某国破壊工作団体幹部氏 へ

某破壊工作団体と某被害者とのごく内輪の遣り取りの場所です。

19/8/23 若者達へ 其の一

2019年08月23日 | 日記


実の母親を目の前で時間をかけて嬲り殺される、と言う今こうして記していてもおぞましい限りの経験を貴様らで私はした。


その 『後も』 貴様らでこうして苦しみ続けて来た理由が、私には全く解らない。


特に昨晩からここまでの苦しみの理由が解らない。

昨晩八月二十二日午後十一時頃から、だったろうか強めの電磁波が始まった。

「いよいよ撤収なのだろう。」と我慢を続けた。


ところが、、なかなか撤収は実行されず、苦しい電磁波は続いた。

「撤収への踏ん切りがつかないのだろう。」と我慢を更に続けた。



しかし、、電磁波は「より」強いものとなり、一種強烈的な電磁波にまでそれはなった。

苦悩の日々に疲れていた私は遂にたまらず床に横になった。

そこへも「強烈的な」電磁波は情け容赦なく電磁波が襲い続け、やがてどうも出入りがあったらしいことが、私にも解った。


それでも電磁波が「強い」ものが続き、やがて私は眠ってしまった。

眠りの中で、怖いものから子供達と一緒に逃げ回る恐ろしい夢を見た。
夢の中でも、「母の時についで今度も」と自分が情け無かった。


目が開くと、「早く起きろ」と言う意味なのであろう、苦しい電磁波が私を襲い続けた。

やがて体の特定の部位が痛みつけられ、「これを、しかも強度にやられた母はどれだけ辛かっただろう。」、と陰惨な気持ちになった。



疲れた体を無理して起したが、『準備』、とやらがあるらしく、、思いの外「すぐに」撤収は実行されず、私の苦しみは長々と続き、、ここまでで合わせて三時間以上に及ぼうとしている。


     『どこまでも、どこまでも、自分達はお偉さん』

     『バカ菅原母子は偉大なるコンツェルンの自分達のもの』


弱者である私を、見下し威嚇する音が先ほどから、ずっと続いている。


後二時間程で、母の死亡を確認し、私が恥も外部もなく泣き喚いて丁度一週間となる。


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