読書・映画日記

 読んだ、観た情報をもう一度思い返して感想を書くことによって理解を深めるために始めました。

中世隠遁者の生死観を読んで~その1~

2010年11月24日 | 読書日記
 久しぶりに読書日記を書きます。これまで色々な本を読んできましたが、哲学書の類はどうもレビューが書きにくく、今回もそれは避けたいと思います。そのかわり、今は論文を読んでいます。

 数日前、僕は2chでネタを書こうと思い、検索エンジンで「隠遁者」について検索をしました。そこでヒットした項目の中に中世の隠遁者の生死観について書かれた論文を見つけました。軽く読んで見ると意外と面白く、シリーズを読破してみようと思い立ったのです。
 さて、この論文は中世隠遁者の生死観を時系列的に考え、その源流を解き明かそうというもののようで、いくつかの章に分けられてファイリングされているようです。都合がいいので一章ずつ解説していきたいと思います。この日記では第一章目から始めましょう。

『中世隠遁者の生死観』(1)-来世的生死観から現世的生死観へ-
 タイトルを見て分かるように、主に人の生死観について書かれたものでした。生死観とは、この論文では人生の価値観と言うような意味で言われています。人生の価値観と言うとつまりはどう生きて、どう死ぬかといった感じです。なんでも、この論文によると今からずーっと昔の、千年くらい前の日本人は死んだら極楽か地獄っぽいところにいって生まれ変わると信じていたらしいです。それがコロっと現代的な思想に変わった時代があり、それが中世かも知れんよと解説しているのです。この章では主に価値観の変化に大きく影響を与えたと思われる人物を三人に絞り、そのうちの一人、西行について解説しています。

 価値観の変化に影響を与えた三人について紹介します。
 ・西行(さいぎょう)←この章で扱われる
 ・鴨長明(かものちょうめい)
 ・卜部兼好(うらべかねよし)

 ところで隠遁者ってなんでしょう?Yahoo辞書で検索すると次のように出てきます。
  1.
いん‐とん【隠遁】
[名](スル)俗世間を逃れて隠れ住むこと。遁世(とんせい)。「庵を結び―する」「―者」

 あんまり明るいイメージは無いですね。実際隠遁者は和歌や笛、その他諸芸に通じてのんびりとすごしていたようですが、どちらかと言うとシックな趣があったんじゃないかと想像しています。彼ら中世の隠遁者はみな熱心に仏道を求めることはしなかったようです、彼らは彼らなりの生き方を模索した人生だったみたいです、そこから現代的な生死観が形成されていったと聞くとなるほど確かにそんな気もしてきます。それが何故庶民に伝わっていったのかとどうやら時代背景が大きかったみたいです。戦国乱世を経験した時代、人々の不安は大きく、また揺れ動きました。そのなかで現代的な生死観がはぐくまれていったようです。

タイトル:中世隠遁者の生死観(1)-来世的生死観から現代的生死観へ-
筆者:大山 眞一
研究機関:日本大学大学院総合社会情報研究科
URL(PDF資料):http://atlantic2.gssc.nihon-u.ac.jp/kiyou/pdf08/8-173-184-oyama.pdf#search=%27%E4%B8%AD%E4%B8%96%E9%9A%A0%E9%81%81%E8%80%85%E3%81%AE%E7%94%9F%E6%AD%BB%E8%A6%B3%27