ラブ・ソングの歌姫、梁静茹。1978年生まれでマレーシアの出身です。英語名はフィッシュ・レオンといいます。彼女の名前にある“茹でる”という字と、魚の字の広東語の発音が同じであることに由来した英語名だそうです。フィッシュ・レオンは村上春樹さんの作品がすきで、よくその作品から音楽的インスピレーションを求めているらしいです。
去年12月24日のクリスマスイブに、彼女は10曲入りのニューアルバム“情歌没有告訴你(伝えなかったラブソング)”をリリースしました。前作より1年半ぶりの作品となります。このアルバムで彼女はいとこの張智成ゼット・チェンとともに、プロデューサーを務めたほか、二人のデュエット曲も収録されています。アルバムのプロデュースに彼女自身も参与しましたので、10曲の歌は彼女のユーモアや明るさ、リアルな性格と現在の気持ちなどを表現したものだとされています。曲のスタイルは、フィッシュ・レオンが得意とするラブソングはもちろんのこと、R&Bや明るいメロディーの歌などもあります。
今回のアルバムは、彼女が去年10月に新しいレコード会社に移籍した後に、出した最初の作品で、彼女にとってデビュー以来、通算13枚目のアルバムでもあります。アルバムの発売記者会見で新会社の社長は、フィッシュ・レオンがデビュー11年で売ったアルバムの数は1720万枚に達し、アルバム一枚の厚さを1センチとして全部重ねると、標高8848メートルもあるエベレスト、20個分にもなるとして、彼女のことを「エベレストの歌姫」とほめるとともに、今後の彼女の活躍にも期待しています。
高校生のとき、創作音楽コンクールに出場した際、台湾音楽界の大御所であるジョナサン・リーのおめがねに適って、1999年9月に歌手デビューを果たしました。この年の9月21日に、台湾では大きな地震がおきたため、フィッシュ・レオンのこのファースト・アルバムはあまり注目されませんでしたが、2000年のセカンド・アルバムが大ヒットしたことで、彼女も一夜にして超有名人となりました。去年2月に中華系アメリカ人の彼氏と結婚し、今月1日に結婚一周年を迎えたわけですが、結婚生活について、“とても円満で楽しい。しゅうとと、しゅうとめも自分のことを可愛がってくれますので、なんだか、自分を守ってくれるシェルターが大きくなった感じで、みんなにとても感謝している”と言っています。シェルターはもともと、悪天候や危険などを避けるための避難所のことですが、中華系の人はよく家のことをシェルターに喩えています。
ところで、結婚前のフィッシュ・レオンはどちらかといえば、隣のお姉さんのような親近感たっぷりの人だったと思いますが、結婚後はなんだか、ビジュアル系になったあという気がします。というのは、このアルバムの歌詞カードに載っているのは、黒のドレスに高くて細いヒールの靴を履いて、髪は赤く染めているほか、唇も濃いピンク色の口紅をしている写真です。その上、紺色のラメ入りアイシャドーをこてこてに塗っているのですから、それを見て、以前の爽やかでピュアなフィッシュ・レオンはどこへ行ったと、多くのファンはびっくりしたようです。
“私はただイメージチェンジして、みなにインパクトを与えたかったのです。まさか、みんなを驚かせてしまうなんて、思ってもみませんでした。でも、そのうち、ちゃんと元の色に戻しますので、心配しないでくださいね”とのフィッシュ・レオンの話を聴いて、ファンたちも少しはほっとできるようになるでしょう。今月1日に、フィッシュ・レオンはまたヒットソング18曲に新曲2曲が加わったベスト盤を出しました。18曲のヒットソングのミュージックビデオもついているこのベスト盤は発売されてから今でも、台湾の大手CDショップの売り上げベストランキングで第5位にランクされています。彼女のイメチェンでファンたちはびっくりしたとはいえ、彼女への支持は変わっていないことがわかりますね。
「結婚後、幸せな生活を送っているフィッシュ・レオンは今、心にしみるような悲しい歌の雰囲気を表現できなくなるでしょう」と心配している人がいるようですが、人々の心を癒す温かみのある歌声であることに変わりはありませんので、きっとこれからも、フィッシュ・レオンはその素敵な歌声で人々の心を暖めてくれるのではと思います。(00)
私は1997年から2001年まで、仕事で台湾にいました。
良く訪れた友人のパブで、マスターと友人であった歌手の張震獄とよく飲んでました。
その後、ヒット曲に恵まれ大陸に行ったと。
どうしてますかね?