NKVDとなり、54年にKGBと改名される。しかしその後も、チェカという言葉は一般ロシア人の間では秘密警察の代名詞として使われ続けた。)
 密告社会においては親子でも友人でも信用できない。自分の親を密告した息子の銅像が建てられた例さえある。だから自分が話すことには注意だ必要だし、誰かが反党的言葉を話すのを聞いたら当局に報告しなければならない。それをしないで、後で罰せられたケースは多い。
 
 シベリアの強制収容所で2人の男が話し合ってる。
「何年くらったんが?」
「10年」
「何をやらかしたんだ?」
「何も」
「そりゃ変じゃないか。何もしないで5年というならわかるが、10年ともなれば何かあるはずだ」
「そうだなあ、あえて言えばものぐさだったということかな」
「江場でサボったりしたわけか。それならわかる。サポタージュの罪は軽くはないからなあ」
「いや、そうじゃないんだ。ある晩友人と飲みながら等についてのジョークを言い合っていたんだ。友人が帰った後チェカに密告しょうと思ったんだが、その晩はみぞれが降っていてやけに寒かった。それで密告は翌日の朝でいいと思って寝てしまった。それが運のツキだった。おれが寝てる間に友人が密告しちまったんだ。」

KGB本部はモスクワのジュルリンスキー広場にある。チェカの初代長官だったポーランド人のフェリックス・ジェルジンスキーにちなんでつけられた名称だった。1991年の12月、ソ連邦が崩壊するまで本部のビルはルビヤンカと呼ばれていた。
 ソ連崩壊後、すぐに私は取材で入ったことがあるが、その巨大なビルは中が迷路のようになっていて。案内者なしでは到底動きが取れないほど複雑だった。そのうえ暗く、威圧感があり、吐いた途端に絶望感を覚えさせるような雰囲気に満ちている。容疑者をしょっ引いて来るには理想テイな場所かもしれない。だから次のようなジョークもごく現実的に受け取れるにである。

Q:モスクワで1番長い道は?
A:ルビヤンカ
Q:なぜ?
A:いったん入るといつ出られるか分からない。迷っても聞ける人だいない。出ら  れたとしても、くたくたになる。
    S・masanori