読書・映画日記

 読んだ、観た情報をもう一度思い返して感想を書くことによって理解を深めるために始めました。

通報をした

2011年03月02日 | その他
ネットをしていたら自殺するという奴がいたので通報した。
体が震えた。

あちこちの自殺対策ダイアルに電話したがどこも休みだった。どうやら深夜と特定の曜日に限られているらしく、頼りなかった。
しかたなく110番した。電話の向こうで男のピリピリとした緊張の伝わる声がして、正直ちょっと通報した事を後悔した。こんな事にかかわるべきじゃなかったと思った。
そこでまず最初に自分が何者か聞かれた。名前を言うのには抵抗があった、あとでなんか関わるような事があったら嫌だった。住所も聞かれた、しぶしぶ答えた。それから、関係を聞かれた、何も無いと答えた。相手は混乱したようだった。そこでネットの書き込みから知ったと言った。それから暫くして管轄が違うといわれ、地元警察署にまわされた。その間、約3分ほど。スムーズにいかないものだなと思った。そしてちょっと怖くなった。自分ができることはなんだろうかと考えめぐらしたが、何も無い。さっさとこの嫌な役を終えたかった。
地元警察から電話がかかってきた。すでに連絡は伝達されているらしかったが、自分の関係をまた聞かれた、情報伝達に不備があると思った。どこの掲示板であったのかと聞かれ、答えた。どうやら相手側としては地元の掲示板が関係しているという先入観があったらしく、全国ネットだというとやや混乱していた。そこで掲示板の名前を伝え、確認すると言われ、電話は一方的に切られた。もう、伝えるべき事は伝えたし、別にいいのだが。あっけない感じもした。いや、不満は無い。ただ、警察のピリピリした声が今でも耳に残り、あまり気分が優れなかった。こんな事、誰もやりたがらないのはなんとなくわかる。

僕が出来る事はもう全部やった。だからこの件のことをここで終わりにしたい。
自分が通報したという事実が後々面倒な事にならなければいいが、特に僕自身に求められるものの説明が無く、こちらとしては不安が残る。説明不足とも言えるが、迅速な?対応とも言えるので、一長一短か。
とにかく、書いて少し落ち着いた。
全国ネット対策専用の部署を警察は作るべきだ、いちいち地方に回すのは効率が悪い。これだけ社会問題化して深刻なものに国は何をやっているんだろう、やや、怒りを感じる。

座禅

2011年03月01日 | その他
昨日、座禅をしていたら不思議な体験をした。

いつものように座禅をして、心を落ち着かせていったら途中から手全体がひっくりかえったような気がした。感覚的なものだったので、気にせずそのまま精神深度を深めていったら、絶対的静寂のイメージが浮かんだ。そのイメージに迎合していったらドッと黒い世界に飛んだ、その黒い世界には何か目に見えない精子のようなものが浮遊しているように感じた、するとだんだん心拍数があがってきて次第に全力疾走したときのように心臓が爆発しそうになった。そろそろやめようと思って座禅をといた。

あれはなんだったのだろう・・・。

日記

2011年02月24日 | その他
普通に日記が書きたくなった。

近頃思うこと。



・・・特に無い。


今日は自殺実態白書の個人経緯を読んでいた。
みんな、さまざまな理由で自殺していた。
怒りもおこり、暫く考えていた。
自殺しようとする人間とその周りの人間との間に広がる溝のようなものを感じた。
病気に理解の無い上司、すれ違う家族の言葉、借金苦。
個人が責任を負う形で始まった自由な社会は、確実に暗い穴がある。
その穴にふとしたことで人は落ちてゆき、絶命する。
見えざる神の御手によって支えられた社会には、死神すらも存在するのだろうか。
どんなに理性的に優れていようとも、人は抗えないのだろうか。
医学的知識にすぐれていようとも、自殺を逃れられない現実。

甘えと称されるそれは・・・

理性すらも打ち砕いた。

ならば人は何故生きているのだろうか

何故みんな死なない

人の心の根底を支えているのは、愛だろう

愛を持たぬ、持てぬ、そんなことで死ぬなんて、おかしなものだ

それじゃあまるで人の生き死にを人が決めているみたいだ

ただ、人に恵まれるか否か・・・それで人生が決まってしまう

許せん

人間も、世界も許せん

認めん・・・

とはいえ・・・原因を究明し、解決を探る上で人の力が必要なのであれば

仕方が無い

それならば、許そう

答えを見出すぞ
絶対に、
生きる意味を
そして
神を殺してやる
このくそったれの世界を作った神を殺してやる

日記

2011年02月06日 | その他
どう生きるべきか。そればかり考えている。

言葉にするのもめんどくさい。考え出すと止められず、死にたくなる。

嘘みたいに性欲ばかり盛んになり、終わらない。

髭は伸び放題で、2日もすれば苔のようだ

いったい、前世があるとしたら、自分は何者だったのだろう。

おしゃべり、軽薄、独身、だらだらのらりくらりと長寿をむさぼったのだろうか。幾人もの女を抱いて捨てたのだろうか、その報いを受けているのだろうか。各地を点々としながら子供を作って遊び歩いたのだろうか。二百、三百、四千、五千、一万・・・知らず知らずのうちにあちこちで子供が生まれ、困窮し、不幸を負わせたのだろうか。その苦しみを味わっているのだろうか、死にたくてたまらない。

変に頑固でクソ真面目なのもその反動なのだろうか、身動きがとれずがんじがらめになるのもその反動なのだろうか。

もし来世があるなら、死んでも仕方ないな。
またやり直しだ。
それより、どかんと一発楽しい事をやったら良いんじゃないだろうか。来世がどうあれ、今生がどうあれだ。

ふーむ・・・楽しい事か。







ふーむ・・・

日記

2011年02月04日 | その他
 僕は自分が間違っている事に気づいた。それまで自分が助けていると思っていた人に、実は助けられていて、それまで自分が救っていると思っていた孤独に自分が救われていた。

 数年前、その人にネット上で出会った。優しい語り口調で、いつも僕を心配してくれた。僕はその人が好きになって、やがていつも心配するようになった。
 その人が何処かへ出かけたと教えてくれると、僕は誰か別の男に出会うのではないかと恐ろしくなった。僕はそれが自身のわがままであると自覚していたので、必死で想いを抑えた。無理やり、ねじふせるように。時には死すら考えた。
 その人が語りかけてくれると、なんとしても返事をしなくてはいけないと必死で考えた。寂しい思いをさせたくなかった。必死で知恵を絞り、わがままを押さえ、時には死すら考えた。そうして、魂を込めて返事を書いてきた。
 その人を戸惑わせてしまうと、何もかもがめちゃくちゃになって壊れてしまう気がした。恐ればかりが大きくなり、僕はいっそう孤独に陥った。

 僕はついに、分からなくなった。存在している事が申し訳なくなった。でも、僕が死のうとしても、それはいけないと体が、心が制止する。考えれば考えるほど涙が溢れ、やる気を削がれるのだった。
 もし、その人がもっと親しい人を見つけたら・・・もし、その人が僕の事を忘れたら・・・僕はそう考えるだけで苦しくなった。考えたくも無いのだけれど、一人の人間なのだから、自由ではないかと思った。けど、苦しいから、その時は死のうと思った。と言うか、早く忘れられて、早く死にたいと思った。
 その人はきっと、いや、全部分かっていた。僕が、自分で自分を孤独に陥れる病にかかっていると、分かっていた。だから、たくさん、たくさん言葉を僕にくれた。僕は、なんにもわかっていなかった。むしろ、言葉をうけとるたびに考え込んでいた。なのに僕は、いつも必死になって自分を孤独から守ろうとしていたのだ。

 でも、悪い事だろうか?誰だって間違うじゃないか。僕は、自分が間違うという事に気づいた。
 孤独って、なるものじゃない。自分で選択するものだ。そう、思った。

 僕は疲れた。

覚悟

2011年01月19日 | その他
 今年中には行いたい事がある。それは、オーナーと話をする事だ。オーナーに時間外労働についてその真を問いたい。

 去年から店のオーナーが変わり、色々な改革があった。その中で、オーナー自ら率先して時間外労働を強制するものがあった。それは今でも定期的に続けられ、誰も異を唱えることなく続いている。これは異常な事態ではないかと僕は考え、オーナーに直接話をする必要性を感じたのである。
 だが、資本力でも知識でも人生経験でもオーナーに劣る僕には自信が無かった。それに子供のように庇護を求めるのも情けないと思った。そこで僕は時間外労働のあった証拠を集め、労働基準監督所の監督官を盾にすることを思いついた。順調に証拠は集まり、さてこれからはオーナーとどういった話をするべきかと考えるに至った。

 別に食って掛かろうって訳じゃない。攻撃的に攻めようと言う気も無い。では何がしたいのか?真を問いたい。何故、過ちを犯すのか。迷いは無かったのか。実際僕たち労働者の事をどう思っているのか。一人の人間として質問をぶつけたい。オーナーのやり方は明らかに論理的矛盾がある。その事を知ってもらいたい。
 何度も何度も考えた。しかしどうも説明がつかない。オーナーは企業の威を借りて堕落してしまったのではないか。そう思えて仕方ない。そうだとしても、質問をぶつけたら目が覚めるかも知れない。そしてもしかしたら僕の考えやアイデアが今後の経営に生き、正常化されていくかもしれない。そう考えると、僕は重大な責任を負っている気がしてならない。

 僕は不安だ。漠然とした不安と、恐怖を感じる。所謂浮いてるってやつかもしれない。普通は僕のような行動は取らない。いつもそうだ、普通しない事を僕はする。僕はそれが出来るから出来るんだと考えるけれども、みんなはでしゃばっていると考えているかもしれない。それが怖い。この身をつつむ空気全体を支配したい欲望に駆られる。
 今日、信長の野望天道というゲームをしていた。戦略ゲームで、戦国乱世の統一を目指すゲームだ。後半になると領土も広がり、国の運営がめんどうになってくる。その際、部下に国家運営の一部を委任するのだが、これがなかなか便利で、使い勝手が良い。僕は国の内政を全部部下に任せ、一人敵地に飛び込んで電撃戦を繰り広げていった。その時、ふと感じた。この身を包む、とらえどころの無い空気。刃物のように研ぎ澄まされ、触れれば血が流れるような狂気。その中で僕は台風の目のように、慎重かつ全力で一歩一歩を踏みしめているのだと感じた。気を抜けばこの身もろとも吹き飛ばされそうな中、浮きそうな足先のわずかな感覚を頼りに地面の上を辛うじて捕まえて歩んでいるような感覚。そんな感覚だった。
 今回の事案にしても、僕一人が歩んでいるうちに思いもよらぬ強風に巻き取られ、その中心になってゆく可能性があるのではないか、そう直感する。数ある目に見えない労働者達の鬱積した不満がはるか頭上から雨を降らし、母なる大地を湿らせ、萌芽が開き、その芽がやがて大樹となり、風に大地をを震わせて行くような、凄まじい生の力に怯える。
 何を言っているのだと思われるかも知れないが、僕は今を生きるとはそういう事だと思っている。僕たちの歴史を作った先輩、そしてまだ見ぬ名も無き無量大数の後輩たちに対して、僕は今この瞬間に歴史的責任を負っている。僕の一挙一動が未来を変え、破壊と創造を繰り返す。僕が邪に陥れば未来は暗く、僕が真実を見つめれば未来は明るい。他人から見れば僕の行いは小さく見えるかもしれないが、それは僕の行いが小さいのではなく、その人の器が小さいのだ。

最近読んだ本

2011年01月12日 | その他
歴史の教科書(中学)
ローマ建国史下
占いレストラン
ホムンクルス14巻
バキ最新巻
聖☆おにいさん最新巻
詳説世界史研究改訂版

最近見た映画

パッション
憑神
ローマ(DVD:海外ドラマ、共和制から帝政への動乱)
あるけどもあるけども

借りようと思ってやめたDVD

スカイ・クロラ
探偵ナイトスクープ3
パウロ ローマと戦った男

買おうと思ってやめたゲーム

FFの新しいやつ

買ったゲーム

信長の野望 天道

嬉しかった事

友達とのめーるがたのしい
ストレッチが気持ちいい
新しい車の乗り心地がいい
以前ほどファークライ2と言うゲームにはまらなくなった、途中でやめられること
今日がお休みということ
三緒神社でしたお願いがすぐ叶ったこと
今日為替で7000円もうかったこと

嬉しくなかった事

レッドデッドリデンプションで追放されたりネットに晒されたりしたこと
腰が痛いこと
変な夢をみること
パッションがグロかったこと
寒いこと
手荒れがひどいこと
おなかいっぱい食べてたら太ったこと
水が出ないこと
あたまかゆいこと
今なんか寒いなと思ったら部屋の窓が少し開いていたこと

今日の一言

よゃ!

俺は戦争に反対する。

2010年11月23日 | その他
俺は戦争は反対だ。それが他国の問題であってもだ。

北朝鮮の拉致問題や瀬戸際外交によって日本は多くの被害をこうむってきた。それに対する純粋な怒りがみなの目をくらましているのであろうと思う。
しかし、どうか節度を失わないで欲しいと同じ日本人として思う。ここで悪態を吐くだけならまだ良いとしても、どうか公衆の面前にて戦争を支持するような羞恥心の無い振る舞いだけは自己抑制してもらいたい。
何事も武力によっては真の解決には至らない。たとえそれが他国間の問題であっても、その戦争を歓迎する国民性は諸外国から見れば野蛮の一言に尽きる。
全人類の平和を求め、核兵器無き世を先導する先駆者としての資格を有する日本人としての自覚を持ってもらいたい。情緒豊かな国民性が一時的に噴出するのは仕方ないが、各々諸外国に恥ずかしくない行動を求める。

日記

2010年10月17日 | その他
 最近は読書のペースは落ちている。ただ、理解スピードは変わっていない気がする。これまで読んだ本それぞれの関連を考えているような気がする。

今読んでいる本
「科学的発見の論理」カール・R・ホパー

 この本は科学的な発見が何故信頼できるのかについてこたえたものだと僕は思う。まだちゃんと読んでないのでよく分からない。ただ、論理的と言うものがどう言う事か、多くのヒントを得たと思う。僕はもう以前のようにただ漠然と科学を信頼したりはしない。そのかわりさらに精度の高いものの見方を獲得したと思う。

 本当はちゃんと読書日記を書きたいのだけれど、どうも気が進まない。語ろうと思えばいくらで言葉は出てくる。しかし、僕はまだこの本を途中までしか読んでいない。今考えている事が読み進めるうちに変わってくるかもしれない。それはそれで面白い、だが中途半端な内容になるので避けたい。まだ書き上げるには少し時間がかかりそうだ。

 近頃は職場から帰宅してすぐ食事を取りながら日本経済新聞を読んだりパソコンでネタ動画をみたりする生活が続いている。新聞を読むのは為替取引のために情報収集する必要から、ネタ動画を見るのはストレス発散のだめだ。気がつくと睡眠時間が無くなってしまい、朦朧とした意識で職場に出た事もあった。
 職場といえば、以前書いた時間外労働についてだが、着々と証拠はそろいつつある。まだ不足しているものもあるが、そのうち手をつけよう。
 しかし、仕事に以前よりも意欲的に打ち込むようになってから職場の人間関係が若干変化したと感じる。それが何故僕にとって否定的に感じるのか、それはなんとなく裏切っているような背徳感があるからだ。まるで僕だけこっそり悪い事をしているみたいに感じる事がある。けど、それって間違った考えだと思う。雇用問題と職場の人間関係は別だと思う。僕は個人であり、血のつながりの無い人間を明確な他人とみなしている。いくら仲良くなっても、その点は揺ぎ無い。しかし、背徳感はぬぐえない。そもそも僕は時間外労働の告発を退職してからしようと考えている。これは自己矛盾ではないだろうか?今告発して改善する事が大切であるが、それができないのは僕が恐れているからだ。人間関係が悪化することを恐れているのだ。僕は中途半端な人間なのかもしれない。周りに自身の考えを理解してもらおうという態度を示さない事が問題だ。上司を、部下をみんなを説得すれば何の問題も無いはずなのに、それが出来る自信が無い。だから一番自分がストレスを受けない方法を直感的に導き出し、実行しているのが本当の所だ。
 父ならどうしただろう。まっすぐぶつかっていっただろうか?父ならやりそうだ。何度も上司と喧嘩して職を点々としたらしい。父ほどの信念を貫く意思は僕には無いのだろうか。
 いずれにしても今職を失う訳にはいかない。まずは100万をため、為替取引を軌道に乗せるのだ。そうすれば時間的余裕を作る事ができる。その余裕を利用して読書に専念し、より高みを目指したいのが僕の考えだ。その先の将来については考えていない。ただ、学ぶ事が楽しすぎるのだ。

 時々、ふと物語が欲しくなる。簡単な・・・でも濃密な物語が欲しくなる。もう、夜の世界は抜け出そうかとも考えている。2年間ずっと夜勤で生活してきた。これからもそうでありたいとは思わない。普通の生活にふと憧れを抱く時がある。夕日を見て広がっていく宇宙に夢を見るようなまどろみの中にもう一度沈んでゆきたい。僕はもう疲れた。いや、まだちょっと働かなきゃいけない。けど、いずれはこの生活を改めたい。
 夜の世界って静かだけど、どうも陰気臭い。ずっと居るとおかしくなりそうだ。昼の世界に戻りたい。そうすれば何か出会いがあり、喜びがあるはずだ。もうずっと、楽しい夢を見ていない。

日記

2010年09月21日 | その他
日記、今日の日記。正確には、昨日の日記。
僕は昼夜逆転生活をしている。仕事が夜勤なのでそのようになっている。どちらかと言うと昼の生活のほうが何かと便利ではある。けどまぁ、別に苦しくは無い。
今は仕事から帰ってきて就寝する時間である。だから日記を書くタイミングは今が適当だ。これから歯磨きをして、布団に横になる。おそらくすぐ眠れるだろう。集中力を意図的に高めながら仕事、私生活を送るようにしているので眠るころあいには心身共に限界近くなる。たぶん就寝には目をつぶったら5分もかからないだろう。そしてきっかり6時間後におきる。もう少し短くてもいいかと思ったが、昨日はそれで失敗した。返って睡眠時間は増えて9時間以上眠った。3時間あれば英語もピアノも勉強できただろうが、時間が無く断念した。同じ失敗はしたくない。
目標は無い。けどやる気はある。なぜかは分からない、けど充実している。不思議な日々が続いている。


今日、仕事で部下(女)が怒って先に帰ってしまった。別に問題は無かった。予定の就業終了時間より少し遅れた程度だったからだ。よくあることだ。もちろんバイトなのでその分の給料は出る。怒った理由は自身の不遇に納得が行かないからだった。不遇と言ってもただ仕事が忙しく、あちこち振り回される事に対して不遇と感じている程度だった。彼女にはよくあることで、感情のコントロールがあまり上手な人間ではないと感じていた。真面目で協調性もあり、頭の回転はまぁまぁなのだが、彼女には自他の境界があいまいな所がある。もう成人しているのに時々子供のようだ。自分の心と他人の心をはっきりと判別できないため、被害妄想が顕著に現れる事がしばしばある。本人はそれが女特有のヒステリーで、ちょっとした感情表現程度にしか自覚がないようだが、実際それよりもっとひどい。それに女特有のヒステリーなど存在しないように思う。ただ、分別は人並みにある。それは彼女の優れた協調性の一面だろう。被害妄想が行過ぎている事を自覚すると瞬時に周りの意見に同調する態度を取るようになる。辛うじて彼女を社会につなぎとめているように思う。
そんな彼女に辟易しながらも、心の弱い部分を警戒して僕は努めて明るく職場から送り出した。おつかれさんと。結果的には一通りの仕事を終えて帰ったのだ、その点は評価できた(何度もサボろうとしたが)。ここでダメ出ししたり根性論を持ち出してもそもそもこちらの心を想像する力が無いので意味がなく、侮辱されたと取られる可能性が高く攻撃的になる恐れがあるのでやめておいた。僕もさっさと帰ろうと重いやっつけで切り上げた。事務所に入り、ジャケットを手に取ろうとしたら走り書きのメモが添えられているのに気づいた。彼女からだった。「さっきはやつあたりしてごめんなさい、おさきにしつれいしますおつかれさまでした」と書いてあった。ちょっと驚いた。本人は自身の問題を自覚していた。でも感情の高ぶりが抑えられず、抵抗できなかったようだ。それから冷静になって反省したようだった。僕は紙の内容が分からないように四つ折にしてゴミ箱の奥に捨てた。誰も拾っては読まないだろう。しかし、意外だった。なんともいえない空虚な感じをしばらく味わった。それからじんわりと胸の中が温かくなった。人それぞれの成長の仕方があるのだろう。僕はもしかしたら、彼女の心の中に何かを残せたのかも知れないな。

mission1-証拠集め-

2010年09月19日 | その他
つい先日、職場で紙切れを貰った。現物支給券と言うらしい。なんでもこの券があれば飲食代がタダなんだとか。ありがたくもらっておいたが、その見返りに時間拘束を受けるはめになった。なんでも上司が言うには今後はこの方針でいくそうだ。ふむふむ、厳しい時代だしな・・・仕方ないかと思った。けど、この手の話はどこでもあると聞く。これからもずっとこのような時間外労働を受け入れて生きていけるだろうか?いや、ちょっとばかし無理がある。仕方ないので、訴訟しようと思った。頂いた支給券?これはお返ししようと思う。あくまでもやんわりと断っておこう。喧嘩はしたくない。めんどうだ。さて、これからだ・・・。

とりあえず、スケジュールをコピーして証拠を集めようと思う。その時間は十分にある。通常のスケジュールも集めて比較できるようにしようと思う。時間外労働用スケジュールはちょっと特殊な書き方になっている。比較対照があると分かりやすい。また、手記でも良いので日記を残そう。もちろん日記には就労時間を分刻みで記録する。余計にもらっちゃ悪い気がする。
次に、実際の労働賃金を計算して本当に足りないのか算出しておこう。説得力に欠ける。
最後にどの程度の損益だったか合計を出そう。そして額に見合った訴訟コースを選んで終わりだ。あとは時期を待つと・・・。これでいけるはず。弁護士に相談しても損するだろうから可能な限りは自分で知識を得よう。まぁ、ここまで無駄なことをしなくてもたぶん(?)労働基準監督署に証拠を持って行って提出すれば勧告と共に給与支払いが命じられるだろうから、そんなに難しくないだろうけど。そういった業務は取り扱ってないのかな?調べた事が無い。

正直、こういうことはしないほうが良い気がする。でも、世の中の偉大な人はみんな自分で考え、自分で行動して成功した。空気読めない奴って思われるかも知れないけど、空気読める奴がいつも成功する訳じゃない。むしろ・・・。いや、いいんだ。そう言う事が言いたいんじゃない。不安なのさ。色々とね。

僕は職場の上司が嫌いじゃない。うらんでなんか居ない。ただ、運命なんだと思う。僕は嫌われるかも知れないな。でも、この一度の人生をおりこうさんに生きれる自信は無いんだ。僕はむしろ博打野郎だよ。わずかな可能性に飛び込んで世界を切り開く時、一番ドキドキする。楽しい、生きてるって感じる。世間では良くは思われないけど、良いよ、うまくいかなくなったら、疲れたら、死ぬだけだし。孤独なまま、世界を旅しよう。誰にも分からない、僕だけの健康。

まぁ、たいした金額にはならないさ、でも気になるし、けじめ・・・つけとかないとね。

日記

2010年09月17日 | その他
最近、読書日記が書けないで居る。本当は読んでいるのだが、なかなか書く気になれない。専門書の類は、一度理解するまでに時間がかかる、やみくもに書いても返って混乱してしまうだけだ。だから書けないでいる。理解したつもりでも関連した本を読んでいると自分の間違いに気づかされる事もしばしば・・・なかなか難しく、ふんぎりがつかない。最近では心理学の本を読んでいる。これが驚いた事にとても数学的なものなのだと知った。カウンセリングのイメージからはかけ離れている。かれこれ一月は経っているか、いまだに攻略できていない。

最近、忍耐力や学習の習慣について考えている。自分は果たして継続して努力するだけの根性があるのだろうか?それが分からないで居る。ただ、一つ確かなことは、気を抜くとすぐだらけてしまうと言う事だ。今日も犬の散歩やピアノレッスン、英語レッスンをサボりそうになった。とりあえず犬の散歩に行ってFXまみれの頭をリフレッシュし、英語レッスンを一時間ほど、その後ピアノレッスンをした。
全てが滞りなく行ったわけじゃない。英語レッスンは今までのやり方でよかったのか悩みながら新しい学習方法を試していたし、ピアノレッスンは正直覚える気が無く気力も無かったのでアドリブ演奏で指慣らしをして終了した。でも、この日記を書く気力はピアノ演奏ではぐくまれたと言ってよい。心が軽く、優しくなったのだ。ピアノのアドリブ演奏は難しくない、時々指使いに戸惑う事もあるが、しばらく弾いているとだんだん心地の良いリズムが分かってくる、ただ、リズムというにはちょっと不恰好かも知れないが、それなりに聞こえるようになる。やがて観衆をおもいうかべるようになると完成度が上がってくる、みんなが僕の演奏に耳を傾けている・・・そんな世界で普段はゆっくりと次の指を考えるところをハイスピードで考えるようになっていく。そのようにして良い曲が作られていく。この感覚はやった人間にしか分からないと思う。あくまで思いつきで作った曲で、楽譜に残したりもしないのだけれど、実に心地良いのだ。本当に、プロみたいに優しい曲が弾ける。いつか録音してみたいと思うのだけれど、それもどうかなとちょっと迷いもする。録音も記録も一切無い、その場限りの曲だからこそ・・・表現できるのだ。もし聴く人間が居るとすればよほど暇で、今日も明日も頭に無く、ただぼんやりとそこに座っているような人間だろう、そんな人間にこそ、ちょうど心地よい曲である。僕はと言うとそんなぼんやりした人を相手に一応必死に答えようと弾きながら次の指の配置を一生懸命考えているのである、今はこれくらいがちょうど良い。今の自分にしては良い感じに弾けたのである。また、このチャレンジによって新たな疑問を手に入れることが出来る。プロの即興についてである。人間は現代分かっている所では意識的に物を考えるのに0.5秒の遅延が絶対に生じるのである。僕はちょうどその0.5秒前に指の配置を考えて曲を作っていた。プロはどうだろうか?僕とDNAが変わらない人間にもかかわらず上手に弾くではないか、これは後天的に身につける事が出来るスキルである事を証明してくれているのだ。ではいったいどうやって弾くのだろう?それはきっと慣れが関係している。0.5秒で1フレーズを思い浮かべれば後は指の配置を考えなくても自動で手が演奏してくれるのではないかと僕は考えている。どうだろうか?ただの即興演奏でここまで多くの疑問に出会えるのである。そして新しいヒント(かもしれないもの)を手にすることが出来るのである。そして努力が実ればそれは実現するのである。僕はちょうど、この日までそのようにして生きてきたのである。すべてが独学の歴史だったのである。いや、これは言いすぎかもしれないが、僕が言いたいのは大切なのは集中力だと言う事だ。このようにして集中すれば間違いのない、正しい学習ができるはずだよと言っているのだ。

昨日、気絶した。仕事から帰ってきて部屋に入ってデスクに深々と腰を下ろしたらちょっと上体を起こした拍子に前のめりになって机に頭ごとゴツン!と倒れた。そのまま10分ほど気を失っていたようだった。初めての感覚だった。特に神経症の類は患ってないと思うのだが、多分これは精神的名疲労がピークに達したためだと思う。でも僕にとってこれは歓迎すべきことである。
その日はとにかく色々あったのだ。ピアノ、英語、初めてのFXそれぞれ新しい学習方法を試していたし、FXでは日銀の動きに常に気を使っていた。結局一円も儲ける事ができないまま出勤し、朦朧としながら雑務をこなし、帰ってきてやっと全てから開放されてゴツン!と倒れたのである。でも、僕はうれしいのはこの現象が郷ひろみの行動に似ていたからである。僕は郷ひろみを特別な存在として感じているのだ。彼がテレビに出てインタビューされていたのを見たことがある。そこでは彼の私生活が語られていたのだが、眠りについて彼が次のように語ったのだ「私は眠るときは一瞬で寝ます、ベットに座り、寝ようかな・・・と体を傾けるとバタンとそのまま気絶していしまいます」インタビュアーはすごいですねと言うと「朝気づくと寝違えてしまって体が痛いときもありますよ」などと答えていた。郷ひろみについては別のバラエティー番組のトークの中でも語られていて、彼と飲みに行って別れ際、タクシーを予防としたら郷ひろみが「俺が呼ぶからいいよ」と言って聞かないのだそうだ、なんだかそれでは気まずかった男は「いやいいよ」と断ったのだがそれでも聞かない、何度断っても聞かない、しまいには郷ひろみが道路に飛び出してタクシーを止め、送り際深々と一例をして送り出されたそうだ。なんとも肝の冷える話である。郷ひろみと言う男は何においても限界までやらないと気がすまない男とのイメージがそのころから僕の中に出来上がっていた、そしてインタビューの話を聞いたとき、思ったのだ。「郷ひろみに、俺はなる」と。それからずっと郷ひろみの影を自分なりに思い描き、追いかけてきたつもりである、もともと根性の無い人間なのですぐにだらけてしまい、いつも失敗と挫折を繰り返してきたが、ああ、これからも繰り返すかも知れないが、でも限界まで挑戦し続けることに変わりは無い、次はもっと強靭に、もっと賢く、気絶しようと思う。それが気絶であると他者には絶対に悟られないために必ず布団で気を失うように使用と思う。方法?知らない、誰からも教わる気などない。自分で考えるのだ。サラリーマン金太郎のマネをして寝る前にウイスキーを飲んだ事もあるがアレはあんまり美味くない。確かに心地よいのだが少し違う気がする。

ピアノが教えてくれること

2010年09月14日 | その他
もうかれこれ2年くらいだろうか。僕が最初にピアノ教室のあのグランドピアノを触ってから。僕は2年間、ずっとパッヘルベルのカノンを追い求め、今やっと実を結ぼうとしている・・・。

厚い黒塗りのグランドピアノが6畳ほどの部屋に狭苦しく斜めに押し込まれている。「じゃあ終わったら降りてきて」職員がそういって扉を閉め、階段を降りて行った。30分、僕はグランドピアノと共にすることを許された。わずか600円で。肩にかけた重いカバンを床に投げ捨てた。甲羅のように黒光りする鍵盤カバーを持ち上げ、指より大きい鍵盤に右手を置いた。物言わずそこにある黒いピアノ、おもむろに三本の指で鍵盤を押下する。響いた。怪物が鳴いた。そっと左手でも触れる。ミルクのように白い鍵盤に触れると指先から重みが伝わってくる。初めて言葉を口にした赤ん坊はその後の次の言葉を捜した。左手で探るように鍵盤を押下した。重なる低音。自分が空気に包まれている事を誰も忘れている、耳と目だけが辛うじてその場に残り、魂はピアノの中に吸い込まれていった。

あれから2年、ずいぶんと回り道をした。最初音楽教室へ通っていたが昼夜逆転の生活と合わず、しだいにサボるようになった。中途半端なまま半年が過ぎ、休講を申請した。部屋にあった電子ピアノに触れると粉っぽい感触がした。部屋を掃除するときに邪魔になり別の部屋に電子ピアノを移した。以来、ずっとピアノを触らない日々を送った。ある日母に聞かれた「もう、ピアノは弾かないの?」もう弾かない、そう答えた。「あんたなら、プロになれると思ったのに」プロ?また冗談を言って。軽く笑って流した。もうずいぶんとグランドピアノに触れていなかった。懐かしい感触を追い求めていたのだろうか、家電量販店の電子ピアノコーナーで何気なく弾いて見ると胸の中がざわざわと波立ち、気づけばああでもないこうでもないとパッヘルベルのカノンを練習していた。何度も練習している内、家に帰りたくなった。このピアノと一緒に。そのピアノは今僕の部屋の半畳ほどを占領し、一日に一回は音色を響かせている。いつかは、もっと広い部屋に住みたいものだ。

ゲームの電源を落とした日

2010年09月10日 | その他
今日、ゲームの電源を入れて落とした。前からよくあることだった。でも、今日はなんとなく意味が違った。

いつもどおり、仕事から帰ってきて居間に横になった。PS3のゲームコントローラーを持ってPSボタンを入れた。ゲーム機が起動して緑色のランプがついた。しかし急に重たい大きな壁が目の前に迫ってきた。思わずコントローラーを落とした。そしてテレビのリモコンを持って面白いチャンネルを探した。いつの間にか、眠った・・・。

目が開くとNHK高校講座をやっていた。生物学だ。枝豆の遺伝について解説されていた。衝撃的な内容で、感銘を受けた。勉強したいと思い、放送大学の資料をインターネットで請求した。なんでも思い立ったら行動するのが僕の癖である。

それから気分がよくなったので買出しに出かけた。アイスクリームを買って帰り、自室の机で食べた。一通り食べた後しばらくボーっとした。騒がしく鳴り響いていた喧騒から開放されたような瞬間だった。
居間に戻り、ノートパソコンを自室に持って意向としたとき、PS3の緑色のランプが光っているのに気づいた。パソコンを持ち上げるついでになんでもないように緑色の光にタッチし、よどみないしぐさでPS3の電源を落とした。
今日は、ゲームをしなかった。
ゲームだけが救いだった。けど、新しい楽しみがそれを奪った。読書と、ピアノだ。
僕はPS3を後にして自室にこもり、ピアノの練習曲を弾いた後、「IQ80」と言う本を冒頭だけ読んだ。驚くほど面白い本だった。

もう、ゲームはしないんだろうか・・・。
でもゲームは僕を縛り付けている気がする。何か、気の重い選択であるかのように。

正しい生き方を探している。でも、誰を見習うべきだろうか。ゲームをしない人だろうか?そうは思わない。
とりあえず、行動した。今日は、色々した。
・・・・苦しい。
考えれば考えるほど苦しい。いや、考えようとするほど苦しい。
むしろ、苦しむために考えているかのようだ。
考えているふりを・・・。


音楽を描くように絵を描いていた頃が懐かしい。
あの頃は楽だった。リズミカルだった。
不器用になってしまったな。