新歩(歩くことは楽しい知識につながる?)

休日にいろんな所を歩いた記録と感想などを添えて・・・

三陸へ その1

2011年09月23日 | Weblog

あれから半年が過ぎた

未曾有の大水害 大津波から三陸がどの様に成っているのか

仲間の友達が3月から毎月ボランティアで通っておられる

9月は後半の連休を使って

その仲間に私も入れていただいた

そして 

少しでもこの状況が分かっていただけるよう

この災害をいろんな方に長く支援しなければいけないことを 伝えたいと思う

今回のルート

9/22 21時 大阪を出発

最初の目的地は岩手県宮古市

高速を乗り継いで盛岡 そこから1時間を掛け

目的地到着は9/23 13時頃

なんと16時間 遠い

夕暮れまであまり時間が無い 昼食を後伸ばしにして

先ずは 宮古市田老

 

初めて見る光景 街がなくなっている

今は堤防の復旧が第一

現場では破壊された堤防を撤去 波除ブロックがその場で作られいる

堤防の中は 瓦礫の山

この街の堤防は3ブロックに分かれている

一番ひどい被害を受けているのは北側の堤防 完全に破壊された町

 

もう使うことが出来ない鉄骨造のホテルだろうか 印象的に残る

住める町に出来るのは何時になるのか

大槌町吉里吉里

 

建物が建っているようだが 殆どは使えない

 

基礎から上は何処かへ コンクリートの建物も津波には意味が無いのか

 

釜石市港町

 

今は復旧された三陸鉄道

でも 街の中には人はいない

 

大船渡市大船渡町

  

街は冠水している

 

その中で 解体の作業をされている方たちがいた

尋ねた時は 陸と海の高さは殆ど無い

  

その中で何とか一部の方が漁業を再会されている

テントで仮設に作られた市場

港から国道に出ようとすると 大きな漁船が

 

被害のライン沿いに川 隔てた向こうは被害も少なく住まわれている方が居られる

その直ぐ下にこの大きな漁船

境界線でもこれだけの力のある津波

港町で半分に割れた石碑が横たわっていた

昨年9月に50年前のチリ地震大津波を忘れない為に立てられた石碑

その半年後に 前回を上回る大津波が

陸前高田市高田町

 

辺りは薄暗くなってきた

5階建てのコンクリートマンション

かろうじて5階のみが何とか これも今は使えない

消防署は車ごと

救助をするどころではない

高田の松原は完全に水没 かろうじて球場の面影は残っている

 

最後に使えなくなったホテルの脇に ひまわりが一輪

誰かが植えたんだろうな~

 

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