おばちゃんのひとりごと

やっと息子のお弁当作りも終わったら・・・
人生うまく行かない物です。 ここで愚痴を・・・

母の事

2013年01月17日 | ひとりごと

今年もよろしくお願い致します。

ドタバタの年明けになってしまいました。



6日に 母が81歳の生涯を終えました。

肺炎でした。

まさか こんなに早くに亡くなるとは思っていませんでした。

去年の30日に母の所へ行った時 少し元気がありませんでした。

でも 何時もと同じ様に 母の足を洗って着替えを手伝って帰って来ました。


今年 1日の夕方に 施設から連絡があって

ちょっと様子がおかしいので 病院で診てもらったら 肺炎とのこと

病室が空きが無い為に施設で 点滴をして少し様子をみますと言われました。


2日に母の所に行った時は 熱も無く少し咳が出ていました

食事は食べたく無いと言っておりましたが 点滴もしていませんでした。

今後自分はどうなるんだ? と母から言われました。

私はどうもならないよ 今のままだよと答え

着替えたいからと言われ 着替えを手伝って帰って来ました。


4日の朝 施設から体調がちょっと悪いみたいで 病院に入院させましたと連絡がありました。

私は何時もの事だと思って 母の入院した病院に行きました。

ところが 何時もと少し様子が変でした 言っている言葉が少し変でしたが

こちらの言っている事はちゃんと分かっていました。

この時母は『今度は死ぬかと思った』と言い出しました。

私は『何言ってるの 残念でした先生もまだまだ長生きすると言っていたよ 大丈夫』と答えました。

妹も来てもらったのですが

何故妹を呼んだのだと言われました 入院手続きの為保証人欄の捺印をしてもらう為だと言ったら

おまえが 妹の家に行って捺印してもらうば良かったのにと 文句を言われました。

 時々誰かと話している様な雰囲気で笑ったりしていました。

先生からは 肺に水が少し溜っています 肺は依然より少し悪くなっていますと言われました。

それでも 私は亡くなるとは思っていませんでした。

母は また元気になると思っていました。

母は 少しずつ落ち着いて来たので 私は夕方には 明日また来るからと言い

家に帰りました。


5日の朝 病院から母の具合が急変したから直ぐに来て欲しいと電話がありました。

母の所に着いた時には 母はもう意識は全くありませんでした。

何度呼んでも 目を開けてくれることはありませんでした。 

それでも 一生懸命に呼吸をしておりました 面会は夜の8時までなので

旦那と妹達には帰ってもらって私が付添って泊りました。

夜中 母に付いている技具のアラームが鳴り続け 看護師さんからは『家族を呼ぶように』言われました。

妹夫婦とお正月で帰省していた妹の息子 そして私の4人で母の最後を看取る事が出来ました。

一生懸命に母の面倒を見てくれた 旦那は間に合いませんでした。


今でも本当に母が亡くなった気がしません。


諸手続きがいろいろあって 行った役所・銀行等の対応にいらいらです。


はぁ~ 会社では 山積になった書類の中に埋もれています。