論文を読んでいたのだがちょっと論文疲れしたので一般書物に手を出してみる。と言ってもこれも論文に近いものだが、読み易いほうだ。
この本はリヴィウスと言う今から2000年以上も前に実在した人物によって書かれた歴史書を現代人でも分かりやすいように抄訳(しょうやく)した本だ。なので読みやすく分かりやすい。その分かりやすさはまるでローマに対する漠然としたイメージが1ページごとに霧が晴れるが如く、くっきりと輪郭を持って浮かび上がってくる様だった。
僕は世界史に無知だが、もし(*1)民主主義がローマを起源とするならこの歴史を学ぶ事はとても重要だと感じる。暴力よりも論理に重きを置いて国を治めるという事はどういうことか、生々しい記録が語りかけてくる。
徹底的な批判に対して毅然とした態度を取る事も無くその場を去ろうとした男は独裁官(一時的な王様)の部下にその場で切り殺された。でもそれを独裁官は正当化し、民衆も納得する場面が印象的だった。
権力を王一人が持つことにジレンマを感じていた民衆は成文法を発明し、それが今日までの長い歴史の中で受け継がれていった事実に現代文明の脆さを痛感した。成文法とは今で言う憲法のようなものだと思う。
日本人は平和ボケしていると一部の人は言う。確かに現代人に古代ローマ人のような輝きを僕は感じない。それが質的な違いなのか、失われた光なのかは今だ釈然としないが、きっとどちらかであろう。
この本の中で僕は計り知れないほどの人間の憎悪を垣間見た。それは惨たらしく、幾度と無く繰り返された。これが人の道なのかと疑いたくなるほどだった。しかし、それもまた救いの道なのかもしれないと思ったりもする。
福井県では浄土真宗が盛んに信仰されている。浄土真宗は一心に念仏を唱える事が大切と教えられてきた。善人も悪人も念仏を唱えれば弥陀如来の後光によって浄土へ導かれるという教えだ。現世よりも来世に重きを置いている教えなんだと思う。
考えてみたら浄土宗の教えも現世の人間の生き様も似たようなものじゃないかと思い至った。善人でも悪人でも同じ歴史を歩み、つむがれて行く。どんな惨たらしい歴史も多少の風化はあっても深く人々の記憶に残り、語り継がれる。人の道を究めんとするものは浄土を求める者と相通ずるものがあるのではないだろうかと思った。
*1:僕は無知であるため、「もし」と表現せざるおえない。
タイトル:ローマ建国史 上
著者:リヴィウス
翻訳:北村良和
出版社:PHP