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 歴史や世界史が面白いと思った事あった?反対に諺が全くのうそだったり、雑学の凄さを、是非楽しみながら物知りになって下さい

世界に通用する本当のジョーク..!”100歳はまだ若蔵”のつづき

2008年08月31日 01時13分47秒 | Weblog
 これらのジョークと同時に、彼らユダヤ人がことのほか子供を大事にし、子供に為に多大な犠牲を払うということも良く知られている。それを皮肉ったジョークは多々あるが、代表的なものをひとつ。
 100歳の老人と95歳の老婆が、判事を訪ねてきて離婚をしたいと申し出た。
 判事が聞いた。
 「何年くらい結婚生活をしていたのかね?」
 「75年です」
 「その期間幸せを感じた期間は?
 「まったくありません、ずっと不幸でした」
 「じゃずっと前に離婚すればよかったにじゃないかね。なぜ今になってきめたの かね?」
 「子どもたちが全員死ぬのを待ってたんです」

 イスラエルについて話すとき、欠かすことが出来ないのはシオネズムデアル。シオンに帰りユダヤ人国家建設のための運動であるが。アラブ人から見ればこれはとんでもないことであり、ユダヤ人によるパレスナチ侵略以外の何物でもなかった。
 しかも何度闘っても叩き潰すことが出来ない。イスラエル軍は不敗という神話までうまれてしまった。
 しかしそれゆえにイスラエルに対する世界の風当たりは強ィ。国連などは1975年にシオニズムをレーシズム(人権差別主義)であるという決議を可決した。
「この決議は撤回されるのに15年以上かかった」
 多くのイスラエル人がUNを”ユナイテッド・ナッシング”とう呼ぶが、彼らから見れば国連はアラブ諸国と、それを支持するロシアによってイスラエル・バッシングに為に使われてきたとしか思えないのだ。
 1981年、イスラエル空軍はイラクのバクダット郊外タムーズにほとんど完成しつと会ったオシラク原子炉を爆撃して破壊した。イスラエルにしてみれば、もしあの原子炉が出来上がり、サダム・フセインが原爆を持ったら、最初の標的となるのが彼らであることは十分知っていた。現にサダムはずっと以前からイラクが原爆を作り、イスラエル国家を地上から抹殺すると公言していた。だからあの爆撃はイスラエルにとっては完全なセルフ・ディフェンスだった。
しかし、あの時も世界やUNはイスラエルを声高に避難した。湾岸戦争が起きたのはそれから10年後だったが、もしイスラエルによってオシラク原子炉が破戒されてなかったらサダムは確実に原爆を持っていただろう。その場合、あの戦争の行方はどうなっていたか想像に難しくない。あの時、買ってイラクの原子炉爆撃を非難した世界のマスコミの中で、イスラエルに対して誤ったのは、私の知る限りウオール・ストリート・ジャーナル紙の記者だけだった。

世界に通用する本当のジョーク..!”100歳はまだ若蔵”

2008年08月28日 21時14分17秒 | Weblog
 建国以来、イスラエルには世界中からユダヤ人が集まってきた。特に多かったのは東欧とアラブの国々からだった。東欧系はアシケマジ、アラブ系はセファルディムと呼ばれる。
 しかし、周囲をすべて敵に囲まれた国家としては人口が非常に少ないということは歪めなかった。それにいたアフリカや中東地域に住むユダヤ人は差別と迫害にさらされていた。
 そこでイスラエル政府はそれらのユダヤ人救出のために様々なオペレーションを行った。
 例えばイエー面に住むユダヤ人全員をイスラエルに空輸したこともあった。1984年から85年にかけてはモサドと空軍によるモーゼ作戦なるものが実行され、8500名のエチオピアのユダヤ人をイスラエルに運んでいる。また、91年のソロモン作戦では1万4300人の輸送を36時間で完了するということもやってのけた。
 かれらセファルディムの多くは100歳、150歳、凄いのになると170歳と申告する者もいる。彼ら自身、正確な生年月日をしらないためだ。
 5年ほど前、エルサレムこうがいにあるエチオピア系ユダヤ人の住むコミュニティを訪れた時、老人が非常に多いという印象を受けた、しなびきった干しすもものような肌のためか、アバウトな年齢さえ想像もつかない。
 だが彼らがアシケナジよりは平均してずっと長寿なのは確かなようだ。そこでこんなジョークが出てくる。
 あるエチオピア系ユダヤ人がてる・アヴィヴにある保険会社を訪れ生命保険に入りたいと申し出た。応対に出た営業マンが彼に年はいくつかと尋ねた。78歳という答えが返ってきた。
 営業マンはそっけない口調で、
「78歳じゃ保険に入るのは無理ですね」
「そんなことはない、わしなどまだ若い方だ。現にお宅は、先週わしの親父にちゃんと入らせてるじゃないか」
「お父さんはいくつなんです」
「95じゃ、書類があるはずじゃから調べてみてくれ」
 そんなはずはないと思いながら、その営業マンは奥のオフィスで書類をチエックした。すると驚いたことに老人が言った通りだった。95歳だが徹底した検査の結果、体にどこも悪いところがなく、いかって健康ということだった。
 カウンターに戻ってきた営業マンが
「あなたのおっしゃる通りでした。わかりました。検査の結果がよければあなたも保険に入れます。来週の火曜日に検査のため来て下さい」
「そりゃまずい。火曜日に来られないんじゃ」
「なぜです?」
「祖父が結婚するんで式に出なきゃならんのじゃ」
「ご祖父が結婚?!いったいおいくつなんです?」
「120歳かな」
「120歳!なんでその歳で結婚なんてするんです?」
「祖父の両親が早く嫁を貰えと書中、うるさく言ってるでね」
 セファルディム達の長寿もさることながら、このジョークには2つの意味が含まれている。
 1つは、ユダヤ人の両親は非常にうるさく、息子がいくつになっても15歳の子供として扱うというステレオタイプ化されたイメージ。
 もう一つはユダヤ人社会では30歳を越しても未婚の男は、周囲から変な目で見られるという一種伝統的な考え。
 しかし同時に、彼らユダヤ人が事のほか子供を大事にし、子供のために多大な犠牲も払うということも良く知られている。  しろう

世界に通用する本当のジョークの勉強です。日本のダジャレは世界に通用しません!

2008年08月22日 20時49分49秒 | Weblog
   【首相の首相】
 ユダヤ人は非常に自己主義が強い民族である。特に政治の話になるとその自己主義にさらに熱がこもる。2人のユダヤ人がいたら3つの意見が出て、4つの政党が出来るといわれるゆえんである。しかも、一人一人がげったいに自分の意見は正しいと確信しているから、なおさら始末が悪い。次のジョークがその点をついている。
 アメリカ大統領ドワイト・アイゼンハワートベングリオン首相が会った。当時はアメリカの人口が約い億7千万、イスラエルの人口が2百万人だった。
 アイゼンハワーが言った。
 「デヴィッド、アメリカの大統領というのは大変だよ。一億七千万の国民の大統領なんだからね」
 これに対してベングリオンが首を振り振り、
 「私の方がはるかにきついよ。何しろ2百万人の首相の首相何が」
前述のごとく、イスラエル国家は建国からずっと周囲の敵によって責められ続けた。しかし、彼らは生き残った。
 なぜか?
ゴルダ・メイアー首相はいった。
「対アラブの戦いにおいて我々ユダヤ人には秘密兵器がある。それは我々にはほかに行くところがないということである」
 
 

世界に通用するのは、本当のジョークです。ダジャレは馬鹿にされます。

2008年08月21日 11時03分53秒 | Weblog
まず最初に、投稿が遅れましたことお詫びいたします。本日から続けてゆきますので応援よろしくお願いします。
 ハレムは長官でありながらも常に現場で先頭に立って指揮をとった。
その功績は数々あるが、中でも最も有名なのが第2次世界大戦中、ユダヤ人600万人を殺したナチスSSの指揮者アドレフ・アイヒマンをアルゼンチンのヴエノスアイレスで捕え、極秘のうちにイスラエルに連れ帰ったオペレーションだろう。
 そのお陰で、ハレルの首には世界中に散ったナチスの残党たちから100万ドルの賞金が賭けられてた。
 ハレムの最大のモツトーは何事にも超極秘性を貫くことだった。彼が答えなければならない人間はたった一人、首相のベングリオンだけだった。
 クリセット(イスラエル議会)にも政治家にも、マスコミにも彼は何も答える必要はなかった。
 だからこそ諜報機関は絶対的な超極秘性が必要という彼のモットーは守られ続け、彼の下でのモザトには1点の汚点もなかったのだ。
病的なまでに秘密主義に徹した張れるについてこんなジョークがある。
 ある日ハレルがテル・アヴィヴでタクシーに乗った。だが何も言わずに後部座席に座っている運転手が行き先を訪ねるとハレルが言った。。
 「私の行き先は秘密だ」
 
 ジョークとはあまり縁のないハレルだったが、彼の下で働いたかっての部下が一つだけハレルがジョークらしきものを言ったことを覚えているという。
 ある日テル・アヴィヴのモサド本部の食堂で何人かのエージェント達が宇宙に知的生物が存在するかどうかについて話し合っていた。そこにハレルがやってきた。
 部下の一人が聞いた。
 「長官、宇宙に知的生命は存在すると思いますか」
 ハレルがちょっと考えてから、答えた。
 「さあね、この地球上さえ知的生命があるのかどうか、わからんからね」
 これはおそらくイサー・ハレルが語った最初にして最後のジョークだろうと今でも語り継がれているという。   天草 しろう

世界に通用するのは、本当のジョークです。ダジャレは馬鹿にされます。

2008年08月09日 10時45分53秒 | Weblog
1ユダヤのジョーク/ミラクルの国はこう作られた。
 「イスラエルにおいてミラクルを信ずるものでなければ現実主義者とは言えない」
 これはイスラエルの初代首相でヴィット・ベングリオンが言った言葉だ。
 1948年5月14日、イギリスによるパレスナチ委任統治が終わると同時に、イスラエルに侵攻、第一次中東戦争の勃発である。その後も73年の第4次中東戦争までイスラエルは圧倒的不利な状況に立たされながらも生きに凝っていた。まさにミラクルであった。
 しかし、同時にミラクルを信じるだけでなくそのための行動力があったからこそ彼らは、生き延びられたのだ。
【行き先を聞かないと……。】
 イスラエル軍は世界で最も優秀といわれっているが、どんなに優秀でも決定的な要素が欠けていれば何の役にも立たない。その要素とは情報力である。
 イスラエルにはモサドという情報機関がある。その事実上の創立者はイサー・ハレルという人物だが、かって私は彼にインタビューしたことがある。最も印象的なのがその灰色がかった青い目だった。あるモサド関係者が私に言ったことがある。
 「あの青い目に見つめられると心の平静さを失わない人間はいない。ニラまれただけですでに監獄にぶち込まれたような気持に陥ってしまう」
 実際にハレルに会って見て、この言葉が決して大げさではなかったと妙に納得させられたのを覚えている。
 ハレムは長官でありながらも常に現場で先頭に立って指揮をとった。
    どんなジョークが出るか?( ..)φメモメモ