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箕輪城 (群馬県高崎市)

2012-05-24 14:17:33 | 日本100名城めぐり

 箕輪城は1512年にこの地をを支配した長野氏によって築かれたそうです
その後 戦国乱世のあおりを受け 城主は武田氏家臣・北条氏の家臣と入れ替わり
最後に徳川家の家臣 井伊直政が12万石で入封します
箕輪城はこの時期に 近代的な城郭に改修されたそうですが
慶長3年(1598)に高崎城へ移った事で箕輪城は廃城となりました
 

 搦手口からスタートします 他にも大手虎韜門口や霊置口などがあります 




この先に見えている 木々に覆われた所が箕輪城跡です  
ここからでは城跡といっても どうなっているのか分かりません




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梯郭式に曲輪が配置され 西の榛名白川・南の榛名沼が天然の要害となっています
箕輪城は郭の形状や 土塁・空掘・石垣などの遺構が良く残っており
昭和62年に国指定史跡に指定 平成18年には日本100名城に選定されました




 『搦手口』 です 長野氏~北条氏時代までは大手門だったそうです




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このあたり・・ 城跡というよりも 里山を歩く感覚です




前の写真の所から数十メートル進んだところ なんと一気に城跡の様相に




なんて大きな堀切なんでしょう





ひとつではありません 巨大な堀切がいくつもあり 各曲輪を構成しています




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鍬などを使って人の力で掘られました 想像を絶する大工事っ 




 『木俣』 です  クリックすると 大きな写真がご覧になれます
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木俣には 木俣という井伊氏の重臣のお屋敷があったそうです   




次の曲輪に進もうとするたび 大規模な堀切が出現します




結構歩きましたが 本丸はまだまだ先です




『郭馬出』 です クリックすると 大きな写真がご覧になれます
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郭馬出は 城の南側に出撃するときの拠点だったそうです






『大堀切』 です クリックすると 大きな写真がご覧になれます
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箕輪城はこの大堀切で南北に分けられ たとえ一方が攻め落とされても
もう一方の城郭で 戦を続けることができる仕組みになっています

 


桜がきれいなところに出ました なんと車が・・




『二の丸』 です クリックすると 大きな写真がご覧になれます
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二の丸からは 四方に出撃できるようになっていたそうです




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この看板 箕輪城で初めて見ました(他の100名城には無かったような  )




二の丸跡まで車道が伸びていますが  一般車両の通行は禁止されているようです




 日本100名城のスタンプは 高崎市箕郷支所の窓口にあります   




二の丸から本丸への行く途中 これまた大きな堀切がありました  落ちたら大変っ




もうすぐ本丸です




本丸の入り口にある石碑です 右の碑は100名城スタンプの絵柄になっています




 『本丸』 です 南北100m 東西70mと大規模なもので
  東側に高い土手があり 城内が見えないようになっているそうです




まるでグラウンドです 相当大きな館があったことでしょう  




 『御前曲輪』 です 本丸の奥にあります




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落城の際には 城主が自刃・一族が後を追ったと伝えられている
精神的中心地だったようで 井戸からは墓石が多数発見されているとのこと




こちらは靖国招魂碑のようです 城跡によくある石碑です




そしてこちらは 箕輪城将士慰霊碑です




聖徳太子と書いてある石碑です  




御前曲輪から堀切に降りていくことができます





正規の見学ルートになっているようで 案内板が設置されていました




落ち葉や枯れた枝などで 足元がふわふわしています


 


 『御前曲輪西石垣』 です 城内ではこれだけの石は採れないので
  城のすぐ西側を流れている 榛名白川から運んできたのではないかとのこと




   左が御前曲輪 右が通仲曲輪です




こちらは 中央が本丸  右が蔵屋敷です




本丸を見上げています それにしても深いです  




振り返って御前曲輪と本丸をみています




このあたり・・ 堀切が浅くて 少し狭くなっています




本丸から南側の蔵屋敷に橋がかかっていた その遺構なんですね




本丸と二の丸・三の丸を分ける 深さがちがう堀切のT字路です




 『三の丸』 です 建物の柱跡が多数確認されているそうです




この石垣と通路の様子から門があったのかも




櫓門があったのでしょうか  




 『三の丸石垣』 です 4mもあり 箕輪城では最も高い石垣だったそうです





 戦国時代は土塁の城が多いなか 箕輪城は石垣が用いられています
  その様子から 北関東の重要拠点といえるそうです 




三の丸下からも大堀切がみれますが 木々に阻まれてすき間から見るようでした
その深さ10mくらいありそうです 箕輪城で一番深い堀切ではないでしょうか




急な階段を下って 鍛冶曲輪に向かいます




 『鍛冶曲輪』 です あたりは草木で覆われています 




鍛冶曲輪は 刀などの武具を作る鍛冶場があったところです




鍛冶曲輪の石垣です だいぶ下ってきました・・ 戻るのが大変かもっ  




    遊歩道の出口にでました  (振り返って撮りました)




 『大手虎韜門口』 です 搦手口とは反対側になります 




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史跡整備中とのこと 10年後また訪れたくなりました




大手虎韜門口から急な階段を登って  三の丸と二の丸  のあいだまで来ました




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こちらの図は 二の丸から北東側の景色です  




 いまの箕輪城下を見渡しています 一枚前の写真(図)の景色です 
  戦国時代の櫓や門などの建築物は残っていませんが
  さすが日本100名城 各曲輪や大規模な堀切など かなり見応えがありました
次回の 日本100名城めぐりは 「小諸城」 をUPします
群馬県もう一つの100名城  「金山城」