某国破壊工作団体幹部氏 へ

某破壊工作団体と某被害者とのごく内輪の遣り取りの場所です。

20/3/10 色々な人達へ 其の二

2020年03月10日 | 日記

 

男二人がそうやって、、無敵で毎日弁当がやって来るのをいいことに、、毎日毎日撤収を延ばす毎に、どれだけ人が苦しんでいるか、解っているだろうか?正に死を目前にしようとしているのに、、飢餓状態でほぼ完全にろくに話もできなくなっているのに、、「いたーーいっ!!」と大声で叫んでいた母の姿はどうしても忘れられない。普通にしている日常でもふとした時に突然思い出され、暗澹たる気持ちになってしまう。私も年中やられるのだ。背中を大きくえびぞりにし、唸り声をあげたくなる程の苦痛。今も『やりもしない』撤収で自分が辛いからと言って大きな苦痛を与えられている。どうやっているのか解らないが、、骨がないであろう心臓部の真後ろを背中曲げと同じ大きな苦痛が襲っている。
母も私も何も悪いこともしていないし、エージェントでも何でもないのに、、どうしてこんな残虐な目に遭わねばならないのだろうか?誰も助けてくれない中、自分の親を守る為に、必死に気を付けながら行動している私の母が「民間人」である管理人から注意を受け、よりにもよって殺されると管理人に訴えた私の話はわざわざ握りつぶされる。無抵抗な年寄りがなぶりになぶって殺されたのに、何もしてくれず、恫喝・侮辱まで加えられる。おまけにせめて金銭的支援でも財閥経由ででいいのでしてくれるのかと思いきや、それも全くなく自殺に追い込もうとする。こんなことは「悪」ですらなく最早「狂気」の世界だ。国家でも政府でも国家機関でも何でもない。
検事総長人事での正に無茶苦茶な行動を見ていれば、、誰も見ていない角部屋から中国が凶悪犯を連れ出し、警察がそれを黙認することなどごく簡単なはずだ。誰もそれをしないから私がやる。たとえ結果は駄目になってもやる。死ぬに死に切れないのだ。実際、刺し違えになるが、成算は充分にあるのだ。こんなことを国家が許すなどと言うことは決してあってはならない。国家の尊厳に関る問題だ。だから私は絶対にやる。新型ウィルス問題で経済もとても大変なこととなって来た。某政権べったりの政治評論家がテレビで語っていた。「結果的に見れば、あの一番最初の時に止めていれば良かったが、・・の理由でしかたがなかったんですよ。」
感染率一%で日本人120万人の感染者数。致死率を一%と最低として見積もっても、、死者が1万2千人。私も見た1万2千個の白い棺が並ぶのだ。私もあげた悲鳴を沢山の家族があげるのだ。私は絶対にやるのだ。せこい正義感などではなく、絶対にやるのだ。この小さな我が家庭と全く同じパターンで、この大悲劇が生まれたのだ。たとえ倒れて終わっても、何の悔いがあるであろうか?

 

       (但しいわゆる犯罪行為は絶対にしない。)


20/3/10 人間のくず二人へ 其の一

2020年03月10日 | 日記

 

そろそろ記事公開をする必要もない段階に入って来たようだ。今回の記事で大切な部分は、、男二人が昨日三月九日午後十一時半辺り頃から、、「電磁波で」私を眠らせようとしていること。。つまり、、「また一日延ばそうか・・?」的な『温い』状況に男二人がいる、と言うこと。この場合、厳しい制裁を私が望んでいると言う訳では「決して決してない」。男二人が温い状況に所詮いて、そこに加えて男二人の袋詰めがない以上、事件解決は最低でも十年は無理、、と言うこと。結果的に、私が立ち上がるしか他に道がない、と言うこと。それを実行に移す決意・方策が充分過ぎる程に私にはある、、と言うこと。ただ、それは犯罪を実行することを意味する訳ではないことだけは改めてここで確認をして置きたい。もっとも自分が勝てるとは思っていませんよ。刺し違えで充分なので・・。