ふつう戦国時代の城は自然の要害を利用した 「砦」 といった質素なもので
白壁の塀や高層天守閣はおろか 石垣もありません しかし・・
金山城は 戦国時代の城としては珍しく石垣・石敷きを多用していました
その歴史的価値が評価され 昭和9年に国の史跡に指定されています
史跡金山城跡ガイダンス施設・太田市金山地域交流センターです
その目の前に さっそく史跡がありますが・・
こちらは一般的な金山城見学コースではなく とてもディープな散策向きです
史跡金山城跡ガイダンス施設で パンフレットをもらって情報収集を
模型や動画で 金山城の歴史を学ぶことができます(入館無料)
一般的な散策のスタートは 西城(標高198.9m)です
実城から見て西方にあり 史跡指定地の西端付近にあります
「モータープール」の名称で観光用駐車場と展望台付きトイレがあります
「太田市観光マップ」 クリックすると大きな写真がご覧になれます
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金山城は 日本100名城(17番)にも選ばれています
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今回訪れた主な部分です
では・・ 金山城散策へGO~
実城へ行くには 駐車場のある西城から いったん下ります
ここからが本格的な金山城散策となります
※ 天気のいい日に 再訪したときの写真も一部あります
「金山城の案内」です クリックすると大きな写真がご覧になれます
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金山城跡は平成4年度(1992年)から 発掘調査が進められ
土塁や石垣などが復元され 往時の姿が徐々に現れてきました
この車道は 発掘調査や史跡の管理のための車道です
いよいよ山城散策って感じになってきました
「桟道」です クリックすると大きな写真がご覧になれます
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「西矢倉台西堀切」の説明です クリックすると大きな写真がご覧になれます
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西城から実城へ行くときに 最初に出てくる堀切です
堀切を渡る通路です
この大きな堀切は・・
「西矢倉台下堀切」 です クリックすると大きな写真がご覧になれます
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西矢倉台西堀切の次に出てくる堀切です
「西矢倉台通路」の説明です クリックすると大きな写真がご覧になれます
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ここまでは 至って普通の山城跡・・ 石垣はどこに
「物見台下虎口」 です ついに石垣がみえてきました
「馬場下通路」の説明です クリックすると大きな写真がご覧になれます
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「物見台下堀切」 です 写真右上に物見台があります
通路は直線でなく 西城方向(進行方向)からはクランク状になっています
いきなり石垣が出てきたので ビックリしましたが さらに通路が続いています
「竪堀」 です 落ちたら大変っ
さあ~ 実城めざして進みましょう
「馬場下通路の説明2」 です クリックすると大きな写真がご覧になれます
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こちらも敵に対しての防御のためのもの
これから石段を登って 物見台&馬場曲輪に進みたいと思います
写真右の通路が「馬場下通路」で 行き止まりになっており敵を惑わせる為のもの
馬場通路からみた 「馬場下通路」 です
物見台から廻ります
写真中央に見えているのが 物見台です
さすがに視界が開けています
「物見台」の説明です クリックすると大きな写真がご覧になれます
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物見台は金山で最も見晴しのいいところだったようで 物見矢倉があったそうです
物見台から北方向の景色です
物見台から北西方向の景色
物見台から南方向の景色
そして物見台から東の景色 これから向かう方向です
「馬場通路・石塁」 がみえています
「馬場通路・石塁」の説明です クリックすると大きな写真がご覧になれます
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馬場通路でみつけました 日時計でしょうか
足元が悪いところに来てしましました
「馬場曲輪」 です
「馬場曲輪」の説明です クリックすると大きな写真がご覧になれます
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この先に 三ノ丸や 実城へ続く通路があります
馬場曲輪にある 当時を彷彿とさせる建物です
馬場曲輪の先を奥に進みます
「月の池」の説明です クリックすると大きな写真がご覧になれます
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月ノ池は発掘前は ただの水溜まりのようだったそうですが
調査後 直径7m 深さ2.5mの池が埋まっていたことがわかったそうです
「大手虎口」の説明です クリックすると大きな写真がご覧になれます
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正面入口である大手虎口は 石垣が高く積まれ堅固に作られていました
「大手虎口の説明2」 です クリックすると大きな写真がご覧になれます
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大手虎口は金山城の象徴的な光景となっています
大手虎口を入ると 途中が少し狭くなって ゆるく右カーブします
そして左右は石垣に囲まれています
金山城跡の石垣は 堀切や曲輪を造る際に採掘されたといわれています
巨大な石はありませんが 人力で運べる程度の石は多くとれたそうです
「土塁石垣」 の説明です クリックすると大きな写真がご覧になれます
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城の中枢部分にまっすぐ行けないようになっているんですね
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段々畑上の土塁・石垣がみごと 排水のための石組み水路もっ
南側上段の脇曲輪では 石敷きされた建物とカマドがあり・・
この建物は火器を備えた 「兵の詰め所」だったと考えられています
「石垣改修の露出展示」 です 大雨で斜面を流れ落ちる雨水や浸透水で
崩されたために 5回も改修工事が行われた跡があるそうです
大手虎口脇曲輪は塀で囲まれ 通路から中が見えないようになっていたそうです
「日ノ池」 の説明です クリックすると大きな写真がご覧になれます
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金山城の中枢部にあります 全国的にも大きな池が山頂付近にあるのは稀とのこと
日ノ池のそばには 井戸も・・
「南曲輪」 です 写真左の建物は休憩所(日本100名城スタンプ設置所)
写真の奥は トイレになっています
南曲輪は中島記念公園になっていて 関東の富士見100景になっています
南曲輪から太田市内の景色です
八王子山は 実城の南方に立ちはだかる大八王子山・中八王子山・小八王子山の
3つの峰からなる山で こちらも金山城の遺構とのこと
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南曲輪からみた 大手虎口です 金山城散策のメインを上から
南曲輪をさらに奥へ進むと 新田神社(実城)へ行くことができます
「御台所曲輪」 です
御台所曲輪にある大ケヤキ(樹齢800年と推定されています)
階段上は実城のあった 新田神社です
もう少しで山頂(実城跡)です
「新田神社」 です 山頂に着きました
御祭神&ご由緒が書いてあります
「御嶽神社」 です
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こちらは・・ 「梅若稲荷神社」 です
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大手虎口に戻ってきました その下 さらに金山城の調査が進行中
西城の駐車場までの帰路は 往路の下にある車道を歩きました
途中みかけた 大きな堀切です
この道路は 発掘調査や管理をするための道です
木でできた橋 「桟道」 を下から見ています
通行不可ですが 当時の堀切を横断するうえで大切な通路だったようです
この先数分で駐車場に到着です 金山城の記事はこれで終わりです
最後までご覧いただき有難うございました
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