読書・映画日記

 読んだ、観た情報をもう一度思い返して感想を書くことによって理解を深めるために始めました。

新聞を読んだ

2011年03月02日 | 読書日記
穴が空くほど読んだ。
するとどうだろう、ものすごく元気が出てきた。
そして本屋に行って企業家向けの本を購入した。何故だろう?

なんかしらんが、新聞を読むとすごく力がわいてくる。怒りもわいてくるし、体中が熱くなる。燃え上がるようだ。

これはいいものだ。

歴史の教科書を読んで~その2~

2011年02月02日 | 読書日記
 中学の歴史の教科書を読破した。
 あの本のことを思うとコーヒーの香りが浮かんでくる。なぜかと言うに、主にその読書がコーヒーブレイクと一緒に行われていたからで、自然と体が覚えてしまったのだ。

 歴史の教科書を読み、日本の歴史を知り、その過去を知った。むごたらしい過去が今でも人々の心をゆがませているのだと知った。
 いつだったろうか、ネットで従軍慰安婦と言う戦争被害者達が講義している動画を見たことがある。彼女らが日本人に賠償を訴えたのだが、日本人はその人たちを罵倒し、「恥を知れ」と罵っていた。だが、どちらが恥を知るべきなのかは歴史を見れば明らかである。その日本人に同調する若者たちは意味を知ってか知らずか、同じようにネット上から言葉を用いて彼ら被害者を見下すのだった。その主張の中には、彼らは被害者の2世であって、とっくにすんだ事だと言う者もあった。しかし、現実問題として過去の日本は極端な財政難に陥っており、そのため賠償金も低く抑えられていた。また、その賠償金もアメリカが利益を優先してきめたものなので、本当に誠意ある謝罪になっているのかというと、怪しい。それをまったく考えずに安易な思いでアジア諸国民を見下す日本人はなんて傲慢なのだろうと、僕は思った。このまま世界のリーダーを主張したって、本質はふとっちょの頭パッパラパーが何が出来るだろう、尊敬されるなんてとんでもない。日本人は自分たちが選ばれて世界の技術革新国になったと思っているが、現実はアメリカの戦略上有利な従属国だったにすぎない。それは結果として富をもたらしたが、日本人の思い上がりはとどまる所を知らず、バブルがはじけても未だに「古き良き日本」を忘れる事が出来ない。
 日本人は今一度自分たちの国がしてきたことを学びなおすべきではないのか。そうして過去をちゃんと理解し、清算して初めて世界で一番輝く国、非核三原則を掲げる国として、被爆国として戦争と混乱のない、そして停戦と平和でもない、真の平和を実現する国として立ち上がれるのではないのか。

 今日も愚かな若者が愚かな大人達のように中国人への侮蔑を吐く。腐った国、日本。いつか思い知るだろう。

歴史の教科書を読んで~その1~

2011年01月13日 | 読書日記
 中学校の歴史の教科書を最近愛読している。
 歴史の教科書と言うととても重苦しそうなイメージがあるが、改めて読んでみるとその文章表現は実に物語性に富んでいる事が分かる。
 誰も緻密に書かれた伝票や書簡なんて読んでも意味が分からないものである。それを分かりやすくまとめる所に歴史の醍醐味があるのではないだろうか。物事の関連を突き止めていってあるストーリを書き起こし、重要事項を流れの中でつめるように工夫する。その達筆さに魅せられる。
 歴史の教科書は国語の教科書といっても過言ではないと僕は思う。みんな国語を軽視しがちだけれども、例えば自分の歴史を言葉に表現しようとするとき、その必要性を感じずには居られないだろう。自分はどういった経緯で今に至るか、どんな情報が必要で、どんな情報が必要でないか、伝える順番はどうするか。どういえば分かりやすいか、どんな資料が必要か、その全てに答えるのが歴史の教科書なのである。

本:新編 新しい社会 歴史
出版社:東京書籍

ローマ建国史 上 を読んで~その1~

2010年12月02日 | 読書日記

論文を読んでいたのだがちょっと論文疲れしたので一般書物に手を出してみる。と言ってもこれも論文に近いものだが、読み易いほうだ。

この本はリヴィウスと言う今から2000年以上も前に実在した人物によって書かれた歴史書を現代人でも分かりやすいように抄訳(しょうやく)した本だ。なので読みやすく分かりやすい。その分かりやすさはまるでローマに対する漠然としたイメージが1ページごとに霧が晴れるが如く、くっきりと輪郭を持って浮かび上がってくる様だった。

 

僕は世界史に無知だが、もし(*1)民主主義がローマを起源とするならこの歴史を学ぶ事はとても重要だと感じる。暴力よりも論理に重きを置いて国を治めるという事はどういうことか、生々しい記録が語りかけてくる。

徹底的な批判に対して毅然とした態度を取る事も無くその場を去ろうとした男は独裁官(一時的な王様)の部下にその場で切り殺された。でもそれを独裁官は正当化し、民衆も納得する場面が印象的だった。

権力を王一人が持つことにジレンマを感じていた民衆は成文法を発明し、それが今日までの長い歴史の中で受け継がれていった事実に現代文明の脆さを痛感した。成文法とは今で言う憲法のようなものだと思う。

日本人は平和ボケしていると一部の人は言う。確かに現代人に古代ローマ人のような輝きを僕は感じない。それが質的な違いなのか、失われた光なのかは今だ釈然としないが、きっとどちらかであろう。

 

この本の中で僕は計り知れないほどの人間の憎悪を垣間見た。それは惨たらしく、幾度と無く繰り返された。これが人の道なのかと疑いたくなるほどだった。しかし、それもまた救いの道なのかもしれないと思ったりもする。

福井県では浄土真宗が盛んに信仰されている。浄土真宗は一心に念仏を唱える事が大切と教えられてきた。善人も悪人も念仏を唱えれば弥陀如来の後光によって浄土へ導かれるという教えだ。現世よりも来世に重きを置いている教えなんだと思う。

考えてみたら浄土宗の教えも現世の人間の生き様も似たようなものじゃないかと思い至った。善人でも悪人でも同じ歴史を歩み、つむがれて行く。どんな惨たらしい歴史も多少の風化はあっても深く人々の記憶に残り、語り継がれる。人の道を究めんとするものは浄土を求める者と相通ずるものがあるのではないだろうかと思った。

*1:僕は無知であるため、「もし」と表現せざるおえない。

タイトル:ローマ建国史 上

著者:リヴィウス

翻訳:北村良和

出版社:PHP


筋収縮の化学を読んで-その1-

2010年11月26日 | 読書日記

今日は筋肉について書かれた論文を読んだ感想を書こうと思う。これも2chがきっかけで読み始めたものだ。2chはネタの宝庫なのかも知れない。

「人間ってどうして動くの?」こんな質問がニュー速VIP板(掲示板)に投稿された。なんでも、人間の動く仕組みが分からないのだという。スレッド(掲示板で話題を提供するシステム)を立てた人は心臓の動きと筋肉の動きが分からないといっていた。この人は意図せずして全身骨格筋(体中の筋肉)と心臓の心筋を分けて考えていたけど、実は現代科学ではそれが常識だったりする。さて、それではなぞに満ちた筋肉の世界をのぞいてみよう。

『筋収縮の化学』-滑り説を中心に-
人間の筋肉は多くは骨格筋といって、骨を中心に対になって付いた筋肉が全体を占めている。現代の筋肉学上では実は筋肉の動くしくみについてはほとんどが謎であり、ようやくこの骨格筋に光が見えてきた段階である。この論文ではその骨格筋について動く仕組みを解説したものである。特にこの分野に詳しくないので良くわからないが、NHKでもこの論文を元に最新の研究で明らかになった事として放送していた曖昧な記憶があるので、一応定説(間違い無いと思われる説)と言っても過言ではないだろう・・・。

カエルちゃん

右に一匹のカエルちゃんが居る。このカエルちゃんの筋肉を使って説明しよう。可哀想だけど解剖して縫工筋(ほうこうきん)を取り出してみてみよう。ちなみに縫工筋についてyahoo辞書で調べて見ると・・・。

ほ うこう‐きん【縫工筋】

大腿(だいたい)前部にある細長い伸筋。骨盤の上部から起こり、 斜めに内側に下り、脛骨(けいこつ)につく。両脚を組むときに働き、学名では服の仕立て屋の筋を意味し、縫匠筋(ほ うしょうきん)ともいう

カエル縫工筋

 

さて、右の画像がカエルちゃんを解剖して縫工筋を取り出す方法である。なんか魚をさばいてるみたいでちょっと怖い・・・。辞書でもあるようにふとももの内側の筋肉のようですね。では次にその縫工筋の電子顕微鏡(でんしけんびきょう)画像をみてみましょう。ちなみに、電子顕微鏡についてYhoo辞書で調べると・・・。

  1. で んし‐けんびきょう【電子顕微鏡】

    光線の代わりに高圧で加速された電子線を、光学レンズの代わりに電子レンズを用いた顕微鏡。光学顕微鏡の数万倍の倍率をもつ。

これを読んでもイマイチよく分からなかったですがコウモリにたとえてみましょうか。コウモリさんは暗闇でも自由に空を飛べます。それは顎(あご)で超音波と言う小さな音を出して、その音が物に当たって跳ね返ってきた音を耳で聞いてそこに何があるのかを聞き分けるからだそうです。実際、目の見えない人でも音を聞けば物の場所が分かるという人も居ます。目でなくとも物を感じる事はできるのです。電子顕微鏡では電子ビームと言うエネルギーを放出して、そのエネルギーが物に当たって跳ね返ってくるのを感知して物を見る事ができます。そして、そのほうが目で見るよりもずっと細かく物を見れるのです。

 

カエル縫工筋縦断切片電子顕微鏡像

右の画像が何か分かりますか?これは縫工筋を筋(すじ)に沿って切開し、電子顕微鏡で映したものです。ぱっと見ではどうなってるのか分かりませんが、この画像全体が横に伸びたり縮んだりして筋肉は動きます。でも何故動くのかはこれだけでは分かりませんね。もっと分かりやすい図があるので次で見てみましょう。

 

 

 

骨格筋収縮による滑り説モデル

右の図は上の画像を分かりやすくしたものと考えてください。中央のMはそのままで、Zが動きまくってるのが分かります。この中心に向かってるときまさに筋肉が収縮しているのです。実は筋肉には収縮(しゅうしゅく)する力はあっても伸長(しんちょう)する力は無いようです。筋肉は大体が対になって付いているので戻る力を必要としないのかも知れません。

このMとZからそれぞれ伸びている髭(ひげ)みたいな奴が実際どうなってるのか次の図で見てみましょう。

 

 

 

 

 

両フィラメントの相互関係

この図はMとZから伸びている髭みたいな奴をもっと細かく書いたものです。画像上下を走っているのがZの一部です、そして画像真ん中にあるのがMの一部です。ちょっと気持ち悪いですね。そうです、実は筋肉は気持ち悪かったんです。では次の画像でどのように動くのか見てみましょう。

 

 

 

滑り説の分子機構モデル

この図では先のMとZの動きについて具体的に解説します。

ちょっとわかりづらいと思いますが図の右上にZと書かれていますね。そしてその下に棒が延びています。ここがZの中心になります。そして横に数珠(じゅず)みたいなのが伸びていますが、これもZの一部になっています。さて、その下になんかありますよね。ひょろっと細長い風船みたいなのが出ているのがMの一部です。実際にはこの風船みたいなのがたくさん付いていてワサワサーっと動きまくる訳です。

さて画像にはATPとかADPとか訳の分からん事が書いてありますがざっくりと説明すると風船みたいなのが1でZを左にちょっと動かして2,3で離れてまた4でくっつくと言うループを繰り返してZを動かしてゆきます。いつまで動くのか?どこでやめるのかはこの細胞内を満たしている液体中のカルシウムの濃度によって決まります。

想像してみてください、無数のひだひだが腕の筋肉の中でワサワサーっと動いている様子を・・・いやぁーーー気持ち悪い、筋肉って気持ち悪いんですね。みんな知らず知らずのうちにワサワサしてるのかと思うと気が狂っちゃいそうです。

ちなみに何故この風船みたいなのが動くのかについてはちゃんと論文の中で解説されています。興味のある方は一読してみてはいかがでしょう。

 

タイトル:筋収縮の化学 -滑り説を中心に-

著者:野々村禎昭

研究機関:東京大学

URL(PDF):http://ci.nii.ac.jp/els/110001824754.pdf?id=ART0001981197&type=pdf⟨=jp&host=cinii&order_no=&ppv_type=0&lang_sw=&no=1290733864&cp=


中世隠遁者の生死観を読んで~その1~

2010年11月24日 | 読書日記
 久しぶりに読書日記を書きます。これまで色々な本を読んできましたが、哲学書の類はどうもレビューが書きにくく、今回もそれは避けたいと思います。そのかわり、今は論文を読んでいます。

 数日前、僕は2chでネタを書こうと思い、検索エンジンで「隠遁者」について検索をしました。そこでヒットした項目の中に中世の隠遁者の生死観について書かれた論文を見つけました。軽く読んで見ると意外と面白く、シリーズを読破してみようと思い立ったのです。
 さて、この論文は中世隠遁者の生死観を時系列的に考え、その源流を解き明かそうというもののようで、いくつかの章に分けられてファイリングされているようです。都合がいいので一章ずつ解説していきたいと思います。この日記では第一章目から始めましょう。

『中世隠遁者の生死観』(1)-来世的生死観から現世的生死観へ-
 タイトルを見て分かるように、主に人の生死観について書かれたものでした。生死観とは、この論文では人生の価値観と言うような意味で言われています。人生の価値観と言うとつまりはどう生きて、どう死ぬかといった感じです。なんでも、この論文によると今からずーっと昔の、千年くらい前の日本人は死んだら極楽か地獄っぽいところにいって生まれ変わると信じていたらしいです。それがコロっと現代的な思想に変わった時代があり、それが中世かも知れんよと解説しているのです。この章では主に価値観の変化に大きく影響を与えたと思われる人物を三人に絞り、そのうちの一人、西行について解説しています。

 価値観の変化に影響を与えた三人について紹介します。
 ・西行(さいぎょう)←この章で扱われる
 ・鴨長明(かものちょうめい)
 ・卜部兼好(うらべかねよし)

 ところで隠遁者ってなんでしょう?Yahoo辞書で検索すると次のように出てきます。
  1.
いん‐とん【隠遁】
[名](スル)俗世間を逃れて隠れ住むこと。遁世(とんせい)。「庵を結び―する」「―者」

 あんまり明るいイメージは無いですね。実際隠遁者は和歌や笛、その他諸芸に通じてのんびりとすごしていたようですが、どちらかと言うとシックな趣があったんじゃないかと想像しています。彼ら中世の隠遁者はみな熱心に仏道を求めることはしなかったようです、彼らは彼らなりの生き方を模索した人生だったみたいです、そこから現代的な生死観が形成されていったと聞くとなるほど確かにそんな気もしてきます。それが何故庶民に伝わっていったのかとどうやら時代背景が大きかったみたいです。戦国乱世を経験した時代、人々の不安は大きく、また揺れ動きました。そのなかで現代的な生死観がはぐくまれていったようです。

タイトル:中世隠遁者の生死観(1)-来世的生死観から現代的生死観へ-
筆者:大山 眞一
研究機関:日本大学大学院総合社会情報研究科
URL(PDF資料):http://atlantic2.gssc.nihon-u.ac.jp/kiyou/pdf08/8-173-184-oyama.pdf#search=%27%E4%B8%AD%E4%B8%96%E9%9A%A0%E9%81%81%E8%80%85%E3%81%AE%E7%94%9F%E6%AD%BB%E8%A6%B3%27

マインド・タイムを読んで -その1-

2010年08月20日 | 読書日記
 自分が何かしようと思うよりも脳の活動が先に始まっている。

 この本のあらすじには上のような事が書かれている。この本はその現象について詳しく書かれた本だ。正直非常に難しかった。読むのに三ヶ月はかかったと思う。しかもまだ内容を完全に理解できたとは自分では思えない。とりあえず、自分に今分かるところまで思い起こして書いてみよう。

 人間の脳は意識するよりも早く無意識が起動している事が分かっている。それはこの本を書いたリベットと言う人物が自信を持って証明している。その事実が意識とは何かと言う問いに重大なヒントを与える事は間違いない。

 ここからは難しくて掘り下げて書くことができない。
 まだ自分は飲み込めていない。
 時間がかかりそうだ。
 リベットの提唱するCMF(精神の場理論)についてもいまだに腑に落ちてない。理解できていない。その必要性も僕にはぼんやりと、漠然とした何かとしか理解できていない。説明できない。

---ここから記述が怪しくなります---

 無意識が先に起動してるっていうけど、意識が先に起動する場合もあるかもしれない。その時でも無意識が起動しているように見えるんじゃないか?そしたらリベットのいう事は間違いとなる。
 それに対するリベットの反論があったはずだが、思い出せないのだ。しかしこうして書き出してみることで自分が何を理解していないのか知る事ができるので一応意味はある。

 確かこの実験がそもそも患者の内観報告に依存しているんじゃなかったっけな?つーことはあれ?リベットのいう事が正しいのか・・・
 だって内観報告はリベットの言うとおりに0.5秒遅れてるし・・・。
 あ、そっか意識が先に起動しているように本人は感じるのであって、実際は違うっていう・・・ああそっか。
 っていうか脳の皮質に直接電極あてて観測してるんだもんね、正確なデータだと思う・・・・。
 たぶん・・・。
 あやっぱもっかい読んどくべきかな・・・え、めんどくさいな・・・。
 
 それにしても意識とはなんなのだろうか?
 リベットは何か良く分からん事を最後まで熱心に語っていた。
 そのほとんどを覚えていないのだが、どうしてだろうか?
 難しすぎたのである。
 っていうかCMFって何・・・?それが必要なものってリベットは何度も力説していたような気がするけど・・・。
 なんか・・・その・・・物理学的なものの見方でも、哲学的なものの見方でも、脳と意識の関係って説明がつかないらしーよ。なんかリベットがそう言ってた。なんかもう限界って感じらしい。
 そんでリベット的にはCMFって考え方が良いらしーよ。なんかそのほうが説明つくし、より深く意識について理解できる的な事言ってた。・・・いや、言ってなかったかな?どっちかな?・・・どっちだったっけ・・・。
 とにかく、CMFが大切なんだと思う・・・。だぶん・・・。

タイトル:マインド・タイム 脳と意識の時間
筆者:ベンジャミン・リベット他
出版社:岩波書店

死に至る病を読んで その1

2010年07月09日 | 読書日記
 最近更新ができなかったのでちょっと焦り気味だったんだけど、やっとのことで一冊読みきりました。今回の本は、キェルケゴール作の「死に至る病」です。この本の内容をざっと回想しますと・・・誤った解釈かもしませんが僕なりにやってみます。

1.死に至る病とは絶望である。
2.絶望とは精神の病である。
3.キリスト者は神の前において無限なる自己を獲得する(ちょっと自分でも名何言ってるか分からない)。
4.死ねないけど生きられない、それが一番強い絶望である。

 こんな感じかな。ウィキでは絶望を三つの分類に分けて説明しているって書いてあった。
 正直、この本は僕には難しすぎた。けど、この本を通して人間の「意識」や「幸福」について考えさせられた。僕達が普段、「普通の生き方」として見ているものが実は絶望していると言えなくも無い状態なんだと教えられた。それをいくら否定しようとしてもできないカラクリがあるようだ。
 何故ならば人は苦しみを知って楽を知るからだ。その逆もある。事、幸福に関してはこの関係から離れる事はできない。そういった意識も持たずに、たとえばお金持ちになれば幸福になれると信じてがんばって働いたとしても、その過程で多くの苦しみを抱いている事に気がつかないまま生きていく事になる。また、お金持ちになったとしてもそのお金には限りがあるし、それまで己自身を支えていた労働すら捨ててまた新たな生き方を探して行かねばならない。結局、己を見ずして、絶望を知らずして真の幸福にたどり着く事などできないのだろうと思った。
 では真の幸福とは何か?それを知っている事だと僕は思う。そしてそれは多分、キリスト教を通して見た神の前にあるのではいだろうか。

タイトル:死に至る病
作者:キェルケゴール
出版社:岩波

「地球の食卓」を読んで~その1~

2010年06月01日 | 読書日記
 今日、僕は「地球の食卓」を読んだ。この本は2,3冊あれば漬物石にちょうどいいぐらいのずっしりとした本だ。適当にパラパラとめくると各国の家族ポートレイトと机にぎっしりと詰まれた食物の山が色彩豊かに現れる、写真に写った人々の目から多くの言葉が語られてくるようで、僕は埋もれるようにページをめくっていった。

 この本を読んでない人にはどのように僕の感じた事を話していいのか分からないのだが、この本を通して読んで(まだ途中だが写真のみ最後まで見た)みて思う事は、実にこれは不思議な事なのだが先進諸国の人々の食事よりも後進国の人々の食事の方が独特で風合いのあるものだなと思った事だ。これは食べ物が主に自給自足で風土に即したものになるからであろうが、またそれとは別の問題を写している。それは先進諸国の食卓にグローバル起業が確実に影響し始めているという事である。すでに先進諸国どこでもアメリカ産のフランチャイズがひしめいて新たな食を提供している。ポートレイト写真で並べられた食卓にはマッカス(日本で言うマクドナルド)やKFC(ケンタッキーフライドチキン)が豊かな国ではどこでも見られた。各国伝統の食卓が今、根幹から揺らいでいるのではないだろうか、人類の展望する未来の食卓にはみな均一かつ整然とした食事が並べられていくのだろうか。僕達は日々漠然と食卓を囲み、その未来を想像することもなく過ごしている。しかしこのままの流れで世界の食文化が”豊か”になってゆくと多くの伝統的な食文化が失われていく事は想像に難くない。これからの食卓の在りかたを注意深く見守ってゆかねばならないのはコンビニ弁当ばかり食べて胸焼けをおこして暫く弁当恐怖症になった僕を見ても明らかであろう。

タイトル:地球の食卓 世界24か国の家族のごはん
出版社:TOTO出版
作者:ピーター・メンツェル+フェイス・ダルージオ