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第005話 逆説の世界史I

2021-06-18 08:32:55 | 召喚大統領が異世界を逝く!

第五話

「ツイステ合州国」は新大陸を、多少の小競り合いを経ながらも、概ね比較的に温厚な同化政策の方針で、平定し、統一した。
かつては流氷船などという無謀な航海で渡ってきた整教徒国父(ピルグリムファーザー)たちのDNAは再度海へと向かい、発展した魔法技術と科学技術の融合により、外洋航行技術が確立された。
新大陸だけでも、経済圏は充分に成り立ってはいたのだが、その過酷な出自が、中央大陸国家への復讐という国是が、合理的精神を凌駕したのだ。

さてここで、更なる国家が登場する。
中央大陸の東湾岸に存在する列島である。
モトヒノと呼ばれる、この列島国家は、この世界のご多分に漏れず、超古代文明時代の入植者(という程大げさで無いが、島暮らしを好んだ変わり者といった程度か)の末裔である。そのわりとどうでもよさそうな人口勢力から古代の滅亡戦争においても無視されがちで、比較的被害が少なく、高い文化水準を維持していた。
中央大陸の経済圏は、大陸内と長い湾岸程度で充分に完結するという典型的なランドパワーのそれであり、わざわざ近隣の小島国家を侵略しようという動機はほとんど無かった。しかし、1000年ほど前に、ちょっとした外交上の齟齬により(仲介した国に問題があった・モトヒノの外交下手)、当時の大陸王朝が、懲罰戦争を行った。
原因もうかつであれば、その後の経過もうかつを極めた。
大陸王朝にはまともな海軍が存在せず、その面倒を属国である半島国家コーライにぶん投げたのだ。海に囲まれた半島国家なら、まともな造船技術も持っているだろうというずさんな判断だったが、短期間で大量の陸軍を揚陸するための軍船建造を命じられたコーライにも同情の余地はあった。
そして中央大陸の大軍を載せたコーライ製の軍船は、まともに戦う前に、季節性の台風で大多数が沈没した。
この望外の幸運に、モトヒノの民には、モトヒノ国は神に愛された神国であるという歪んだ思想が生まれた。

その後のモトヒノ国内の歴史になるが、狭い島国の中に数十もの軍閥が生じ、何百年も戦争を続けるというまさに修羅の国と化した。
それでも終わりの時は来た。
400年前に、統一政権が成立し、余りに余った軍閥勢力の軍勢、兵器の処分に困ったショーグン・ヨシヒコは中央大陸への侵略を企てたのだ。
もちろん、まっとうな判断能力を持ち、「サチコ、それ野望ちがう無謀や!」と反対していた統一政権内の勢力も少なくなかったが、ショーグン・ヨシヒコの野望は止められなかった。
大陸を侵略するに当たって、橋頭堡は、三方を敵に囲まれる湾岸地区に構築するより、一方だけを警戒すればいい半島のような地勢があれば理想的である。
つまりは、コーライである。600年前(現代からは1000年前)の恨みもあったことだろう。数百年の内戦でぐつぐつ煮立った修羅達に、阿諛追従で生き延びてきたコーライの軍隊が抗することなど不可能の極みであった。
上陸したモトヒノ軍は破竹の勢いでコーライの地を侵略していった。
あと一歩で、ダイシン帝國に届かんとするそのとき、異変が起こった。
海戦でも負け知らずであったモトヒノ水軍が、ゲリラ的な襲撃に大打撃を受けるようになり、海上輸送が断絶。伸びに伸びた兵站が破綻したのだ。
まさかそれが「英霊召喚」に呼び出されたリー将軍なるものの仕業だとは当時のモトヒノ人達は夢にも思わなかったことだろう。
戦線は膠着し、厭戦気分が高まったところに、ショーグン・ヨシヒコの病死(死因:テンプラの食い過ぎによる急性閉塞性化膿性胆管炎)という出来事が起こった。中央大陸侵略派は力を失い、これを幸いに派遣軍は撤退。一部は抗戦を続けて玉砕した。
この事件以降、モトヒノは「もう戦は懲り懲りだよママン」と、すっかり内向的になり、以後300年、オーエド幕府の治世下、平穏なオーエド時代を過ごすことになる。
モトヒノ国側としては、これは「敗戦」ではなく「方針転換」でしかないという認識であったが、コーライ側からすると大勝利である。
ここに  中央大陸に属するコーライは、野蛮なモトヒノより優位であるという勘違いが確立した。



2 コメント

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Unknown (はにわファクトリー)
2021-06-18 09:20:17
外伝)
 古来よりモトヒト國は言の葉いづることを善とし呪術記録のための神聖文字を開発することに否定的であってきた。しかしあるとき、仏教の名のもとに偶像崇拝行為と経文という名の知恵の集大成、あるいは書き取りの手本、が到来した。それらは国家構想基盤となり建国理念が提唱され、たちまちのうち換骨奪胎されて八百万の神々とマッチングして神仏習俗を生んだ。
 古来よりモトヒト國は文明隆興を支える優れた工人および貴種を外より呼び込み取り入れる策術に長けていた。わりかしどうでもよかった人口の時代にあってはその策術は特によく機能し、時の統治層は工人貴種の移住移殖を厚遇した。百済寺建立や高麗邑付与がその一例である。
 時は下ってナザレの大工が誕生して2千20余年、モトヒト國は象徴的な意味において策術の新たなサイクルを敢行した。三星集団副会長氏とその直系親族を貴種として難民認定するというものである。副会長氏とその親族の海峡渡航は困難を来した。巷間のうわさが伝えるところによれば真相は運休のはずの定期便に貨物コンテナのふりをして身を隠したというものである。つまびらかなるところはのちの歴史家たちが明らかにするであろう。難民認定を獲得した副会長氏は空港で記者会見しモトヒト國政府の厚意に感謝の言葉を述べた。ひとは彼を久多良のコキニシと呼んだ。のちに彼は官位を賜綬し殿上へのぼることとなった。
Unknown (龍)
2021-06-18 18:00:47
ショーグン・ヨシヒコの死因はパンクだと聞いています。たまたま養生テープを切らしており、数台の空気ポンプによる懸命の回復作業にもかかわらず、どうしても脱気を止められなかったのだとか。
一代の英雄ヨシヒコの死は、テンポイントにて...もとい、テンカウントにて悼まれたと、トンキン運動という資料にあります。

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