あれから半年が過ぎた
未曾有の大水害 大津波から三陸がどの様に成っているのか
仲間の友達が3月から毎月ボランティアで通っておられる
9月は後半の連休を使って
その仲間に私も入れていただいた
そして
少しでもこの状況が分かっていただけるよう
この災害をいろんな方に長く支援しなければいけないことを 伝えたいと思う
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今回のルート
9/22 21時 大阪を出発
最初の目的地は岩手県宮古市
高速を乗り継いで盛岡 そこから1時間を掛け
目的地到着は9/23 13時頃
なんと16時間 遠い
夕暮れまであまり時間が無い 昼食を後伸ばしにして
先ずは 宮古市田老
初めて見る光景 街がなくなっている
今は堤防の復旧が第一
現場では破壊された堤防を撤去 波除ブロックがその場で作られいる
堤防の中は 瓦礫の山
この街の堤防は3ブロックに分かれている
一番ひどい被害を受けているのは北側の堤防 完全に破壊された町
もう使うことが出来ない鉄骨造のホテルだろうか 印象的に残る
住める町に出来るのは何時になるのか
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大槌町吉里吉里
建物が建っているようだが 殆どは使えない
基礎から上は何処かへ コンクリートの建物も津波には意味が無いのか
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釜石市港町
今は復旧された三陸鉄道
でも 街の中には人はいない
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大船渡市大船渡町
街は冠水している
その中で 解体の作業をされている方たちがいた
尋ねた時は 陸と海の高さは殆ど無い
その中で何とか一部の方が漁業を再会されている
テントで仮設に作られた市場
港から国道に出ようとすると 大きな漁船が
被害のライン沿いに川 隔てた向こうは被害も少なく住まわれている方が居られる
その直ぐ下にこの大きな漁船
境界線でもこれだけの力のある津波
港町で半分に割れた石碑が横たわっていた
昨年9月に50年前のチリ地震大津波を忘れない為に立てられた石碑
その半年後に 前回を上回る大津波が
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陸前高田市高田町
辺りは薄暗くなってきた
5階建てのコンクリートマンション
かろうじて5階のみが何とか これも今は使えない
消防署は車ごと
救助をするどころではない
高田の松原は完全に水没 かろうじて球場の面影は残っている
最後に使えなくなったホテルの脇に ひまわりが一輪
誰かが植えたんだろうな~
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