蝦夷犬(エゾイヌ)

奥羽越列藩同盟の東北北海道さらに新潟県をテーマとして、地域の新聞から記事を選び、勝手なことを書きたいと思う。

食料23品 10年連続 同じ街1位 家計支出調査

2023-04-30 06:34:00 | 日記
河北新報電子版 朝刊
2023-04-30 3/26

三面記事をテーマにするつもりは無かったのだが、本日は他に自分の好物な記事があったけれど、三面記事をテーマにしようと思う。
食文化は日本にとって喫緊の課題だからなのだ。
また、政治向きについては、出来うる限りTwitterで吐露しようとしていて、このblogでのテーマとしては、重すぎると思う。
お許しください。

私は笹かまが大好物である。
機会さえあれば、自分で製造販売まで手がけても悔いは無い、とさえ思っていた。
案の定、笹かまの消費は仙台が1番と言う。

笹かまは、練り物としては、大きさや食べやすさなど、申し分のない食べ物である。
もうここは言い切ってしまおう。
しかし、一般には、焼きたての熱々ぷッくらと言う状態では食べられない。
実は、最も美味しいのは、焼きたて熱々ぷッくらなのだ。
材料を、容器に入れ、レンジでチンでその焼きたて熱々ぷッくらを提供できないだろうかと4-5年に渡って研究したことがある。

結果的には、膨らんで、縮むことの差が大き過ぎて、どのような容器に入れても難しいと、諦めざるを得なかった。
美味いことは抜群に美味いのだが、保存と容器と提供方法で、どうにも妥協出来ない部分が残ってしまう。
断念してしまった。

昨今の状況だと、近海ものの小魚まで、外国のほうが値が高く購入する。
日本人の収入で、今後は笹かまさえ購入することは難しい時代になる可能性まで出てきている。


さて、笹かま談義はまだまだ言い足りないが、次に行こう。
ラーメン1位は山形である。
意外に思われるかもしれないが、確かに山形と言えば蕎麦と、私も思っていて、学生時代は後輩の車に同乗して仙台から山形まで遠征して、板そばを喰いまくった。
山形の蕎麦は、信州などよりモソモソと固めで、量もある。
実に胸焼け覚悟で食う名店が多い。
最近は、喉越しの良い、信州系統のような、お上品な蕎麦が多くなった。
残念ながら、無理矢理頬張って食う、懐かしい蕎麦を提供する店はほとんど皆無と言って過言では無い。
蕎麦は、今回のメインではない。

ラーメン1位が山形というのは、信じられない方も多いだろう。
だが、山形の方々は実に良くラーメンを食べる。
それも、全国的な傾向と同様に、家系ラーメンだ、二郎系が美味いなど、微に入り細を穿つように良く知っていると感心してしまう。
山形のラーメンは、確かに美味い。

しかし、このような美味しい郷土の宝とも言うべき食べ物が、急速に外国との入札では、原材料が入手出来なくなってきているのは、ご存知だろうか?
これも価格差で、日本よりも外国のほうが高く購入している。
このままだと、間違いなく、日本はせり負けて、食糧危機になることは、目の前であろう。

更に、日本政府が、昆虫食には多額の奨励金を配って、日本人にコウロギなどを食わせようと算段している。
先日は、北海道の牛乳が捨てるほどに余って、乳牛を殺すのに、一頭あたり15万円の補助金を出すとまで決めた。
だが、外国からの輸入量は手を付けず例年通りである。
言わば、外国の酪農は補助金を当てて保護するが、国内の酪農は、自分たちでどうにでも好きにしなさいね、と放置しているのと同様である。

先般、農協が中国産の米を魚沼産の米に、全体の6割も混ぜて販売していた。
もちろん、味は落ちるから、あの米は不味いと消費者からのクレームで発覚した。

政府が国内の農業、酪農、林業、漁業を蔑ろにして、河野太郎などは無責任にもコウロギ粉末を食品に添加するのに、表示はアミノ酸でOKと大威張りで、国民に喧嘩腰である。
生産加工業者には補助金さえ提供している。
その額は、聞くところに拠れば六兆円と言う。

こう言うおかしなことがまかり通る裏側には、公金チューチューどころではなく、裏金利権で国会議員は、自分の懐を温めるのに余念がなく、国民の利害はそっちのけである。
岸田内閣になって、あまりにも目に余る。
クーデターで反日売国奴議員は全員死刑にしたいくらいに悔しい。

食文化を楽しみ、慈しみ、育てて来た日本人と言う民族に誇りを持っていたが、この国のリーダーと言う連中は、蛮族の酋長程度のつもりでいるようだ。
先進国から滑落して最貧国へひた走りの日本の政治とは、なんだろうか?

悠久の歴史に思いはせ 日本初の産金地で砂金採り

2023-04-29 14:30:00 | 日記
河北新報電子版 朝刊
2023-04-29 17/30

749年(天平21)に現在の涌谷町で金が発見され、奈良の大仏の金メッキに使用された。
時の聖武天皇(しょうむてんのう)は、とても喜んで元号を天平から天平感寶に改めたと伝えられている。
その後、天平勝寳に改めたのだから、よほど宝(旧字 寳)の発見が嬉しかったのだろう。

その後、坂上田村麻呂(第二代征夷大将軍ーー最初の征夷大将軍は大伴弟麻呂)などが奥州の蝦夷(エミシ)を討伐して平定しようとしたのは、奥州(現在の東北地方)に存在する金を欲しいためと考えると、大人しいエミシに戦闘を仕掛けて、根絶やしにしたかったものと推測するのは、私自身がエミシの血を引くいわれのある家系だからだろうか?

大伴弟麻呂が征夷大将軍として、あまり成功したとは思われず、次に田村麻呂に命じられたのは、父の坂上刈田麻呂(旧字で苅田麻呂)がエミシの血を引き、田村麻呂も同様にエミシの言葉に堪能だったことからと伝えられている。

もちろんだが、それ以前からヤマト人とエミシとの諍いは度々起きていて、ヤマト人からエミシは勇猛な頑丈な種族と思われて、健康に育って欲しいとエミシを子の名前にするなどが行われていた。

私見ではあるが、ヤマト人を弥生人とし、蝦夷(エミシ)を縄文人と見れば、日本の国内で行われた戦の多くが同様のものであり、明治直前の戊辰戦争まで続いていたと考えると、腑に落ちる面は否めない。


さて、日本中の河川の多くで砂金が採れると思われる。
ただ、労働対価として、例えば時給に見合う砂金が採取できるかと言えば、残念ながら無理と言わざるを得ない。
1000年以上に渡って、日本中で金を探し採取してきたのだから、もう残っているだけで幸運と考えるべきだろう。

宮城県の涌谷町で行われている、砂金採りのイベントは椀がけ法と呼ばれている。
日本中の砂金採りの実演は、ほとんどこの方法で、Amazonなどでパンニング皿と呼ばれているものが販売されている。
砂金の比重が大きいので、静かに砂を掻き回していくと、重さのある砂金や砂鉄などが皿に残って来る。

習うより慣れろと言う。
方法はYouTubeなどでも砂金採りと検索すれば、多くの動画を見ることが出来る。
パンニング皿の善し悪しもあるようだ。
ほどほどの評価のパンニング皿を購入して、適当な小川で試して練習をし、その後は慣れたなら、過去に金鉱の跡がある河川で、流れの淀むような場所を狙って、本格的にやってみることをお勧めする。
労働対価に合わないとは申し上げたが、偶然に粒金と言う大きさの砂金を採取した方もいるようである。
あなたの幸運を祈ります。

魂鎮める祈りの形

2023-04-27 08:47:00 | 日記
河北新報電子版
2023.04.27 11/26

魂鎮める祈りの形
東日本大震災復興祈念 悠久の絆 
奈良・東北のみほとけ展

多賀城市 東北歴史博物館
~6月11日まで

出陳数60点中、国宝12点 重要文化財27点

東日本大震災から13年になる。
あの大震災で数人の身内を失った私としては、このような企画展は是非にも拝見したいところである。
ただ、杖使用で背中も大きく曲がってしまっている我が身ゆえに、他の方々にご迷惑をかけることは充分に考えられる。
本日は、とりあえず、会場まで行った上で、可能な限りは拝見してきたい。
その上で、書き直し、書き加えはあると思います。

唐招提寺の「鑑真(がんじん)和上坐像」国宝が今回の展示中の大きな目玉と言えるだろう。
他にも、拝見出来ないような幾つかの展示品があるので、もう二度と見ることは叶わないものでしょう。
身体が動くうちに、見ることができるチャンスは、是非とも見に行きたいものです。

喜多方市の新宮熊野神社の「文殊菩薩騎獅像」は福島県指定文化財だが、迫力のある文殊菩薩と言う。
これまで知らなかったが、これも楽しみです。


話は離れるが、昨年友人と連れ立って、福島県会津若松市の「会津薬師寺」に伺って、護摩供養を行っていただいた。
モミジ寺として近隣では有名と言うが、私もモミジが好きで、我が家オリジナル品種を数本所持しているくらいに、上にキ印が着くほどだが、そこの静謐な中にある不動明王像は、実に素晴らしいものだった。

宮城県でモミジ寺と言えば、松島にある「円通院」だろう。
美人副住職として名高い、天野晴華さんがプロデュースする、秋恒例の紅葉ライトアップは、お釈迦様の手のひらで遊ぶ孫悟空のように、どのように写真を撮っても、美人の手のひらで撮らされているような写真になってしまう。
撮った写真が悪くは無い。
どこから見ても、自分が撮ったという雰囲気ではない、一段上がった写真になって、首を傾げてしまう物である。

では、今日はこれから行って参ります。


※行って来ました。
もう満足の大洪水♥️♡
数日、暖めてからのご報告をさせていただきます。

疲れました。
おやすみなさい。

遅くなりました。
ご報告させていただきます。

みほとけ展と銘打たれて、素晴らしい国宝級御仏がズラリと勢揃いするのを見ると、背中が曲がってしまった自分の身体ではあるが、どこか背筋が伸びる思いがあった。

会場になった東北歴史博物館は、何度も通った場所で、しかし今回は初めて車椅子をお借りして、3時間近く、手で車を漕いで移動したので、流石に腕が苦しくなった。

両親の車椅子を押して介護をした経験もあって、車椅子の使い方は、十分知っている。
- 背骨を手術した病院でも、車椅子で移動する練習はしたが、しかし、既に5年近く、今となっては慣れはしないもの。

さて、若い頃から何度も、このような仏像に接して、拝見させていただいた。
だが、面白いことに車椅子から見ると、子供の視線と同様に低い位置から見上げるので、平に展示されている巻紙などの図版や書状などは見えない。
説明は自ずと紙に印刷されたパンフレットを見て、出陳されている彫像を見ることになる。
立って歩いて見る以上に迫力は感じられた。

そうは言えど、素晴らしいと感じるのは、立ってであろうが座ってだろうが、同じものではないだろうか?

鑑真和上坐像は、写真などや図鑑で飽きるほど見ている。
しかし百聞は一見にしかず。
見ることによって、質感など、写真では伝わらない部分が見える。
乾漆と言う技法は能面などで、嫌になるほど見た。
けれど、このような像として見ると、改めて製作技法としての優れた面が理解出来た。
自分で所持している乾漆の能面は一個は残していたはずだったが、どこに仕舞ったか急には思い出せない。
売り払ってしまったのだろうか?


米沢の田中さん 最高賞 白石・全日本こけしコンクール

2023-04-27 07:33:00 | 日記
河北新報電子版 朝刊
2023.04.26 25/28

2023.5.3~5.5 9:00-16:00
白石市ホワイトキューブ

今年も白石市でこけしコンクールが開催される。
かつてのものすごいブームからは、熱が冷めたとは言え、昨今は海外まで愛好者が増えていて、オークションなどでは、高額の落札が相次ぐこともあるようだ。

伝統こけし、新型こけし、創作こけし、木地玩具、応用木製品の五部門で延べ186人から786点の応募があったという。

昨日はかなり詳しく、こけしの来歴などについて記述していたら、途中で全て消えてしまった。
消えるのは4度目である。
gooblogの仕様がそうなのかバグかはわからないが、できることなら自動保存などで、どうにか消えるのだけは勘弁して貰いたい。
あとから、書き加える可能性はあるけれど、今日はここまでにさせて頂きます。

瑞鳳殿 鮮やかさ再び

2023-04-25 17:46:00 | 日記
河北新報電子版 朝刊
2023.04.25 24/26

伊達政宗霊廟「瑞鳳殿」が修復が終わり、本当にしばらくぶりに4月24日から5月7日までご開帳されている。
伊達者よろしく、きらびやかに、色鮮やかな霊廟が復活したと言う。

仙台には青葉城址はあるが、戊辰戦争で負け、薩長軍の厳しい命令で取り壊されてから、東北大学がこの地に成立し、大東亜戦争の仙台空襲に於いても、甚だしい損傷を受け、さらに青葉城址全体が連合軍の駐留するところとなり、かつての城の面影は非常に小さいものになってしまった。

その後、青葉城の復興の話は時々浮かんでは消える、泡沫(うたかた)の夢となった。
それは、不思議なことに自民党のような保守系が市長となった時には、不正があって、革新系が市長となった場合は青葉城復興とは、なかなか思い切って貰えず、時期を逸してしまったように思う。
また、かつて仙台市政を預かった旧社会党の島野武が弁護士の職を捨てて仙台復興を行い、実に名市長と言うべき実行力で今日の基礎を築いた。

本当なら、商工をさらに発展させるべき時代ではあったが、民主的な市民の元での発展をめざしたため、地方の商工の発展は阻害された面があったことは否めない。
従って、地方の財政の比率は東北地方の大きさにも左右されたものではあったが、他の地方都市のように、20パーセントを超えるような、一都市集中が無く、地方の上場企業数も地元としては悲しい状況になっている。
言わば、東京都や大阪府の衛星都市群の一角を担う、支店や支所が多くて仙台本店は少ない、経済基盤がお粗末な都市に甘んじてしまった。

ともあれ、江戸時代は伊達62万石の大大名ではあった。
江戸時代のほうが余程、日本の大都市のひとつだった。
その象徴とも言うべきものが、伊達政宗霊廟「瑞鳳殿」である。

仙台は松島の瑞巌寺を始め、輪王寺、国分寺など、名だたる歴史的寺社仏閣が存在する。
明らかに東北の中心であった証明だが、仙台が真の復興を遂げるには、首都機能の一部を仙台が負うような責任分担が果たせてこそ、地方の中心都市と言えるのだろう。

余談ではあるが、50年以上前に仙台で学生生活を送ったのだった。
真夜中のデートコースのひとつは、この瑞鳳殿であり、伊達政宗の墓碑と言うか石碑を背中に、女性と語り男性と国家論を言い合った思い出が残っている。
整備されて美しくはなったけれど、あの苔むした古(いにしえ)を彷彿とする真っ暗な世界は、未だに懐かしい。
蛇足になるが、墓場に逃れての議論は、当時は六十年安保と七十年安保の難しい時代背景で、酒場で大声で議論しようものなら、警察や公安、あるいは共産党の学生運動の輩からの身を守る術であったためと申し上げたい。