新歩(歩くことは楽しい知識につながる?)

休日にいろんな所を歩いた記録と感想などを添えて・・・

三陸へ その3

2011年09月24日 | Weblog

そして今回ボランティアをさせて頂く

南三陸町歌津馬場

 

馬場中山支援センター

  

ここがこの周辺のボランティア基地

中は広いが 基本的にはここで寝泊りは出来ない

別のボランティアグループはこの建物の裏にテントを建て 1週間過ごされたとか

センターの敷地から見る景色は何も無かったような感じがする

今回の行動したメンバーの6人

そして二手に別れ 3人がこの町のお手伝いをする

ここの自治会長さんがこの軽トラで私達をお迎えにこられた

軽トラで運ばれた先は近くの仮設住宅

草刈機の指導を受け広い範囲を3人で

作業も終わり最後に1枚

私達の作業は支援センターのホームページ

作業をする合間 ここに住まわれている何人かのおばあさんと話をした

明るく話しかけていただいたが

話しを続けていると・・・

ここは半島になっている

北からの津波が引いたと思ったら 次は南から

そして会長さん宅もここに住まいがある

津波の時 高台の自宅に車4台

みんなで避難したら そこにも津波が

家も車も全て 今は送られてきた軽トラが足になっている

何時も忙しく精力的に動かれている会長さん この町を一時も早く復興させたい一身なんだろうな

ただ この仮設住宅に近くの住民はあまり住まわれていない

お隣のご家族一軒だけが知っている方だとか

また あるおばあさんは息子さんが昆布の養殖をされている

昨年 チリで発生した津波で地域の筏はことごとく破壊されようやく再開

種を植え2年後の昆布の収穫を待つようになった

そして今回の津波で根こそぎ

息子さんはどんな気持ちで養殖を再開されようとしているのか

仮設住宅横に息子さんが北海道から取り寄せた船が据えられている

今はまだその船は使われていない

昼休み 時間がかなり空いたのでここの港へひとり出掛けた

 

完全に破壊されている

今は他の漁港で他の地域の方と協力しながら作業されているとか

残った防波堤に打ち寄せる波はかなりの迫力

壊れた防波堤から侵食される陸地

 

その際の高台に小さな神社

昨日から色んなところを回ってきたが 神社は殆どが無傷なところが多い

神社から破壊された港が見える

そしてその横に 新しい祠が

 

津波の後に建てられたのかな~

 

 

そしてボランティアを終え 他の仲間と合流して三陸を後にした

別の3人が志津川高校の炊き出しをされていた方からTシャツを購入してきてくれた

今回の案内をしてくれたリーダーが前回尋ね友達になった方たち

その方たちは志津川駅前で食堂を経営され近くに自宅も在った

だが今回の津波で全て破壊

志津川高校に避難され

そこで自分達の技術を使い最後まで炊き出しをされていた

志津川高校の避難所は8月に閉鎖

でも 今も復興の為に活躍されている

その方たちの名は 内田ブラザーズ

このTシャツはこの方達が協力して作られたもの

  

 詳しくはこのサイト

私はこのTシャツで大阪マラソンを走ろうと思う

少しでも復興のお役に立てれば

少しでも三陸の方たちに気持ちが伝わるように

今回尋ねた馬場地区・志津川地区はこれからも訪ねていこうと思う

この町がどの様に復興されるのか見守る為

そして少しでもお役に立てられるよう 心がけたい

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三陸へ その2

2011年09月24日 | Weblog

次の日

今日はボランティアをさせて頂く日

待合せは8時半

その時間までに尋ねなければいけない町があるので朝食を済ませ 宿を6時出発

宮城県気仙沼

 

ここも港町は冠水

 

地盤が下がっている

その中でも大きなトラック 何とか営業を再開されているようだ

港の市場はこの時間だと活気に満ちているはずだが(今日は休みか?)

でも ニ隻の漁船には沢山の方たちが乗り込んでいる

仮設の鋼板で造られた床

その下に以前の床が 70cmの嵩上げ

 

それだけ地盤が下がっている

道路は応急に盛土を施しこしらえた模様

満潮時にはこの道路も乗り越えているのか

街の中心部に GROUND ZERO のモニュメント

 

早い復活 成し遂げて欲しい

南三陸町志津川

  

ここは本当に広範囲

周辺の高台に僅かに残る住宅が見える

防災対策庁舎

 

皆さんも記憶に残ってられるだろう

押し寄せる津波 最後まで避難を呼びかけるアナウンスを続け亡くなった若い女性がいたことを

避難する人にどれだけの力を与えたのか

そこを起点に周りを見てみる

本当に何も無い

快晴の青空が 一層それを強く思わせる

5階建ての病院

全ての階が水没 何とか一番高い屋上に上り

次の日 ヘリコプターで救助されているテレビの映像が目に焼きついている

海面は海から18メーターくらいには達したのかな~

病院前に流されてきた残骸があるが 手付かずのままのようだ

今回の大津波

2008年 過去の災害の教訓 これから起こる災害に備え

大規模な訓練が行われた

でも その訓練を上回る今回の災害

本来先頭に立つはずの三陸沖の自衛隊基地

それ自体が災害に遭い 思うような救助体制も整わない

これだけの被害 沢山の人たちが亡くなられた

関西・東海と今から起こるであろう 東南海地震

それに備える準備 しっかり肝に銘じなければいけない

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三陸へ その1

2011年09月23日 | Weblog

あれから半年が過ぎた

未曾有の大水害 大津波から三陸がどの様に成っているのか

仲間の友達が3月から毎月ボランティアで通っておられる

9月は後半の連休を使って

その仲間に私も入れていただいた

そして 

少しでもこの状況が分かっていただけるよう

この災害をいろんな方に長く支援しなければいけないことを 伝えたいと思う

今回のルート

9/22 21時 大阪を出発

最初の目的地は岩手県宮古市

高速を乗り継いで盛岡 そこから1時間を掛け

目的地到着は9/23 13時頃

なんと16時間 遠い

夕暮れまであまり時間が無い 昼食を後伸ばしにして

先ずは 宮古市田老

 

初めて見る光景 街がなくなっている

今は堤防の復旧が第一

現場では破壊された堤防を撤去 波除ブロックがその場で作られいる

堤防の中は 瓦礫の山

この街の堤防は3ブロックに分かれている

一番ひどい被害を受けているのは北側の堤防 完全に破壊された町

 

もう使うことが出来ない鉄骨造のホテルだろうか 印象的に残る

住める町に出来るのは何時になるのか

大槌町吉里吉里

 

建物が建っているようだが 殆どは使えない

 

基礎から上は何処かへ コンクリートの建物も津波には意味が無いのか

 

釜石市港町

 

今は復旧された三陸鉄道

でも 街の中には人はいない

 

大船渡市大船渡町

  

街は冠水している

 

その中で 解体の作業をされている方たちがいた

尋ねた時は 陸と海の高さは殆ど無い

  

その中で何とか一部の方が漁業を再会されている

テントで仮設に作られた市場

港から国道に出ようとすると 大きな漁船が

 

被害のライン沿いに川 隔てた向こうは被害も少なく住まわれている方が居られる

その直ぐ下にこの大きな漁船

境界線でもこれだけの力のある津波

港町で半分に割れた石碑が横たわっていた

昨年9月に50年前のチリ地震大津波を忘れない為に立てられた石碑

その半年後に 前回を上回る大津波が

陸前高田市高田町

 

辺りは薄暗くなってきた

5階建てのコンクリートマンション

かろうじて5階のみが何とか これも今は使えない

消防署は車ごと

救助をするどころではない

高田の松原は完全に水没 かろうじて球場の面影は残っている

 

最後に使えなくなったホテルの脇に ひまわりが一輪

誰かが植えたんだろうな~

 

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赤子谷オフ会下見へ

2011年09月19日 | Weblog

今回は私の所属している山の会のオフ会の下見

珍しく私が企画

開催は10/2 この間の台風の影響

そして 最初に入る沢の入口周辺を探索する為に今回時間を作った

JR生瀬(なまぜ)駅 7時37分到着

オフ会と同じ時間に到着だ!

駅前で身支度を整え 7時42分 出発

駅前にコンビニは在るのだがこの時間にはまだオープンしていない

帰りに立ち寄り尋ねると 9時から営業 と

飲み物はお店前の自販機で手に入れられるが食べ物は無理

電車に乗る前にそろえておかないと困ったことになる

有馬街道を歩いていると

左手から 赤子谷の沢が太多田川に合流するところが

そして一つ目の橋 「千都橋」

この傍 先ほどの沢出口に近いところを今回は先ず探索することにしている

ここから先ず 待合せ場所の橋にゆっくり向かい

まさよし橋に8時少し前に到着

ただ今回は私一人なので先ほどの橋へ戻り 沢探索開始

取り合えず何処でもいいから適当に歩いていると

沢の上に水路が

奥には階段もあり監理されているよう

ちょとこの沢(赤子谷ではない)が気になり水路下を潜っていくと

直ぐに高さ3m程のナメ滝が

山靴では到底登れないようなのでそれ以上はやめて

この沢の反対方向 水路を辿って

8時9分 赤子谷の沢へ

水路は赤子谷の沢も跨ぎ何処まで行くのかな~

ここからゆっくり沢沿いを(今回は根来歩きである)

中々良いかな~

途中 こんなところも

8時27分~31分 以前入った沢入口に到着

今日は前回より幾分水量あるかな~

8時39分 赤子谷の左俣・右俣の分岐

オフ会は左俣 左に進路をとり暫くすると

8時47分 赤子滝

8時55分 峡谷に到着

 

暫く周辺で一人遊び

ゆっくりゆっくり前へ

今回は前回と違うルートで出来るだけ山地図に沿って歩いてみる

9時54分~10時 六甲縦走路到着

ここからも根来歩きでゆっくり

何人かのお年寄りに追い抜かれていった

10時59分 蓬莱峡へ向かう分岐

 以前は草が生い茂っていたが?

分岐から直ぐに 癒しスポットが

後は殆ど下り

ハニー農園を過ぎ

11時44分 座頭谷到着

谷で昼食を考えているのでゆっくり歩いてみた

思った時間に到着して一安心

ここで昼食を済ませ 蓬莱峡に下り 今回の下見完了!

最終目的地「屏風岩」に到着したのは 12時55分

今回は1組のグループがクライミングの練習に来られていた

さて山の仲間達 何時もと違う六甲の山

参加下されるだろうか・・・

今回のルート

距離は 17.5km

コメント (2)
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