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ロイス・タンノイ

タンノイによるホイジンガ的ジャズの考察でございます。

ポルシェ・デザイン

2019年05月20日 | 写楽人のお話


コンタックスRTSは、現在も棚の上に鎮座している。
デザイン本家のポルシェ博士は、ドイツの
タイガー戦車のコンペに応札したことがある。
駆動装置に電動モーターを使用する電気式を採用し、
50トンの過大な負荷を受けるトランスミッションが不要の新機軸であった。
コンタックスRTSも電動シャッターが新機軸で、
手振れピンボケを軽減するのは良かったが、
電池が切れるとまったく動かなくなるのには、本当にまいった。
最近のデジタルカメラの様相について、
爆発的に一世風靡のデザインを待っているような気がする。
そうこうしているとスズメの囀りが静かになり、
目鼻立ちが初期のゴルゴに似ている客人が現れて、
『フェーズメーション』という最新のカートリッジによって
タンノイを鳴らしておられるそうである。
札幌から仙台の野球場に、遊覧においでになったついでに、
一関にも足を伸ばされたわけである。
2016.5/28
庭のつつじも咲き誇り、早朝から突風で眼が覚めた。
母屋の修繕が待っている。

サイドワインダー

2019年05月16日 | 写楽人のお話


学校から帰ると戦艦大和のアンテナが一個足りない。
作りかけ最中の小さな部品だが、触った幼稚園生が
ポロリと取れたのに驚いて「窓の外に捨てた」という。
隣のパチンコ店の喧噪のなかで四つん這いになって、夕方の脇道を探した。
プラモの仕上がり具合を眺めてまったりしている夜分に、
名前を呼ぶ者が居る。
窓の下を見ると、お友達である。
「一眼レフを買ったから、見に来ないか?」
凄い。よろこんで。
街灯で照明された夜の公社のシルエットを、
三脚付き望遠レンズで初めて覗いた。
昭和38年代の貴重品は、流石であった。
アラビアのロレンスの封切りだが、「列車で見に行ってきた」
と廊下で盛り上がっているのを耳にした。
70ミリ大画面スクリーンは街の映画館には無かったから、
熱心な連中は汽車賃をかけた。
いまだに語り草の、砂漠のシーンは相当よかったらしい。
こちらに気がつくと、
「彼は、北京の55日を見たって」
とはなんじゃらほい。
このころの映画は、
史上最大の作戦、
大脱走、
クレオパトラ、
地下室のメロディー、
シャレード、

と、目白押しで、我々はともかく忙しかった。
お友達は、映画だけでは飽き足らず、カメラに走ったか。
授業中にヌーベルバーグ調ショート・シナリオを書いて渡したが、
講評する真剣な顔は見たことが無い。
時代はリー・モーガンが「ザ・サイドワインダー」をヒットさせたころである。
2016.4/12

穴 LE TROU

2019年03月24日 | 写楽人のお話


ジャン・ギャバンとヴァンチュラのフランス映画「現ナマに手を出すな」は、
国道四号線がそれほどクルマの走っていなかった昔に、
四号線に沿った映画館で観た。
ストーリーは、せっかく大仕事をしたあかつきに、
例によってまことに残念な結果となった。
このとき、映画館の中央の席に座って当方学生服のまま
映像に没頭していたところ、突然、背後から誰か
チョコレートの箱を投げてよこしたものがいる。
振り返ると、映写機の投影する逆光に知人がいて、
お連れがいるようであった。
このような背後から見られている状況は、
観ている忘我の境地が損なわれチョコレートも仇である。
おなじ監督ジャック・ベッケルの最後の作品に
『穴 LE TROU』という脱獄映画があり、
カトリーヌ・スパークが新人チョイ役で数秒映ったことが話題になった。
先日のBSテレビで、マックイーンの『大脱走』が流れたが、
床のタイルを剥がしてトンネルを掘るところや、発見される構図も似て
ババリアの風景やノイシュバン城が和める景色であるのに、
穴 LE TROUは、パリ14区の街路に穿けられた夜の景色は深刻で、
ベッケルのセンスはすばらしい。
サンテ某所で本当にあった出来事を、当事者もナマ出演している
という映画の緊迫感が時を越えて強い印象を残した。
「グリスビーのブルース」や「魅せられしギター」が、
音楽に時代を記憶させ、タンノイを聴く。
おや、盛岡の水道管が凍って風呂に入れないとは、二月は厳冬。
津軽海峡を越え伊達藩に住む客人が「ベースを弾きます」と申されて、
ラファロのSome Other Timeをさりげなく聴いている。
2014.2 /12

リンホフの客

2019年02月13日 | 写楽人のお話


萩が花 尾花葛花撫子の花 女郎花藤袴 朝貌の花
憶良が万葉集に残した山里の花詩は、日本で秋の七草と言われる。
街道343号線の早朝の光線は、秋そのものであるが、
古代から今も変わらず野の花は咲いている。
そのとき、筑波山に魅入って『リンホフ』を長年向けてきた客人が訪ねてきた。
「いまやっと温泉で14日の修行が終わったばかりです、やれやれ」
下山直行して、無精ひげを撫でながらタンノイを聴く御仁は、
なんとかいう俳優のようであるが。
リンホフの名機を駆使し、トレーラ―ハウスまで乗り回して、春夏秋冬の
筑波山と対峙してきたこもごもを聞かせていただいた。
「ハッセルは象形が少し尖って写り、リンホフのほうが好みですね」
タンノイとJBLのことをいっているようにも聞こえて、おや、と思った御自宅では、
タンノイモニター15とウエスギに灯を入れる御仁の、心象風景は永遠の筑波山か。
雨の夜には、マーラーを大音量で聴くと、爆音に二階天井方向から、
山の神様も「ドンドン!」。
そこで当方も、久しぶりにベートーヴェンの第九四楽章を、
ベルリンフィルによって大音量で聴いてみた。
すでに巷におなじみの九番四楽章であるが、我々の知っているオーディオ一般と、
違った次元の異音で鳴っている、映画館のオーケストラの遠慮のない鳴りを思い出す。
ベートーヴェン氏から、書き上げた譜面を渡され復習った演奏家が、
ここの音符の再現が難しいと正直に言ったところ、
「音楽がそのように鳴りたがっているのに、あなたの個人的事情にかまっていられない」
と答えたベートーヴェンの心象をいまタンノイで聴く。
写真の、完璧に透明なフレームに無限に収まっている風景のように、
我々も音楽を聴きたい。
写真家K氏は、長針が12時を指すと、
「弦楽四重奏曲も好みですが、タンノイを堪能しました」
と申されて、故郷の筑波山に戻っていった。
2012.10/19



阿吽の浄土庭園

2018年12月22日 | 写楽人のお話


そういえばその後、各位の登場があった。
閉店間際に、見返り美人が後ろ姿で入ろうとしたり、
建築傾斜鑑定士というひとの登場もあった。
ROYCEの建物はビー玉が転がるほどではないが東に七ミリ傾いている。
SS氏から電話があって、いま稲刈りにいそしんでいるらしい。
やはり、まじめな人なのだ。
SS氏の作品で、当方が最終的に残した一枚がある。
この季節に眺めるにはいささか早いが、
冬の毛越寺庭園を静かに撮っている。
白い雪の景色をどうしたものか、ひとつの答えが映っていた。
夏の盛りを阿形とすれば冬は吽形、
スフインクスの問いによる朝に四つ足夕べに三つ足、
あるいは夏の対角にある輪廻の情景というものであろうか。
タンノイロイヤルも、音を鳴らさなければそれなりに吽形であった。
2010.10/10

SS氏の須川岳

2018年12月22日 | 写楽人のお話


Royceのあるところから周囲を365度見回して、
一番遠くにあって高い山が須川岳である。
丑寅の方角から45度にあるその高い山の、
頂上から下界を見渡すとき、どんな気分になるかな。
腸をこわして3ヶ月絶食したあのとき、病院のベッドで考えたのは
タンノイではなく、カツ丼であったことは内緒だが、
やはり、その場に立たなければ人間はわからない。
SS氏は、半切に引き伸ばした写真を、アタッシュケースから取り出しながら、
先日のバカラ・デキャンターのことを、
「あれはすばらしかった」
と申されたが、琥珀色の中身のことを、申されているのかもしれない。
写真は、須川山頂から眺めたROYCEの方角が、絶好の写真日和に写されて、
中腹には、神秘の昭和湖が見えた。
須川岳という被写体について、以前から多くの写真家が挑戦されているが、
一関では白川義員氏に迫るKS氏の存在がある。
当方は、SS氏も必ず須川岳を撮っていると考えて、
その日の来るのを心待ちにしていたから、内心非常に喜んだ。
10枚ほど拝見した限りにおいてのべれば、
KS氏の肉薄する迫力の作風と違って、双方ベストアングルでありながら、
おだやかな構図と遠近感がSS氏の画面に広がっている。
ジャズに例えれば、KS氏がブルー・ノート、SS氏はimpulseということになろうか。
そこで、コーヒーを喫しながら、撮影にまつわるさまざまを伺ったのであった。
昼食に、到来モノの島原素麺をいただいた。
2010.10/1


SS氏の海鳥と『アニタ・オディ』

2018年12月19日 | 写楽人のお話


『アニタ・オディ』のマーティ・ペイチオーケストラを唄伴にした大きなスケールは、
壁全体がステージに広がって、大掛かりなサウンドが花である。
58年のクラブ、ミスター・ケリーズを聴くと、トリオで音像もぐっと接近し、
ラリー・ウッズのベースが、ウォルター・ペイジの剛弦ベースのように
唸って、バックロードホーンは凄い。
62年のスリー・サウンズと手合わせしたLPは、唄伴というより交互に
マイペースを聴かせる嗜好がおもしろい。
四枚のLPを聴いて、アニタ・オディの音像をこころゆくまで楽しんだ。
しかし、あるとき偶然、スタジオでコマーシャル用に唄う、
フルスイングしている別人のアニタ・オディをマッキントッシュ・アンプで聴いて、
唖然とした。
まるで腕まくりした姉御のアニタの巨体が、
タンノイの前で、豪放に唄っていたのである。
これはいつのまにかついに臨界をさえ、次元をこえて、
ノーブレス・オブリージェになったのかアニタ・オディは、凄い。
それでもいまもって、一番のものといえば、やっぱり56年に
ピーターソンが唄伴をつとめた『シングス・ザ・モスト』かな。
B面ラストの三曲をタンノイで聴くと、ゆっくりした時間がまどろんでいる、
アニタとピーターソン・トリオの独特の雰囲気が気分である。
夏もいよいよ峠を越えたとき現れたのは、
「通路の散水弁から水が少々漏れていますが」
紺色のシャツで決めたSS氏であった。
南三陸の観光船に乗って、夏に撮った海鳥の飛翔の一枚を、
それとなくチラリとテーブルの上にすべらせたSS氏。
写識が遺憾なく発揮されている、後方に飛ぶ一羽の構図も、唄伴のようで見蕩れた。
しばらく感心するとSS氏は、
「まあ、それほどでもありません」とご謙遜である。
2010.9/12

赤羽刀

2018年12月04日 | 写楽人のお話


ジャズも庭も、時間とパーツの連結ではないか。
2メートル四方の庭に、石垣の石を横に並べ、針小棒大に眺めている。
コンクリートの三和土をよく見ると、まだ固まっていなかったころに、
タマ之助のつけた永遠の忍び足が…ジャズである。
お借りしていた写真を返しながら、
SS氏に当方の風景を写真によって開陳すると、
「落ち着くながめですね…」
SS氏は例のボトルをとりだしてちゅっと呑んだ。
そのときAlain Hatotのテナーが、マルのヨーロッパ遍歴の記憶を、
ブルージーになぞって遠くで鳴っている。
彼の乗ってきた自転車が、ブルーのペンキ一色に吹きつけされて、しゃれている。
サドルがハンカチを冠っているのはなぜか?
「そこにも塗ったら、ズボンが貼りついて…ふっふ」
博物館の『赤羽刀』の話題に、もらっていた招待券をSS氏に渡した。
午後から、京都ナンバーの若者が、福島から二時間ほどかけ訪れた。
川向うへは、これまで五回で空振りなしと、強運である。
2009.12/13

SS氏の豊穣の畑地

2018年12月04日 | 写楽人のお話


畑地を猫が散歩している。
撮師SS氏の眼は逃さず撮って「どうぞ」と、
見せてくださったのは先日のことである。
よくみると、うちの庭にも出没するタマ之助であった。
二十代に住んでいた目黒区碑文谷に、
当時まだ残っていた畑地の景色もこのようだった。
さかのぼって日本の畑のことが歴史の文献に現れるのは、
中国の帝室図書館に納められた三国志だろうか。
倭人在帯方東南大海之中依山爲國邑舊百餘國漢時有朝見者今使早譯所通三十國
多竹木叢
林有三千許家差有田地耗田猶不足食亦南北市糴
種禾稻紵麻蠶桑績績出細紵緜
出眞珠玉其山有丹其木有豫樟櫪投檀鳥號楓香其竹篠桃支有薑橘椒荷
不知以爲滋味有雉
其人壽考或百年或八九十年其俗國大人皆四五婦下戸或二三婦婦人不妬
いまとあまり変わっていないような気もするが、
日本人で最初の宇宙人になった秋山某氏は、
何を思われたか地球にもどるとさっそく畑を耕しはじめた。
写真の畑から近い、当方の二メートル四方の庭に遠征してきたモグラが、
箱庭構成の核心である自作の枯山水の真ん中に、突然顔を出したのは最近のこと。
2009.12/10

SS氏の蒸気機関車

2018年12月03日 | 写楽人のお話


いまでは、東北本線に蒸気機関車を見ることは、まれである。
SS氏は、記念運行の現場を逃さず撮った。
正面のプレートが、どうして鮮明なのか考えたが、
線路のコーナーに並ぶ撮影集団のフラッシュの照り返しなのか。
機関車は、黒い煙りの背後に白い蒸気を大量に吹き出させて激しく長く汽笛を鳴らし、
団十郎のように一世一代の見得を切った一瞬のことである。
この写真をみて、なぜか数学の教師の言葉を思い出す。
「オレは列車通学だったから、放課後に先生が熱心に質問に答えてくれるのはよいが、
最終の汽車が通って行くのが教室の窓から見えて、あのときは、
あぁぁ…とあせったね。それでおまえたちに、遅くまで教えないことにしている」
ニューヨークなら、『A列車で行こう』だが、日本では、線路は続くよ、どこまでも…
というフレーズを、華々しくアレンジするクインシー・ジョーンズの筆さばきを想像してみる。
演奏は、マイルス・クインテットか、ウッディ・ハーマンにお願いするのが良いのでは。
2009.12/5


SS氏の厳美溪

2018年11月30日 | 写楽人のお話


SS氏は、あるとき磐井川の上流の名所、厳美溪にいた。
厳美溪も暦を巡れば、増水期と渇水期がある。
磐を抉る激しい奔流が、いっとき静まって、隠れている風景が現れる。
いつもなら立ち入りできない岩棚の低いところまで下りたSS氏は、
観光客の知らない方向からレンズを向けると、
空中のあるものの登場を待つ人々をめぐる光景を撮った。
さらに上流の、荘園遺跡も見てみたいものである。
2009.11/15

SS氏の毛越寺庭園

2018年11月30日 | 写楽人のお話


「どうも」と入ってきたSS氏は、店先に立って、
「このワンカップ、いくらです?」
といいながら、当方の都合を尋ねている。
これまでと違う新しい写真の束を持っていた。
初めのころ、怪人か、と思ったSS氏も、百枚ほどの作品を拝見するうちに、
揺るぎない流儀の統一されてあきらかになると、
風雪を越えて森羅万象を追い求めている時の旅人かもしれない。
さっそく見せていただいたなかに、とうとう『毛越寺庭園』が現れて、
内心でヤッタ!と思ったのは、SS氏の対峙した毛越寺庭園を
いつか見る日が来ると、期待していたからである。
バッハの無伴奏チェロ組曲のように、最高の技倆と機材と天候が要求されている、
難解な対象であることは、撮影してみるとわかる。
これまで多くの芸術家が挑戦しているが、浄土庭園という極楽のような
見た目のイメージが定着し、あくまで穏やかな風景も、
もう一方の激動の歴史が背後にある。
―― 夏草や つわものどもが ゆめのあと
芭蕉はこのことを言葉で撮影してみせたが、吾妻鏡によれば、
池の対岸に荘厳な寺院建築が林立していて、藤原氏は、
内陣に安置する仏像のために満を持して大金を延々牛馬の背に積んで、
みやこの運慶集団にノミを持たせることに成功したのである。
ところが、完成間近にうわさをききつけてチラリと仏像を覗きに、
わざわざ駈けつけた都の権力者達は、見て驚いた。
「このような絶品を、奥の細道の先に渡すなど、とんでもないことです」
さっそく洛中より持ちだし禁止のみことのりを発したので、
やむなく、「見た目に多少、中の上でもやむをえず、よろしく」
本当に言ったか踏みとどまりながら、
今度は砂金を積んだ牛馬の列を大納言卿にも向けて、
「大門の扁額に、雄渾な一筆をお願いします」
『吾妻鏡』の記述に寄れば、藤原三代は二枚腰である。
毛越寺庭園は、一瞬にして消失した歴史のことなど何事も無かったように、
若いカップルの華やいだ会話や外国語の声が聞こえているようだ。
2009.11/15


ベンツの客はトリオで

2018年11月29日 | 写楽人のお話


赤いベンツの客が、再び登場したのは、秋の初めのことであった。
新たにわかったことのひとつは、彼はベースを弾きこなす特技があり、
あぶなくそちらの道にゆくところだったのではなかろうか。
留学経験があって、壁に表装のH・ミラーの手紙も二行ほど巻き舌で読んだ。
女性は、スポーティーなジーンズに装いを替えて、
そのうえ赤坂先生と呼ばれるピアノ・マンも行楽に同伴されている。
じつに、完璧である。
ただ、なぜか雰囲気が、前回とは双子の兄弟のもう一方の人であるような
気がするんだね、どうも。
彼は笑って、携帯のアップル社の新製品をプチッとやると、
ライン川沿いのフォトキナ会場の『アグファ』のブースを見せてくれた。
AGFA社最後の参加であったという。
赤坂先生は、謹厳なる表情のままタンノイから視線を当方に移したが、
ピアニストというより学者の雰囲気であって、冗談の言えるタイミングは無い。
「ヴィレッジ・ヴァンガードの地下鉄の音を、念のため友人宅のJBLでも検討したのですが…」
タンノイの音に納得すると、三人は打揃って、
陽光のあふれる路を再び秋の行楽に出かけていった。
黄色を抑えたような赤いセンスのベンツは、街路を音もなく消えていった。
☆昔、AGFA社を見学した折りの記憶をいうと、
併設のカメラ博物館があって、ダゲレオタイプやステッキカメラなど
膨大な量の歴史上の逸品がドイツ的厳正さで陳列されてあった。
館長が大きなポスターを記念に提供してくれたので、そこにサインをお願いすると、
彼はちょっと意外そうに眼をパチクリさせたが、万年筆のキャップを緩め、
一気にシュルシュルとペンを滑らせて達筆のドイツ文字である。
工場見学で見たものは、製造上の廃液がライン川に流されるため
問題を抱えている途上の古い生産ラインで、
プラスチックの薬品ケースが無人の機械からポン、ポンと押し出される様子を
見せてもらって、まもなくそのラインは廃止になるという。
別行動でアグファ社のオーナーと会見していたKZ社長がレストランで我々と合流し、
「そのような程度のものを、日本からわざわざ行ったお得意様に見せてしまったのは、配慮がなかったね」
というと、たまたま眼の前に座ってしまった当方に、このモーゼル・ワインは、
日本では7千円くらいかな、と言って、トクトクッと注いだ。
「あなたにはまだ教えていなかったけど」
ワインのグラスを指し、
「この細いところを持つ。冷やしたワインが熱で温まらないためだね」
KZ社長は、もと大学教授であった経歴のなせる流儀で、啓蒙思想に溢れている。
そういえば、四階にある給湯器の傍で社長が征露丸を何粒か呑んだのを、
たまたま垣間見たので、そのことを所長に報告したことがある。
「社長は、大変な激務のようですが」
所長は少し笑って、「昨夜は、おそらくアルコールに激務なのかもしれん」
と言ったことは内緒にしておきたい。
☆そういえばまた
五十人でいっぱいのそこに、部門の頭目が一堂に会し、
みな熱心にメモをとっては耳をかたむけている。
毎年海外視察する社長は経営の先頭を切っていたが、
しもじもの立場で最後列に耳を傾けている六十年代半ば、
アメリカ視察でウオールマートの話があった。
商品の値札がスライドで映し出され、社長は一点を示すと、
小数点以下の98セントという端数を注目し、いまでこそあたりまえの
「彼の店では、5ドルの商品であれば、必ず4ドル98セントに表記している」
どうやらそのほうが、わずか2セントの違いが消費者に、
4ドル代というイメージを訴えるそうで、店内はすべてそうなっていると。
われわれは皆、へーと思って、めんどうなこっちゃ、と思った。
レジスターがゆきわたっていない昭和40年代のころは電卓も非常に高価で、
近所の鷹番の八百屋さんもザルを天井からゴムひもでつるし、暗算で商売している。
100円のものを98円で売ったら、計算間違いのもとである。
しかし社長は、ウオールマートの戦略を高く評価していた。
問題は、その数日後におこった。
N本部長という、雲の上の人がこちらの仕事場にやってきて
「きょう、空いているなら、ちょっと付き合えますか」
ぎょっとし、約束の時間に同行した。
案内されたのは小さいがいかにもの料理屋で、和服の女性が静かに応対する。
近所にこんな良いところがあったのかと驚いた。
「なんでも、好きなものを注文しなさい」
渡された品書きに目をおとしていると、さっさと適当に注文した御仁は、
「どんどん食べて」と勧めてくれる。
ちょっと箸をつけたところで、本題に入ってきた。
「きょう、社長室に呼ばれて、申されるには先日の報告会で壇上から見るところ、
キミだけメモをとっていなかったそうだが」
うぐっ。
「なぜか、と社長は心配されて、ぜひキミに会ってきいてくるように、
わたしは申しつかったのだが…」
“$#~*
営業から『コンタックスRTS』一式も世話してもらったが、
最近は電池のいらないFTAをもっぱらに、これがおもしろい。
2009.10/27


SS氏の『鳥舞』

2018年11月26日 | 写楽人のお話


長髪の怪人SS氏が再び登場したのは秋の初めの頃、
「一関駅前でみかけた男の、ジーンズと帽子の姿に触発され真似てみたが…
しかし、あいつは格好良かったな」
自分のファッションにアドリブコメントをつけて、1曲お願いします、と言った。
むかし、ボンド映画で流行したアタッシュケースを開き、
取り出したのは数十枚の大判写真の束である。
これまでSS氏のまえに立ち現れた、さまざまの情景が激写されている。
「置いていきますから、ゆっくり見て」
といいながら、ロックアイスと水がほしいというので、わたすと、
バッグから奇妙な入れ物を取り出してトクトクッと垂らしていたのは、なんじゃらほい。
どれも、眼前に広がるありのままを広角でガバッと気持ちよく撮る、
桂品に眼を奪われたが、その一枚に、『鳥舞』の風景があった。
鳥舞と同種の踊りは、アンデス地方など世界中に残っているが、
東北に太古から伝承する民話の世界がユネスコの世界遺産にえらばれてみると、
あらためて素朴な円舞の祈りに心をうたれる。
SS氏は、何十年も前に、平泉の束稲山頂でおこなわれた学童の鳥舞を、
カメラにおさめていた。
山頂から見下ろしためずらしいアングルのかなたに、平泉を流れる北上川と、
高館や柳の御所が写っている。
勧進帳で有名な義経一行の、終焉の地といわれている。
こちらが、かってに写真をトリミングしても良いかたずねる、
「どーぞ、ご自由に」
タンノイから流れるピッツバーグ・ジャズ・フェスをバックに、
スイスの腕時計を彼は絹のハンカチで磨いている。
2009.10/2

MONK'S MUSIC

2018年11月12日 | 写楽人のお話


練馬区についての続きの話。
そのころの或る日、工場にやってきた新宿営業所のN氏からフイルムとプリントを渡されて、
「自家現像をしている店主が、このシミのような斑が写真に現れる理由を教えてほしいと言っていますから、よろしく」
カラー写真の隆盛期を迎えた大阪万博のあとも、モノクロの延長で薬品キットを使い、
自家現像にチャレンジするマニアックな写真店があった。
現像部門で相談し、必要なデビロップメントのレクチャーを受け、
昼食の空き時間にその練馬の写真店に電話を入れてみた。
ハイ、とオヤジさんの声がしたので、自己紹介のあと言った。
これは現像タンクの攪拌不足に生じるムラのようですが、装置はどのような状況でしょうか?
「それじゃオレのやりかたがわるい、と言っているのか」
電話の向こうは、そうとう気の短いオヤジさんが、カチンときたのである。
一瞬、言葉に困ったが、そのとき電話の遠くで、
「おとうさんが、説明を頼んだのでしょ!」
と娘さんと思われる必死にたしなめる若い声が聞こえた。
おそらくこの娘さんは、いつも父親の仕事を見ていて、その声は一部始終を知っている。
店主は急に態度を改めて、「やっぱり自家処理は無理なのかね」と言った。
ジャズ的葛藤の場面が、一瞬の舞台転換で、秩序と矜持と礼儀で構成された
ミレーの絵画に変わっていたが、良いアイデアがほしい。
「そんなことは無いと思いますが、こちらでは乳剤の表面に薬液を充分触れるように、窒素の気泡で攪拌しています。いつでも機材の動いている様子を工場で案内できますから、」
と教わったとうり言ったが、オヤジさんに、あまり変わられても娘さんとしてはどうなのか。
しばらくあと、巡回のついでに営業の車は思い出したようにその店の前を通ってくれた。
S・モンクはマイルスの要求にカチンときて、それなら、オレにどうしろと、
とばかり曲が進んでもピアノを弾こうとしなかった、
あのクリスマス・セッションは、やっぱりおもしろい。
ソロ演奏のモンクのLPを聴くと、いらない音符を削り取った絶対音符の人と言われる
イメージどうりにタンノイから聴こえる。
彼の作曲になる『ROUND ABOUT MIDNIGHT』はしかし、
ソロより大勢でやった演奏のほうが、ファンクのフィーリングも饒舌でありながら深みを感じる。
マイルスは、ソロとトリオとセクステットを一曲の間に交互にして、
おそらく完璧な陰影の画面を創りたかったようだが、
モンクのリーダー・アルバムの例では、ホーキンスもコルトレーンもブレイキーも
好き勝手にやってモンクのイメージとは正反対だ。
この1957年の『モンクス・ミュージック』は“希に見るセッション”と賞賛されるのももっともだが、
あとで一人になってレコードを聴いたモンクの言い分はどうか。
2009.5/29