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続いて訪れたのは、北岳への玄関口 芦安地区へと至る県道20号(南アルプス街道)を御勅使川(みだいがわ)沿いに西へ行った途中にある「龍神堂」の紹介と、その裏手にある度重なる水害から扇状地に広がる村落と田畑を守った見事な大規模施設「石積出(いしづみだし)」の紹介です。
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龍神を纏った仏像
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お堂内には、白龍の掛け軸 左右の三角のものは何でしょう?お供物?
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/4c/1e7d58989ba0a528bbb7951b95fff972.jpg)
由来記
「夢枕に龍神が現れ~」と、良くありがちな縁起ではありますが、前回紹介した石宮神社も度重なる水難厄除として崇敬者が建立したのと同じく人々のその想いは、現在でも受け継がれています。
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お堂の隣には、すもも畑 この地域の名産のようです。
続いてお堂の裏手に大規模な石積みが見えたので確認しに行ってみることにしました。
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石積出二番堤
石積出とは、御勅使川扇状地上流に築かれた石積みの堤防です。現存する1~5番堤のうち、1~3番堤が将棋頭とともに国の史跡に指定されています。信玄が工事を命じた伝承が伝えられていますが、戦国時代の史料に「石積出」の記述がなく、いつごろ造られたのかはわかっていません。(こちらより引用)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/70/cd/540fd66052b8677f502c19dca15d3355.jpg)
御勅使川
南アルプス巨摩山地より2千mの落差を流れ釜無川へと注ぐ総延長18キロの川です。昔から暴れ川で、その急流により度重なる水害があり人々は苦しめられていました。
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石積出の機能 (図番:巨摩郡下条南割村差出絵図より加工)
御勅使川と釜無川の合流ポイントにある「信玄堤」は、彼が治水技術に長けていたという話は有名ですが、信玄が生存していた戦国時代に、この「石積出」を築いたと言う資料は無いそうです。どちらにせよ暴れ川の水流を石積へ逃がし流れを弱めるこの先人たちの知恵は、敬服せざる負えません
☞参考リンク:御勅使川扇状地の生命線 石積出(いしつみだし)
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