世界の面白話で笑ってる間に博学者になれます。

 歴史や世界史が面白いと思った事あった?反対に諺が全くのうそだったり、雑学の凄さを、是非楽しみながら物知りになって下さい

世界に通用する本当のジョーク【スターリン批判】

2008年09月25日 11時32分48秒 | Weblog

 スターリンの死後、マレンコフ、ブルガーニン、フルシチョフどによる権力闘争が繰り広げられるが結局フルシチョフが勝ち残る。1956年2月,第20回党大会の秘密報告会でフルシチョフはスターリン批判を展開した。スターリンの個人崇拝主義をはじめとして、彼が犯した様々待つ身がやり玉に挙がった。しかし火道報告会と言っても彼の演説のコピーは事前にアメリカCIAとイギリスのMⅠ6の手によって西側の手に入っていた。

 その演説の中彼は言った。

 「にんげんはみな間違いを犯す。しかしスターリンは自分だけはどんな間違いも犯さず、常に正しいと考えていた。理論的にも現実的行動においても多大な間違いや失敗を犯したにもかかわらず、彼は誰に対してもそれを認めたことはなかった。

 フルシチョフが延々とスターリンの悪行を語り、演説を終えたときある若い共産党員が尋ねた。「スターリンの犯罪を暴くのは結構だが、あのころあなた方はどこにいたのですか?

 このときフルシチョフはちょっとためらってから、胸を張ってハッキリ言ったという。

 「ここにいた。今君たちがいるようにだ」

 この1ことでもわかるようにフルシチョフは物事をストレートの言うタイプだった。そしてユーモアのセンスはそれまでとそれ以後のソ連の政治家にないものを持っていた。

 権力を固めた直後、彼の言った有名な言葉に“あなた方が好むと好まざるとにかかわりなく歴史は我々の側にある。我々はあなた方を生むるだろう”というのがある。あなた方というのはアメリカに代表される西側資本主義国家である。

 多くのかメリカ人はこの言葉を真っ向からの軍事的挑戦と受け止めたが、勿論フルシチョフのしいは経済的に共産主義が資本主義を打ち負かすということだった。この言葉だけからでも、いかに彼がユーモアの才能に恵まれていたかわかる。しかも真剣に言っているからからなおさらおもしろい。

 いま、われわれは

世界でで第2番目の地位にある。イギリスやフランスはすでに追い越した。同志諸君、後はアメリカだけだ。そのアメリカは疲れ切った走者と同じだ。アメリカの科学者たちは、1976年にはソ連がアメリカにとって代わると報告している。彼らは正しい。それがわれわれが目指してるしている日付けだ」

 フルシチョフがこれを言ったのは59年だが。その2年前すでにソ連はスプートニク1号を打ちあげていた。この成功はアメリカにとっては1周の敗北であり、アメリカの科学者たちは、宇宙へ二競走でソ連に1府先を越されたという敗北感に駆られていた。彼ら科学者は、もしアメリカが宇宙問題ににもっと真剣に取り組まねば1670年までにはソ連に完全に水をあけられるだろうと政府にアピールした。予算獲得のためのオ-バーな言い分であるのは明らかだったが、その彼らの言葉をフルシチョフは引用したわけである。

      S・masanori

 


世界に通用する本当のジョーク【混乱の1950年】

2008年09月22日 00時17分13秒 | Weblog

  1953年3月、永年ソ連邦を鉄の独裁で支配したスターリンが死亡。その4か月後ベリアが失脚し、国家に対する罪を犯したという理由で逮捕される。短い裁判の結果有罪となり、その年の12月、銃殺刑に処せられる。                                    

 スターリンの遺体はいったんレーニン廟に入れられるが、61年10月に行われた第22回党大会でほかに移すことが決定される。

それにまつわるジョーク。

 ソ連政府はスターリンの遺体の処理に困って他の国にその引き取りを依頼する。まずアメリカに頼むがにべもなく断られる。次にイギリス、そしてフランス。しかしどの国も断る

 しかし1国だけ受け入れると答えてきた国があった。それについてミコヤンがフルシチョフに報告する。

 「同志ニキータ・セルゲーヴイッチ、イスラエルのデヴイット・ベングリオン首相がエルサレムの墓地を都合してくれると言ってきてます」

 フルシチョフはしばし考えてから、きっぱりと、

「だめだ。あそこはやめた方がいい」

 「なぜです?」

「わからんのか。あそこではすでに一人生き返っているんだぞ」

     S・masanori


世界に通用する本当のジョーク【混乱の1950年代】

2008年09月18日 23時13分11秒 | Weblog

 飛行機を手に入れて・・・・

 ソ連邦時代の経済運営はすべて計画性に基づいて運ばれていた。しかしこれが成功したかとなると話は全く別である。いまでいうソフトもハードも西側に比べたらあまりに遅れていた。そのためいくら5カ年計画を立てても結果は無残そのもの。

 しかし共産党はそんなことにはお構いなく何カ年計画とやらを発表し続ける。一般国民はこのような党のプロバガンダに辟易するが大きな声で批判するわけにはいかない。そこでジョークでうっぷんを晴らすことになる。

 モスクワでの政治集会で例のごとく党幹部が5カ年計画について語る。

「今度の5カ年計画を成功させれば、全ソ連国民が自転車を持てるようになるだろう。さらに次の5カ年計画を成功させれば全国民が自家用車をもてる。その次の5カ年計画が成功させれば自家用飛行機を全国民が持つことも夢ではない」

 集会参加者はこの壮大なヴィジョンにいたく感激した。しかし参加者の1人が手を挙げて質問した。

「確かにすごい話だけれど飛行機をもらってどんな役に立つのです?」

 幹部がわが意を得たりとばかりに、

「いい質問だ。君も知っての通り飛行機短時間で行ける。だから例えば、モスクワにトイレットペーパーがなくなってもあんたは飛行機でベルリンへ飛んでいけばいいんだ。そうすれば長い行列に加わらずにトイレットペーパーが手に入る」

 Q:おとぎ話とソ連経済の違いは?

 A:おとぎ話は“昔々”で始まり,ハッピイエンドで終わるけど   ソ連経済は”やがて、いつか”で始まり、終りがない。

  S・masanori   

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


世界に通用する本当のジョーク【混乱の1950年代】

2008年09月16日 21時26分34秒 | Weblog
  おそらくスターリンが最も信頼していたには彼とおなじグルジア人のベリアだったろう。ベリアがスターリンの死に際まで生き延びていたという事実がそれを物語っている。確かにベリアは忠実すぎるほど忠実だった。それにスタ―リン好みの残忍性も残忍性も備えていた。いったんルビヤンカにしょっ引かれたら、厳しい拷問によって自白を強要されるか、そのまま殺されるか、いずれにしても生きては出られないと言われていた。

 ある日スターリンがベリアを呼びつけた。
 「私の時計が亡くなった。すぐに調べろ」
 30分後ベリアが戻ってきた。
「閣下、30人の容疑者を捕えましたが、皆閣下の時計を盗んだと白状しました。30人は全部処刑しました」
 これに対してスターリンが、
「もういいんだ。時計は引き出しの隅にあったよ」
           S・masanori

世界に通用する本当のジョーク【混乱の1950年】

2008年09月15日 00時20分15秒 | Weblog
 チェカの初代長官ジェルジンスキーは子供好きだったという。これについてある人が彼の奥さんに尋ねたところ次のような答えが返ってきた。」
 「昔は確かにその通りでした。道で子供に有っても、あの人は射殺したりしませんでしたもの」
 ジェルジンスキーはあまりにもやることが残虐なため、通称“血まみれのフェリックス”と呼ばれていた。今はもう取り壊されてしまったが、ソ連邦時代はずっと彼の巨大な銅像がKGB本部の前の広場に置かれていた。
 「ジェルジンスキーの銅像は、昼の間はKGBを背にして立っている。しかし、夜になると、反対側のKGB本部に向き直って立っているそうだ。なぜか?」
「KGBをつくったジェルジンスキーさえ夜になるといつ後ろから打たれるとか不安なのだ」


 ジェルジンスキーのあとGヤーゴダ、N・Iエジョフという2人の後継者が出るが。2人ともスターリンの猜疑心の犠牲になって粛清されてしまった。
 このようにチェカに長官や幹部として昨日権力の頂点にいたものが、今日は失脚というのはざらだった。
 
 シベリアの強制収容上で3人の男が話していた。
「あんたの罪状は何だったんだ?」
「同志ヤーゴタの悪口を言ったからさ、もう6年もいるよ。あんたは?」
「同志ヤーゴータをたたえた身体よ。去年のことだった」
 2人目は3人目の男に聞いた。
「あんたはなぜここに?」
「私がヤーゴータだ」       S・masanori

 
 
   

世界に通用する本当のジョーク【密告は急げ!】

2008年09月11日 23時19分55秒 | Weblog
 【混乱の1950年】
 スターリンにとって、権力維持を絶対的なものにするためには、反対派に対するコンスタントな監視とカウンターが必要だった。勝ての意を受けた秘密警察の長官ラヴレンテイ・ベリアはロシア中にインフォマ―・ネットワークを張り巡らせ、完全な密告社会を作り上げた(1917年のボリシエヴィキ革命を守るという名目でチェカ――「全ロシア非常委員会」が設立され、秘密政治警察として権力をふるうが、22年に廃止され、かわりにGPU隣その後OGPU、NKVDとなり、54年にKGBと改名される。しかしその後も、チェカという言葉は一般ロシア人の間では秘密警察の代名詞として使われ続けた。)
 密告社会においては親子でも友人でも信用できない。自分の親を密告した息子の銅像が建てられた例さえある。だから自分が話すことには注意だ必要だし、誰かが反党的言葉を話すのを聞いたら当局に報告しなければならない。それをしないで、後で罰せられたケースは多い。
 
 シベリアの強制収容所で2人の男が話し合ってる。
「何年くらったんが?」
「10年」
「何をやらかしたんだ?」
「何も」
「そりゃ変じゃないか。何もしないで5年というならわかるが、10年ともなれば何かあるはずだ」
「そうだなあ、あえて言えばものぐさだったということかな」
「江場でサボったりしたわけか。それならわかる。サポタージュの罪は軽くはないからなあ」
「いや、そうじゃないんだ。ある晩友人と飲みながら等についてのジョークを言い合っていたんだ。友人が帰った後チェカに密告しょうと思ったんだが、その晩はみぞれが降っていてやけに寒かった。それで密告は翌日の朝でいいと思って寝てしまった。それが運のツキだった。おれが寝てる間に友人が密告しちまったんだ。」

KGB本部はモスクワのジュルリンスキー広場にある。チェカの初代長官だったポーランド人のフェリックス・ジェルジンスキーにちなんでつけられた名称だった。1991年の12月、ソ連邦が崩壊するまで本部のビルはルビヤンカと呼ばれていた。
 ソ連崩壊後、すぐに私は取材で入ったことがあるが、その巨大なビルは中が迷路のようになっていて。案内者なしでは到底動きが取れないほど複雑だった。そのうえ暗く、威圧感があり、吐いた途端に絶望感を覚えさせるような雰囲気に満ちている。容疑者をしょっ引いて来るには理想テイな場所かもしれない。だから次のようなジョークもごく現実的に受け取れるにである。

Q:モスクワで1番長い道は?
A:ルビヤンカ
Q:なぜ?
A:いったん入るといつ出られるか分からない。迷っても聞ける人だいない。出ら  れたとしても、くたくたになる。
    S・masanori 

世界に通用する本当のジョーク【ロシアのアネクドート】

2008年09月09日 00時56分24秒 | Weblog

“恐怖政治下に生きる知恵”

 第二次世界大戦はアメリカ・イギリス・などの連合国の勝利に終わった。しかし世界舞台に新たな紛争の火種がくすぶり始めていた。国際共産主義である。
 大戦が終わった時、唯一の原爆保有国はアメリカだった。多くのアメリカの政治家や軍人はその新しい爆弾によって”バックス・アメリカーナ”が現実のものになると信じていた。その状況がそのまま続けば確かにそうなっていたかもしれない。
 しかし、アメリカが原爆製造に成功した4年後の1949年ロシアも原爆製造に成功する。52年、アメリカは水爆実験に成功するが、翌年ロシアも成功。当時最終兵器と言われた原水爆を持った両国は冷戦の深みにはまってゆく。
 当時のロシアはスターリンによる鉄の支配の下に、近代史まれに見る恐怖政治が敷かれていた。
 1924年1月レーニンが死去。その後スターリン、トロッキー、ジノヴィエフらの間で繰り広げられた壮烈な権力争いの結果、スターリンが生き残る。スターリンは権力を固めるために粛清に次ぐ粛清を行ったが、そのためにシベリアの収容所送りになったり、集団農場化のために起きた大飢饉でしんがりした人々の数は2000万人は優に下らないといわれている。
 ヒットラーでさえも成しえなかった、自国民に対する一大スケールのジエノサイドであった。
 人類最大の殺戮者と言ってもいい。殺しの記録で彼に並ぶ者がいるとしたら毛沢東ぐらいなものだろう。「もっともヒットラーも、もしドイツ国内にユダヤ人、ジプシー、身障者が3000万人いたら全部殺していただろう。 NO2につづく
     Amakusa sirou

世界に通用する本当のジョーク【先行防衛のイスラエル】NO2

2008年09月07日 23時40分32秒 | Weblog
 このジレンマを表したのが次のようなブラック・ジョークだ。
 アメリカ人とイギリス人とイスラエル人が人食い人種に捕まって、大きな鍋の中にほうり込まれようとしていた。酋長が何か最後の望みはないかと聞いた。
 アメリカ人は結婚指輪をはずしてそれを酋長に渡して妻に送ってくれるように頼む。イギリス人は国家を歌う。
 イスラエル人の番になった。彼は酋長に思いっきり尻を蹴っ飛ばしてくれと頼む。酋長は言われた通りにする。イスラエル人は5メートル程飛んだがすぐに立ち上がる。手には銃が握られている。その銃で酋長や周りにいる者を殺してしまう。
 残ったものは悲鳴をあげながら逃げていく。
 命が助かったアメリカ人とイギリス人がイスラエル人に例を言うがアメリカ人が
 「助けてもらったのは本当にありがたいが、なぜ銃を持っていながら最初から使わなかったんだ?」
「とんでもない!そんなこと出来る訳がないじゃないか。それこそアグレッサ-と非難されちまうよ」

”失礼”ってどんな意味?
 アラブ人などから見るとイスラエル人は不愛想で放漫に映る、話し方がぶっきらぼうで単刀直入、礼儀らしいものも持たない。しかしイスラエル人に言わせれば、それはただ合理性を重視しているだけだという。つまらない挨拶や社交辞令は時間の無駄というわけだ。
だからこんなジョークも生まれる。

 杭材制裁を科せられたイスラエルは食糧不足に悩まされていた。特に食肉不足は深刻だった。
 あるイギリス人の世論調査員が、エルサレムのバス停で4人の男の質問した。4人の内訳はアメリカ人、ポーランド人、中国人、そしてイスラエル人。
 「失礼ですが世論調査に協力していただけますか。食未来不足に関しての意見を聞かせてもらいたいのですが。」
 これに対してまずアメリカ人が聞く。
「“不足ってどうい意味かね?」
ポーランド人は、
「“食肉”ってどういう意味かね?」
中国人は、
「”意見”ってどういう意味だい?」
そしてイスラエル人、
「”失礼”ってどういう意味だね」

 イスラエル人のアグレッシヴ差が最も顕著に表れてるのが。彼らの運転のマナーだろう。そのひどさにおいてはローマやモスクワなどはるかに及ばない。
 しかもアメリカのように事故の原因の3分の2が酒飲み運転などではない。単なるスピードの出し過ぎや、前の車との距離をほとんど取らないなどの無謀運転が事故の主な原因なのである。
 これまでの交通事故の犠牲者が、レバノン侵攻も含めた過去5度の戦争での犠牲者より多いという事実が、いかにイスラエル人の運転がひどいかを物語っている。

 あるラビとバスの運転手が同じ日に死んで、天国の門にある天使たちの検問に行った。
 バスの運転手の方はすぐに天国に入ることを許された。しかし、ラビの方はいろいろ調べねばならないので、しばらく待つよう言い渡された。
 これを聞いたラビは激怒した
「あのバスの運転手が日宗教的なユダヤ人であることを私はよく知っているんだ。
シナゴーグへは一度も行ったことはないし、安息日だって守ったことはなかった。
 だが私は毎日タルムードの教えを人々の説いてきたんだ」
「それはわかっている」
 天使の一人が答えた。
「しかし、タルムードを教えた時、あなたは人々を祈りに誘う代わりに眠りに陥らせた。だがあの運転手がバスを走らせたときは、皆が祈った」

              Amakusa sirou



世界に通用する本当のジョーク【先行防衛のイスラエル】

2008年09月02日 02時47分26秒 | Weblog
 イスラエルが戦う戦争は常に2つの原則に貫かれている。
 一つは予備兵召集のために国家経済が極端に圧迫される。だから戦争は出来るだけ純隆に終わらせなければならない。
 第2は国自体が非常に小さく戦略的深さに欠けるため、出来るだけ外で戦うこと。
 これら2つの原則が見事に実現化されたのが1967年第3次中東戦争である。
始まりから終わりまでたったの6日しかかからなかったため、俗に6か戦争と呼ばれている。
 しかし、イスラエルは何の根拠もなしに攻撃をかけたわけではなかった。
 当時、エジブトのナセル大統領は緊急事態を発令してシナイ半島に10万の兵力を集結させ、シリアもゴラン高原に大量の兵力や戦車部隊を展開していた。イスラエルの南と北の国境は1挙にテンションが増してきた。
 モサドやアンマン「軍情報部」は戦争は必至と分析したが、イスラエル政府は動かなかった。
 当時の首相エシュコルや外務大臣エバンは、下手に動いてまた世界から非難されるのを恐れたからだ。
 エジブトのナセルがイスラエルと紅海を結ぶアカバ湾を閉鎖したとき、さすがのエシュコルも現実を直視せざるを得なかった。アカバ湾はイスラエルとアジア、アフリカを結ぶ唯一といってもいいほどの生命線であるからだ。しかし攻撃をするにはアメリカのokが絶対に必要だった。
 そこで、エシュコルは、当時のモサド長官メイヤー・アミットをアメリカに送った。アミットはCIA国防省のトップと話し合って、攻撃OKの許可を得ることに成功。
 1967年6月5日イスラエル軍が攻撃を開始、シナイ半島とゴラン高原に展開
していたエジブト、シリア両軍は完膚なきまでに叩きのめされた。
 しかしこの時も、アメリカを除いて世界は1せいにイスラエルを非難した。
 この逆が73年の第4次中東戦争だった。あの時イスラエルの首相ゴルダ・メイアーはエジブト、シリア両軍が攻撃態勢に入っているにもかかわらず、イスラエル軍を動かす許可を出さなかった。ヨム・キプル「贖罪日」というユダヤ教で最も大切な祭りの最中だったためだが、67年の6か戦争で先制攻撃をしたため、世界から非難を受けたのも彼女がためらった理由でもあった。
 結果としてのイスラエル軍は初戦で大敗し、2700人はアメリカの3万3千人
に匹敵する。こうした歴史を持っていれば、イスラエル人が世界中から嫌われていると自ら考えてもたんに被害妄想とは決めつけられない。
 あるユダヤ人が皮肉交じりに言う。
「確かにわれわれは選ばれた民だ。世界中から憎まれるために選ばれたのだ」
 先制攻撃をせねば生存できない。そのためには敵が確実にイスラエルを攻撃するという情報を握らねばならない。それに基づいて攻撃しても世界からはアグレッサー「侵略者」とと非難される。  次回に続く   天草 しろう

世界に通用する本当のジョーク..!”100歳はまだ若蔵”のつづき

2008年08月31日 01時13分47秒 | Weblog
 これらのジョークと同時に、彼らユダヤ人がことのほか子供を大事にし、子供に為に多大な犠牲を払うということも良く知られている。それを皮肉ったジョークは多々あるが、代表的なものをひとつ。
 100歳の老人と95歳の老婆が、判事を訪ねてきて離婚をしたいと申し出た。
 判事が聞いた。
 「何年くらい結婚生活をしていたのかね?」
 「75年です」
 「その期間幸せを感じた期間は?
 「まったくありません、ずっと不幸でした」
 「じゃずっと前に離婚すればよかったにじゃないかね。なぜ今になってきめたの かね?」
 「子どもたちが全員死ぬのを待ってたんです」

 イスラエルについて話すとき、欠かすことが出来ないのはシオネズムデアル。シオンに帰りユダヤ人国家建設のための運動であるが。アラブ人から見ればこれはとんでもないことであり、ユダヤ人によるパレスナチ侵略以外の何物でもなかった。
 しかも何度闘っても叩き潰すことが出来ない。イスラエル軍は不敗という神話までうまれてしまった。
 しかしそれゆえにイスラエルに対する世界の風当たりは強ィ。国連などは1975年にシオニズムをレーシズム(人権差別主義)であるという決議を可決した。
「この決議は撤回されるのに15年以上かかった」
 多くのイスラエル人がUNを”ユナイテッド・ナッシング”とう呼ぶが、彼らから見れば国連はアラブ諸国と、それを支持するロシアによってイスラエル・バッシングに為に使われてきたとしか思えないのだ。
 1981年、イスラエル空軍はイラクのバクダット郊外タムーズにほとんど完成しつと会ったオシラク原子炉を爆撃して破壊した。イスラエルにしてみれば、もしあの原子炉が出来上がり、サダム・フセインが原爆を持ったら、最初の標的となるのが彼らであることは十分知っていた。現にサダムはずっと以前からイラクが原爆を作り、イスラエル国家を地上から抹殺すると公言していた。だからあの爆撃はイスラエルにとっては完全なセルフ・ディフェンスだった。
しかし、あの時も世界やUNはイスラエルを声高に避難した。湾岸戦争が起きたのはそれから10年後だったが、もしイスラエルによってオシラク原子炉が破戒されてなかったらサダムは確実に原爆を持っていただろう。その場合、あの戦争の行方はどうなっていたか想像に難しくない。あの時、買ってイラクの原子炉爆撃を非難した世界のマスコミの中で、イスラエルに対して誤ったのは、私の知る限りウオール・ストリート・ジャーナル紙の記者だけだった。

世界に通用する本当のジョーク..!”100歳はまだ若蔵”

2008年08月28日 21時14分17秒 | Weblog
 建国以来、イスラエルには世界中からユダヤ人が集まってきた。特に多かったのは東欧とアラブの国々からだった。東欧系はアシケマジ、アラブ系はセファルディムと呼ばれる。
 しかし、周囲をすべて敵に囲まれた国家としては人口が非常に少ないということは歪めなかった。それにいたアフリカや中東地域に住むユダヤ人は差別と迫害にさらされていた。
 そこでイスラエル政府はそれらのユダヤ人救出のために様々なオペレーションを行った。
 例えばイエー面に住むユダヤ人全員をイスラエルに空輸したこともあった。1984年から85年にかけてはモサドと空軍によるモーゼ作戦なるものが実行され、8500名のエチオピアのユダヤ人をイスラエルに運んでいる。また、91年のソロモン作戦では1万4300人の輸送を36時間で完了するということもやってのけた。
 かれらセファルディムの多くは100歳、150歳、凄いのになると170歳と申告する者もいる。彼ら自身、正確な生年月日をしらないためだ。
 5年ほど前、エルサレムこうがいにあるエチオピア系ユダヤ人の住むコミュニティを訪れた時、老人が非常に多いという印象を受けた、しなびきった干しすもものような肌のためか、アバウトな年齢さえ想像もつかない。
 だが彼らがアシケナジよりは平均してずっと長寿なのは確かなようだ。そこでこんなジョークが出てくる。
 あるエチオピア系ユダヤ人がてる・アヴィヴにある保険会社を訪れ生命保険に入りたいと申し出た。応対に出た営業マンが彼に年はいくつかと尋ねた。78歳という答えが返ってきた。
 営業マンはそっけない口調で、
「78歳じゃ保険に入るのは無理ですね」
「そんなことはない、わしなどまだ若い方だ。現にお宅は、先週わしの親父にちゃんと入らせてるじゃないか」
「お父さんはいくつなんです」
「95じゃ、書類があるはずじゃから調べてみてくれ」
 そんなはずはないと思いながら、その営業マンは奥のオフィスで書類をチエックした。すると驚いたことに老人が言った通りだった。95歳だが徹底した検査の結果、体にどこも悪いところがなく、いかって健康ということだった。
 カウンターに戻ってきた営業マンが
「あなたのおっしゃる通りでした。わかりました。検査の結果がよければあなたも保険に入れます。来週の火曜日に検査のため来て下さい」
「そりゃまずい。火曜日に来られないんじゃ」
「なぜです?」
「祖父が結婚するんで式に出なきゃならんのじゃ」
「ご祖父が結婚?!いったいおいくつなんです?」
「120歳かな」
「120歳!なんでその歳で結婚なんてするんです?」
「祖父の両親が早く嫁を貰えと書中、うるさく言ってるでね」
 セファルディム達の長寿もさることながら、このジョークには2つの意味が含まれている。
 1つは、ユダヤ人の両親は非常にうるさく、息子がいくつになっても15歳の子供として扱うというステレオタイプ化されたイメージ。
 もう一つはユダヤ人社会では30歳を越しても未婚の男は、周囲から変な目で見られるという一種伝統的な考え。
 しかし同時に、彼らユダヤ人が事のほか子供を大事にし、子供のために多大な犠牲も払うということも良く知られている。  しろう

世界に通用する本当のジョークの勉強です。日本のダジャレは世界に通用しません!

2008年08月22日 20時49分49秒 | Weblog
   【首相の首相】
 ユダヤ人は非常に自己主義が強い民族である。特に政治の話になるとその自己主義にさらに熱がこもる。2人のユダヤ人がいたら3つの意見が出て、4つの政党が出来るといわれるゆえんである。しかも、一人一人がげったいに自分の意見は正しいと確信しているから、なおさら始末が悪い。次のジョークがその点をついている。
 アメリカ大統領ドワイト・アイゼンハワートベングリオン首相が会った。当時はアメリカの人口が約い億7千万、イスラエルの人口が2百万人だった。
 アイゼンハワーが言った。
 「デヴィッド、アメリカの大統領というのは大変だよ。一億七千万の国民の大統領なんだからね」
 これに対してベングリオンが首を振り振り、
 「私の方がはるかにきついよ。何しろ2百万人の首相の首相何が」
前述のごとく、イスラエル国家は建国からずっと周囲の敵によって責められ続けた。しかし、彼らは生き残った。
 なぜか?
ゴルダ・メイアー首相はいった。
「対アラブの戦いにおいて我々ユダヤ人には秘密兵器がある。それは我々にはほかに行くところがないということである」
 
 

世界に通用するのは、本当のジョークです。ダジャレは馬鹿にされます。

2008年08月21日 11時03分53秒 | Weblog
まず最初に、投稿が遅れましたことお詫びいたします。本日から続けてゆきますので応援よろしくお願いします。
 ハレムは長官でありながらも常に現場で先頭に立って指揮をとった。
その功績は数々あるが、中でも最も有名なのが第2次世界大戦中、ユダヤ人600万人を殺したナチスSSの指揮者アドレフ・アイヒマンをアルゼンチンのヴエノスアイレスで捕え、極秘のうちにイスラエルに連れ帰ったオペレーションだろう。
 そのお陰で、ハレルの首には世界中に散ったナチスの残党たちから100万ドルの賞金が賭けられてた。
 ハレムの最大のモツトーは何事にも超極秘性を貫くことだった。彼が答えなければならない人間はたった一人、首相のベングリオンだけだった。
 クリセット(イスラエル議会)にも政治家にも、マスコミにも彼は何も答える必要はなかった。
 だからこそ諜報機関は絶対的な超極秘性が必要という彼のモットーは守られ続け、彼の下でのモザトには1点の汚点もなかったのだ。
病的なまでに秘密主義に徹した張れるについてこんなジョークがある。
 ある日ハレルがテル・アヴィヴでタクシーに乗った。だが何も言わずに後部座席に座っている運転手が行き先を訪ねるとハレルが言った。。
 「私の行き先は秘密だ」
 
 ジョークとはあまり縁のないハレルだったが、彼の下で働いたかっての部下が一つだけハレルがジョークらしきものを言ったことを覚えているという。
 ある日テル・アヴィヴのモサド本部の食堂で何人かのエージェント達が宇宙に知的生物が存在するかどうかについて話し合っていた。そこにハレルがやってきた。
 部下の一人が聞いた。
 「長官、宇宙に知的生命は存在すると思いますか」
 ハレルがちょっと考えてから、答えた。
 「さあね、この地球上さえ知的生命があるのかどうか、わからんからね」
 これはおそらくイサー・ハレルが語った最初にして最後のジョークだろうと今でも語り継がれているという。   天草 しろう

世界に通用するのは、本当のジョークです。ダジャレは馬鹿にされます。

2008年08月09日 10時45分53秒 | Weblog
1ユダヤのジョーク/ミラクルの国はこう作られた。
 「イスラエルにおいてミラクルを信ずるものでなければ現実主義者とは言えない」
 これはイスラエルの初代首相でヴィット・ベングリオンが言った言葉だ。
 1948年5月14日、イギリスによるパレスナチ委任統治が終わると同時に、イスラエルに侵攻、第一次中東戦争の勃発である。その後も73年の第4次中東戦争までイスラエルは圧倒的不利な状況に立たされながらも生きに凝っていた。まさにミラクルであった。
 しかし、同時にミラクルを信じるだけでなくそのための行動力があったからこそ彼らは、生き延びられたのだ。
【行き先を聞かないと……。】
 イスラエル軍は世界で最も優秀といわれっているが、どんなに優秀でも決定的な要素が欠けていれば何の役にも立たない。その要素とは情報力である。
 イスラエルにはモサドという情報機関がある。その事実上の創立者はイサー・ハレルという人物だが、かって私は彼にインタビューしたことがある。最も印象的なのがその灰色がかった青い目だった。あるモサド関係者が私に言ったことがある。
 「あの青い目に見つめられると心の平静さを失わない人間はいない。ニラまれただけですでに監獄にぶち込まれたような気持に陥ってしまう」
 実際にハレルに会って見て、この言葉が決して大げさではなかったと妙に納得させられたのを覚えている。
 ハレムは長官でありながらも常に現場で先頭に立って指揮をとった。
    どんなジョークが出るか?( ..)φメモメモ

世界に通用する本当のジョークの勉強です。ダジャレは馬鹿にされますよ

2008年07月08日 22時56分59秒 | Weblog
ジョークは日本人のように2、3人を無理やり笑わせるものでなく、何処の国の人も笑える共用の高い文化が身についてないと言えないものです。ダジャレは価値ない、たわごとです。
ポリス・エリツインとピクトル・テェノムイルジンが小型飛行機に乗って地方の町を視察に行った。下を見ながらエリツインが、
「もし私がここからウオッカを落としてやったら、下にいる男どもは喜ぶだろうな」「見し私がここからパンストを落としてやったら、女どもは喜ぶでしょうな」
2人の会話を聞いていたパイロットが振り返って、
「もし私があなた方2人をここから落としたら、一憶5千万人の国民が大喜びしますよ」
 これがアメリカ人の手にかかると次のようになる。

 ビル・クリントン、ヒラリー、アル・ゴアーの3人がェアシントン上空をヘリで飛んでいた。まずクリントンが言う。
「今私が100ドル札を下に落とせばだれかが幸せになるな」
それを聞いたヒラリーが、
「どうせ100ドル使うなら10ドル札10枚落としてやれば、10人の人が幸せになるじゃない」
これに対しアル・ゴアが、
「私だったら1ドル札100枚にするね。そうすれば100人の人を幸せに出来る」
 その時ヘリのパイロットが向き直って、
「あんたがた3人をここから落としたら2憶5千万人に人々が幸せになりますよ]

 ジョーウを理解することは、自分の世界を大きくすることに他ならない。世界が多いくなればなるほど人生は楽しくなる。
 この記事では20世紀後半の歴史と、そこに生きた様々な人物をジョークを軸にして映し出してみたい。歴史とか国際問題は堅いテーマと思われがちだが決してそうではない。所詮すべては血の通った人間が織りなすドラマなのだ。
 この記事が、これからの新しい世界で生きていくことになる、日本の若者たちのためのユニヴァーサルなユーモア入門書となることを願っている。
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