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蝦夷犬(エゾイヌ)

奥羽越列藩同盟の東北北海道さらに新潟県をテーマとして、地域の新聞から記事を選び、勝手なことを書きたいと思う。

ロ、月探査機打ち上げ 半世紀ぶり 南極目指す

2023-08-12 16:44:00 | 日記
河北新報電子版 朝刊
令和5年8月12日 7/24

ロシアがソユーズによる無人月探査機「ルナ25号」を打ち上げた。
インドが7月14日に打ち上げた「チャンドラヤーン3号」を月南極付近に8月下旬に軟着陸させる予定だが、それを追い越すことができると発表したそうである。
同じく南極付近を探査するとしている。
ロシアは2014年に打ち上げ予定だったが、再三打ち上げ延期されてきていた。
地球に戻る装置は備えていない。
1年間、調査の予定。

アメリカのNASAも南極で水を探す計画と言うが、南極の水をめぐって熱いバトルが勃発しそうである。
そもそも、ロシアはウクライナに攻め込んで、ほとんどの攻撃兵器が枯渇しているのではと予測されているにもかからわず、音を上げていない。
勝手に推測すると、ロシアはソユーズが宇宙に行っていれば、国際宇宙ステーションと行き来するロケットが無いと断ることが可能である。
どんな意味があるだろうか?

次に、ロシアは月探査で何を狙っているのだろう?
ロシアは国家存亡の危機に瀕していると思うが、例えば、現時点で停戦が可能として、ロシアは存続を許されるだろうか?
どのような条件で、ロシアがウクライナ侵攻を辞めるのか、想像がつかないが、ロシアの疲弊とウクライナ侵攻の損害賠償は、ロシア一国が耐えられるように思えない。
プーチン大統領も戦争犯罪者として裁かれねば、国際社会は納得しないだろう。

日本は、この機会に樺太全土と北方四島を含む千島列島全部の帰属を主張するべきである。
あの愚か過ぎる岸田政権が、それだけの事をできる胆力も器量も持ち合わせていないと思うが、日本政府にそのような人材が枯渇しているとは思わない。
有能な外交官を発掘して、発言させるべきだろう。
鈴木宗男の横暴に、なすがままだったロシア方面の外交官に、それだけの知見の持ち主が居るのかどうかが問題だ。
どうも、検索しても上月豊久という大使は、いささか頼りない。

「長時間労働で自殺」 中国人研究者遺族 東北大に賠償請求

2023-08-11 12:56:00 | 日記

長時間労働で自殺

河北新報電子版 朝刊
令和5年8月11日 22/26

中国人研究者が長時間労働で自殺した。
遺族が東北大学に労働契約法の安全配慮違反として1億1350万円の損害賠償を支払えと提訴した。
理系の研究は、過酷なことも多い。
例えば、72時間煮沸とか2週間の継続観察など、通常の勤務などとは全く違う、必要とされる研究方法を取らざるを得ない。
仮眠は取れるはずだが、だからと言ってトイレ程度ならともかく、長時間現場を離れることなど有り得ない。
現在は材料科学高等研究所となった東北大原子分子高等研究機構に勤務した研究員だと言う。
しかし、どれほど急ぎであっても、健康が阻害されるような状況の場合は、当然だが研究をやり直すことにして、中断することはある。

中国人研究者は、研究は中国に持ち帰る。
時には、研究の邪魔をして、あるいは手順などを間違えて、決して責任を認めようとしないなどがあると聞くこともある。
私はファッション関係の中国人の弟子が数年いたが、非常に誠実で、帰国することになったときは、娘が外国に行くような気持ちで見送ったことだった。
だから、個人差は大きいだろう。
彼女は、政府の役人たちがずるくて嫌いと言っていた。
だが、大使館員の数人とは良い関係で、私共に不愉快だったことは無かった。

東北大学としてはどうするのだろう?
これだけ多くの問題が噴出して、自殺の責任は大学にあると、多額の賠償金まで支払うことになるなら、中国人研究者の受け入れは、百害あって一利なし?
一利はあるだろうけれど、一利に目が行って百害は考慮されないなら、日本側は大損である。
大学が独立法人になってから、単視眼的に自分とか大学だけ儲かれば良いと言う風潮になっているのは、残念。
研究内容は、日本と国民に益するものであって欲しい。
また、教育は結果を示しやすい分野とも言える。
政府は、大学などの研究教育機関をもっと大切にして良いのではなかろうか?

三陸沖内部水温 7月は10度高く 近年サンマ不漁続く

2023-08-10 19:02:00 | 日記
河北新報電子版 朝刊
令和5年8月10日 21/22

初鰹から、今年は漁獲が良いが、秋の味覚の秋刀魚が近年は不漁になっているという。
房総半島沖で日本沿岸から離れる黒潮が北上して、宮城県沖まで来ていることが、影響していると言う。

私は魚の喰い方が下手で、女房や子供に笑われるのだが、特に秋刀魚の小骨が苦手で、しっかり煮付けて食べるのが好きである。
言わば、缶詰のように煮付けたものを普段に食べる。
酒の肴には実に美味しく、イカの刺身の次くらいに好きな食べ物である。
もちろんだが、焼いて大根おろしで食べるのも嫌いという訳では無い。
小骨は気になるが、塩焼きにしてくれと頼むのも時々ある。
塩焼きは酒の肴一辺倒で、煮付けは朝昼晩のいつでもOK。
そのくらいの違いはあるが、昨年はあまり食べられなかった。

好きな人は秋刀魚の腸(はらわた)が美味いと食べているが、私はアレは苦手。
イカの塩辛など珍味系が好きなのに、どうにもならない。
もっとも、我が家のイカの塩辛は、酒粕入りで、筋子なども酒粕でまぶす。
息子の友人が、絶品だと言って九州から何度か食べに来た。
酒粕が生臭さを消して香ばしい香りにしてくれる。
ただし、酒粕で身が溶けるので、せいぜい二日未満で食べないと、食べられなくなる。

イカと言えば、秋刀魚とは逆で、はらわたの塩辛と言うものを食べたことがある。
絶品だったが、近くで食べられるものではなさそうで、宮城県や福島県では食べたことがない。
絶品のひとつに、ホタルイカの沖漬けと言うのもあるが、これも近所で購入すると、似て非なるもの。
吟味して作られたものは違う。
なんにせよ、秋は秋の美味しいものを食べたいもの。
日本は四季折々の旬があって、それを食でも楽しめる。

白石・不登校特例校 開校4ヶ月 マイペース居場所見つける

2023-08-09 16:56:00 | 日記
住人として言わせてもらえば、白石という地域は特殊教育には非常に向いていると思う。
理由は諸々あるのだが、もっとも大きいと言う部分が、ド田舎であること。
住人も十人十色ではあるけれど、排他的でありながら、田舎人特有の物珍しさには好奇心ありあり。
決して悪い意味ではなく、無関心ながら、協力的なひとは多いだろう。
非常に良い特性だと思っている。

だいぶ薄れてはいるが、白石人を表す言葉に「日陰大臣」と言うのがある。
文字通り、表立ってはどちらかと言えば貧乏人風を装っているが、小金を貯めて、しっかりとした生活をしているという意味に捉えて頂きたい。
俺が、俺が、と強引に割り込むような方はゼロとは言い兼ねるが、非常に少なかろう。
噂話なども、小さな町だから、一瞬は話題になることもある。
けれど、元来田舎人は飽きっぽい。
それ以上に、生活に汲々として陰口もいつまでもしつこく言い募ることは少なかろう。

ちょっと郊外に走れば、いくつもの温泉があり、白石温麺(ウーメン)と言う絶対的な食文化がある。
明治時代のパリ万博で金賞を受賞したと言う。
大変大きな文化遺産であるはずが、白石市民は気づいていない。
歴史的に大相撲発祥地のひとつと言えるような伝承も残っている。
だが、積極的にPRしようとは思っていない。

文化水準は、それほど低くもない。
元来、伊達仙台藩は学問好きな面があった。
白石も伊達支藩として、決して遅れをとるものではないが、だからと言えど無関心に思う。
好奇の目に晒されることも少なかろう。

母から嫁ぐ娘へ吹き流し 仙台七夕まつり開幕 水晶堂の松沢さん制作

2023-08-07 08:30:00 | 日記
河北新報電子版 朝刊
令和5年8月7日 20/22

今日の河北新報は22ページ。
その20ページ目にある、仙台市の水晶堂と言う眼鏡専門店の、手作り七夕飾りの話が実に良い。
水晶堂は、堅実な専門店として、その姿勢が支持されてきた。
そのような店に、嫁いで、その堅実な老舗を守ってきた(常務)松沢美紀さんが、今年は長女杏奈さんが嫁ぐのを記念に1000を超える紙花を作り、七夕の吹き流しとして飾っていると言う。
それは母の思いの籠った七夕飾りだもの、誰の目から見ても、素晴らしい作品と映るハズ。

仙台七夕は、昔から、手作りで一つ一つ作って、大きな孟宗竹に紐を通して、飾って来た。
中には横着者が居て、仙台で開催される期日よりも1ヶ月早く開かれる各地の七夕飾りを、そこで終了したものを仙台に運んで、仙台七夕としてご覧に入れようとすることもあった。
多くは神奈川県の平塚七夕を持ち込むことが多かったように思う。
ところが、上には上がいて、仙台七夕が終了したら、その飾りを郡部に運び飾って、如何にも知恵者のフリをする者まで居た。
一粒で三度美味しいというわけだろう。
天の神様は、先刻ご承知とみえて、仙台七夕は必ず1日は雨が降ると言い伝えられている。
七夕飾りは紙を大量に使用して作るので、濡れたら最後、ベタベタのボロボロ。
物によっては色落ちまですると、非常に不評だったこともあった。

我々の大学時代に、馬鹿な男が居て、七夕の日に彼女と別れることにした。
人気(ひとけ)が無くなる午前1時頃に、七夕飾りが幾分残っている通りの角を、映画のワンシーンとシャレてキスをして、10年経ったら、気持ちが残っていたなら、この角でもう一度逢おうじゃないか!とカッコウつけて別れたそうだ。
奴は10年後に約束の場所に立った。
もちろんだが、彼女は現れるはずも無い。
男の身勝手な、そのような軽薄さが嫌いになって別れたのだもの、とっくの昔に人妻となっていたと、それは風の便りで聞こえたものだった。
仲間中で大笑いになって、しばらく同級会のメインの話題だったそうである。

七夕は、中国から伝わったと言う。
乞巧奠(きこうでん)と言う、織姫、彦星に裁縫などの上達を願って行われていた星祭りと、棚機(たなばた)つめと言う風習が集合して、行われるようになったという。
日本人は外国の風俗までも採り入れて、楽しんできたのだろう。
いずれ、クルド人などの風習まで真似てしまうのではないかと、心配になる。
今年の夏は、格別に暑い。
熱中症などにご注意になって、楽しんでください。