1953年3月、永年ソ連邦を鉄の独裁で支配したスターリンが死亡。その4か月後ベリアが失脚し、国家に対する罪を犯したという理由で逮捕される。短い裁判の結果有罪となり、その年の12月、銃殺刑に処せられる。
スターリンの遺体はいったんレーニン廟に入れられるが、61年10月に行われた第22回党大会でほかに移すことが決定される。
それにまつわるジョーク。
ソ連政府はスターリンの遺体の処理に困って他の国にその引き取りを依頼する。まずアメリカに頼むがにべもなく断られる。次にイギリス、そしてフランス。しかしどの国も断る
しかし1国だけ受け入れると答えてきた国があった。それについてミコヤンがフルシチョフに報告する。
「同志ニキータ・セルゲーヴイッチ、イスラエルのデヴイット・ベングリオン首相がエルサレムの墓地を都合してくれると言ってきてます」
フルシチョフはしばし考えてから、きっぱりと、
「だめだ。あそこはやめた方がいい」
「なぜです?」
「わからんのか。あそこではすでに一人生き返っているんだぞ」
S・masanori
これで教養がおありとはとても思えません。