“恐怖政治下に生きる知恵”
第二次世界大戦はアメリカ・イギリス・などの連合国の勝利に終わった。しかし世界舞台に新たな紛争の火種がくすぶり始めていた。国際共産主義である。
大戦が終わった時、唯一の原爆保有国はアメリカだった。多くのアメリカの政治家や軍人はその新しい爆弾によって”バックス・アメリカーナ”が現実のものになると信じていた。その状況がそのまま続けば確かにそうなっていたかもしれない。
しかし、アメリカが原爆製造に成功した4年後の1949年ロシアも原爆製造に成功する。52年、アメリカは水爆実験に成功するが、翌年ロシアも成功。当時最終兵器と言われた原水爆を持った両国は冷戦の深みにはまってゆく。
当時のロシアはスターリンによる鉄の支配の下に、近代史まれに見る恐怖政治が敷かれていた。
1924年1月レーニンが死去。その後スターリン、トロッキー、ジノヴィエフらの間で繰り広げられた壮烈な権力争いの結果、スターリンが生き残る。スターリンは権力を固めるために粛清に次ぐ粛清を行ったが、そのためにシベリアの収容所送りになったり、集団農場化のために起きた大飢饉でしんがりした人々の数は2000万人は優に下らないといわれている。
ヒットラーでさえも成しえなかった、自国民に対する一大スケールのジエノサイドであった。
人類最大の殺戮者と言ってもいい。殺しの記録で彼に並ぶ者がいるとしたら毛沢東ぐらいなものだろう。「もっともヒットラーも、もしドイツ国内にユダヤ人、ジプシー、身障者が3000万人いたら全部殺していただろう。 NO2につづく
Amakusa sirou