四国遍路は実は幼い頃から知っていました。何故かというと私は四国で生まれ育ったからです。ただ、父親の転勤で中学に入る少し前に東京に転校しましたから、その後はあまり意識することは無かったと思います。
子供の頃、まだ小学校に入る前の最初の「お遍路さん」に対する思い出は、あまり良いものではなかったように記憶しています。漠然とですが、お遍路さんは、当時、「物乞い」「ものもらい」もっと厳しい言い方をすると「乞食」のようなイメージが強く残っていました。これは私の生まれた四国の田舎の、父母の影響では決して無いのすが、何故か、そんなイメージがありました。
「托鉢」(たくはつ)修行の一環として、お遍路さん(本来の修行僧)は、四国88ヶ所を回りながら、・集落に立ち寄り、お経を唱え、その見返りとして「お接待」と呼ばれる、食事や金品を受け取りながら、野宿や通夜堂などでお金をほとんど使わずに修行しながら回っていたという流れがあるからでしょうか。
正確なことはわかりませんが、それが私の子供の頃の、「お遍路さん」に対する最初の印象であったと思います。
子供の頃、まだ小学校に入る前の最初の「お遍路さん」に対する思い出は、あまり良いものではなかったように記憶しています。漠然とですが、お遍路さんは、当時、「物乞い」「ものもらい」もっと厳しい言い方をすると「乞食」のようなイメージが強く残っていました。これは私の生まれた四国の田舎の、父母の影響では決して無いのすが、何故か、そんなイメージがありました。
「托鉢」(たくはつ)修行の一環として、お遍路さん(本来の修行僧)は、四国88ヶ所を回りながら、・集落に立ち寄り、お経を唱え、その見返りとして「お接待」と呼ばれる、食事や金品を受け取りながら、野宿や通夜堂などでお金をほとんど使わずに修行しながら回っていたという流れがあるからでしょうか。
正確なことはわかりませんが、それが私の子供の頃の、「お遍路さん」に対する最初の印象であったと思います。