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【日本体操】やまとばたらき  筧克彦

2017年08月17日 | 男子新体操の歴史

【日本体操】やまとばたらき
筧克彦先生の『日本体操(やまとばたらきと読む)』です。東京帝国大学法学部教授にして、古神道学者、大正末期に皇国日本をたたえるため、この体操を作りました。

筧 克彦(かけい かつひこ、1872年12月28日(明治5年11月28日) - 1961年(昭和36年)2月27日)は、日本の法学者、神道思想家。専門は公法学、法哲学(法理学)、憲法学

筑摩県諏訪郡上諏訪(現・長野県諏訪市)に旧諏訪藩士筧朴郎の長男として生まれる。東京府尋常中学、一高を経て、1897年(明治30年)に帝国大学法科大学卒業(法律学科首席、法科大学卒業生総代)。同期生には美濃部達吉がいる[1]。大学卒業後直ちに大学院に入り、翌1898年から6年間ドイツに留学して、オットー・フォン・ギールケ、アドルフ・フォン・ハルナック、ヴィルヘルム・ディルタイなどに師事した。

1903年(明治36年)、帰国と同時に東京帝大教授(行政法第二講座)に就いた。同講座の前任者は穗積八束である。美濃部達吉、野村淳治、上杉慎吉らと戦前における帝大法科における憲法学、国法学、行政法学、法理学などを担った。

筧は、帝大の他にも、明治大学・國學院大學・海軍大学校などでも行政法・憲法を講じた。退任後は國學院大學教授に就いた。
長男は筧素彦(宮内庁皇太后宮事務主管)で、終戦時には玉音盤を放送局へ極秘裏に運搬した。次男は筧泰彦(学習院大学名誉教授)で、父の遺著の編纂を行っている。

筧克彦ウィキより
ブログ
http://d.hatena.ne.jp/kummer/20050513/1116006453
写真
https://note.mu/tsubouchi2016/n/nb016837dde09

筧克彦 「日本体操 」の理論と実践 中道豪一

http://ci.nii.ac.jp/els/contentscinii_20170816102223.pdf?id=ART0010477695

奈良県
https://www.library.pref.nara.jp/…/daikanyam…/hitosyo04.html


1900年代における筧克彦の思想
file:///C:/Users/%E3%81%91%E3%82%93%E3%81%98/Downloads/nike_053_253.pdf

植民地における筧克彦の活動について ―満州を中心に― 西田 彰一 総合研究大学院大学 文化科学研究科 国際日本研究専攻
http://www.bunka.soken.ac.jp/jou…/160303_nishida/nishida.pdf

 

日本体操(やまとばたらき)とは
筧克彦(東京帝国大学教授)が考案した体操。天孫降臨神話を取り入れたもので皇国精神を養う作用があるとされ,青少年に行わせた。

この体操が男子新体操の原型だとすると、
帝国精神を育むことを禁じたGHQ、この体操は禁止したと思われる。

戦後70年体操研究でも資料が少なく研究が遅れていた。




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