【六本木第三美学乃参考書】=【ブログロテス】since20040926C&D

六本木&LA&香港発、新時代の美の提唱サロン【ロテス(六本木第三美学)】を紐解く為の参考書が、この【ブログロテス】・・・

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【上園磨冬超絶濃縮無還元年表2009】

2009年11月30日 06時06分06秒 | Weblog
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【上園磨冬超絶濃縮無還元年表2009】を下記に・・・

1970年6月7日神戸にて生誕。
「6月6666666666666・・・・・・日」と言う、
「永遠なる6並び」に最も近い日に生誕。

以下、そこからの日日を、ジェットコースター式でどうぞ・・・



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【666/6歳迄の6年間の記憶を六本木で御披露目】

撲は6歳迄の幼少期に総てを学んだと想って生きて居る。
雨、母、ストリート、大きく分けて、この3つと共に。

そして、其の6年間の記憶を、
其のままカタチにして世に送り贈り出そうと、
撲は創り手の仕事を選んだ。
創造主として表現者として、
ショーマンとしてのアヰドルを目指し、
人生をそこに捧げる事を誓い選んだんだ・・・

独立国家としての独つの惑星としての楽しい場所を創る為。

秘密基地を創って、好きなモノだけ詰め込んだ、
あの日の感覚を其のまま続けて生きて居るのです・・・

それが現在「DOL」と名付けられた存在なのです。

「DOL東京都零区地下世界美術園六本木本部」を完成させる迄、
撲は戦わねば成ら無いのです・・・



【カメラと母と架空の撮影会/モデルbutアイドル】

何故かカメラを「撲にとっての戦車」だと想い込み、首から下げて持ち歩いた。
安モノのオモチャのカメラだ。
中は空洞の、駄菓子屋で売って居る程度の。
でもそれで沢山のモノを映した。
勿論記憶の中に。
それはイロアセル事無く鮮明に、今尚、撲の中に残って居る。
印画紙よりも色濃く。
いつだって眼(マナコ)閉じれば観る事が出来る。

撲は母と共に良くモデルごっこをした。
「架空のアイドル」としての撮影会だ。
子供ながらの撮影会と言っても手の込んだ、コンセプチュアルなモノだった。
親子だからと言って手は抜か無いし、馴れ合わ無い。
母がコンセプトを決め、ニットでゼロから衣装を編み揚げる。
そしてそれを撲が来てストリートに出る。
撲がポーズを捕る。
母が映す。
それを6年間繰り返した。
それが旅先の場合も在った。
其の度に適した衣装を又わざわざ創るのだ。
いつか発表しようと、それを大切に保管した。
それ等の写真は現在大切に保管されて残って居る。
撲はモデルとして被写体として参戦したが、
撲の記憶のカメラには、
総ての日の記憶がシッカリと映し込まれて居る・・・今尚・・・
其の母と子のコンセプチュアルな撮影会・・・

そして33年もの年月を経て、それ等は世に姿を現わした。
再始動でもリバイバルでも無く、
継続のコンティニューとして・・・遊びでは無く、真剣なタクラミとして・・・



【黒白と雨とアスファルト/雨の指令】

白い紙に黒い鉛筆で毎日、絵と字と記号を描いた。
それが大好きな行為だったから。

とある日、アスファルトにロウセキで絵を描く事が在り衝撃を覚えた。
黒いアスファルトに白いロウセキで絵が描ける。
つまり「黒地に白字」で描く事が出来ると言う事を知り戦慄の感動を覚えたのだ。

それ迄は「白地に黒字」が当たり前だと想って居たので、其の真逆が可能だと知り夢中に成った。
トリツカレタ様にアスファルトに描きまくった。
そしてそれを撲の家の在るアパートの2階から観るのが好きだった。
でも悲劇は起きた。
雨が降り、無残にも全部消し去って行ったのだ。
泣いた・・・涙を流した・・・雨を恨んだ・・・
せっかく描いたのに、そこに永遠に残す事が出来無いなんて・・・
でもヒトシキリ泣いたら、独つの答えに辿り着いた。
雨が揚がり、
キレイに消え去ったアスファルトを観て想った・・・
あ、又新しい絵が描ける・・・
雨が総てを消して呉れるから、又新しいキャンバスが用意され、
新しいモノを描く事が出来る。
そっか、雨と御友達に成ればイイんだ。

撲が描いて、雨が消す。
撲が描いて、雨が消す。
撲が描いて・・・雨が・・・消す・・・

永遠に残す必要は無いんだ・・・コレはライヴだ・・・
其の瞬間(とき)にそこに居て観れたヒトだけのラッキーなプレゼントなんだ。
あの日以来、撲は雨とパートナーシップを築き、今尚、其の関係を続けて居る。
だから雨が大好きなんだ。
「雨」の「指『令』」を撲がカタチに変えて世に発表するんだ。

「零(ゼロ)」・・・それは「『雨』の指『令』」・・・

だから撲は「零(ゼロ)」を貫き通す・・・
雨への恩返しとして・・・
だから撲は黒と白でしか作品を創ら無い。
あの日を今尚、其のまま継続する為。

撲にとって其の黒と白の間に在る「透明」は、
あの日の「雨の色」・・・そして其の雨によって流した「涙の色」・・・
そんな「水」の色・・・

ちなみに撲にとっての「黒」とは、
「濡れたアスファルトの色」の事で在る。
「白」は、耳付きの雪だるまを創ったあの日の「雪景色の色」の事で在る。
つまり、黒も白も透明も、
メイドinレイン・・・雨によって創られた色なので在る・・・

「雨音」に耳を傾ければ・・・
「『雨』の指『令』」が聴こえて来るんだ・・・

だから撲はそれをカタチに変えて・・・世に贈るんだ・・・



【聖地六本木交差零地点】

1989年3月29日水曜日、帝都上陸。
知人の独りも居無い街、
アテ無くサマヨイ歩き、
1989年3月29日水曜日真夜中、
気が付けば六本木の交差点のガードレールに座って居た。
そしてそこでコレから起こすで在ろうタクラミについて色色と考えた。

真夜中午前3時3分3秒から集中して其の思考を青焼きに焼いた。
3時間3分と3秒の瞬間(とき)を経て、
午前6時6分6秒に、其の真下のアスファルトの地に足を着け、
そこから帝都を開始させた。
「己の『零(ゼロ)」」を認識して・・・

「この靴の裏の面積すら借地、撲のモノでは無い。
最初から何も無いのだから、失うモノなど無いのだから、
恐がらずに突き進めばイイと・・・」

そんな「零地点」には何度も救われた。
撲にとっての独つの教会の様な存在として。

何度も足を運んだ。

とある日、
其の「零地点」のアスファルトが廃止に成ると言う情報が入った。
ストリートにおける最高のステージ「アスファルト」が廃止に成るなんて・・・
しかも其の「アスファルト」は撲の大切な「零地点」でも在る。
何とか救出せねばと、東京都に掛け合い、ミラクル勃発で、
見事救出成功。

2009年冬現在、撲の所に無事に捕獲中。

撲の場所では無かった、あの場所が、撲の手の中に。
其の御蔭で、
いつだって、撲は「零(ゼロ)」を確認する事が出来る。

オゴリ高ぶる事無く、冷静に。

このアスファルトの上に座って眼(め)を閉じるのが大好きな瞬間(とき)。
最高に贅沢なヒトトキ。
価値観は値段では無く、そこに「歩み刻み込まれたドラマ」が重要なんだ。
そう心の底から体感させて呉れ、それに気付かせて呉れたのが、
「このアスファルト」だ。

撲の、宝モノだ。



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↑上記、予告編とコマーシャル

↓下記、本編


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1989年3月29日水曜日、18歳の瞬間(トキ)、
役者として生きて行く為に神戸より帝都上陸。
其の数ヵ月後、早くも人生の迷い経由転機、
1989年、19歳の瞬間(トキ)、独つの想いが駆け巡った・・・
TVドラマや劇場映画に出る事だけが「役者」なのか?
スクリーンに映すだけが「映画」なのか?
「それは違うのでは?」と・・・

地球と言う球体に総てを映し出し、
そこで演じ切る事は出来無いモノだろうか・・・
「役者」と「映画」を独つにした「映画人」として・・・

つまりは生きて行く日日、日常の中のドラマを、
眼(め)に観えるカタチとして世に送り贈り出す。
そんな素敵な生き方が出来無いモノだろうか。

それが、
撲が小さな頃から想い描き生きて来た事を、
忠実に表わす、最適かつ唯一の、たった独つの方法だと気付いた。

独つの賭け、独つの挑戦、独つの生き方。
逃げ道無し。
独つの逃げ場を造る事が出来る術(すべ)が在るのなら、
どうせなら独つの陣地を創ればイイ。

「映画人」として生きるには、
哲学、思想、平面立体モノ創り、戯曲執筆、写真映像捕り捕られ、
声・文字・会話、己の肉体と精神の献上、記憶の具現化等・・・
様様な角度から様様が出来無ければ御話に成ら無い。
テメエが出来る総てを一生涯注ぎ込ま無ければ・・・

1989年、19歳の瞬間(トキ)、決断した。
「例えば映画のワンシーン。
そこに映る人達が最も魅力的に映る為には、
そこに映り込むモノ総てが魅力的に交差し無ければ成ら無い。
壁もテーブルも、衣装も、セリフも、音も光も風も匂いも総て・・・
だから、それ等を総て創り揚げる技術と感覚を必要とする。
それには撲独りだけでは到底無理な話だ。
そこに一番適したプロと組み、完成へと向かうんだ。
それにはコミュニケーション能力が必要と成る。
演技ウンヌンでは無く、ヤラねば出来ねば御話に成ら無い事は沢山在る。
だから、其の総てを総合した活動を開始させよう・・・
何かの装置にも似たインスタレーションで、
空間其のモノを創り揚げよう」と・・・

同時期1989年芝浦に「芝浦GOLD」と言うクラブがオープンした。
日本のクラブシーンの一石目に投じられた爆弾の様な箱だった。
10代において、帝都で一番衝撃を受けたのは、この場所だった。
何もかもが刺激的で魅惑的で新らしかった。
空間其のモノが作品だった。
そこに人人が集い、音が流れと変化して行く「生モノ」としての作品だった。

「この場所からスタートさせたい!!!」
心からそう願った。
「この場所からスタートさせる!!!」
心からそう誓った。
まずは作品創りだと、想像を創造へと変える毎日を過ごした。
GOLDにも通った。
自分に自信がついて、GOLDと独つに成れそうな気配を感じた「とある日」
単身でGOLDの事務所へ向かった。
何のコネも無く。

其の当時は未だ、
匿名の海外アーティストの作品を一部展示して居る程度で、
運良く特に誰かのアート色に染まって居無かったので、
一か八かで「日本人初のアートディレクション」として「個展」をさせて欲しいと切り出した。
すると返事は「YES」と言うミラクル。
見事「日本人初のアーティスト」として1階エントランスでの展覧会が決まり、
青焼き通りに「『芝浦GOLD』にてプロとしてのスタートを切る事」が出来た。
それは1991年の夏の事、
それはプロとして、時代への創めてのマーキング。
其の事は「宝島1991年9月24日232号」にて、
トピックスとしてA4縦半ぺージにて掲載されて居る。
今尚、撲の宝モノの1冊だ。
「みうらじゅん」さんの魅力に気付いてファンに成ったのも、この頃で、宝島の御蔭だ。
そんな「宝島1991年9月24日232号」には、
撲の活動を集約させたスローガンが掲載されて居る。

【ライヴ装置としてのアートを深求(しんきゅう)する】と言う一言で締めくくられたカタチで・・・

インタビューの瞬間(とき)に、
「アナタの活動を一言で言えば?」と言われ、
想わず出た一言だった。
南池袋の小さな喫茶店で。
そんな【ライヴ装置としてのアートの深求(しんきゅう)】は、
撲の永遠のスローガンと化した。

そしてそこから、撲の其の動きは一気に速度を揚げて突き進む事に成る。
「芝浦GOLD」から「東麻布ENDMAX」「西麻布イエロー」へと、
其のステージを変え、
強烈な2人の先輩(DT&YT)と組む事に成り、
様様な勉強をさせて頂き、多大なる協力をして頂き、
初の海外としてNYへも飛び、
「NYシェルター」で闇の黒を呼吸し、
1992年冬、22歳の瞬間(トキ)、独つの最高のピークを迎えた。

其の証として、
時代への2度目のマーキングが、
「FRIDAY1992年12月18日436号」にてA4全ページにて掲載されて居る。
そんな独つの最高のピークと同時進行される真逆の背中合わせか、
1992年冬、22歳の瞬間(トキ)、
調子に乗り過ぎ完全に心身がイカレ、独つの最低のピークを迎えた。

そしてコレはマズイと、
以前より親交の在った柴田師匠のモトへと駆け込み、
師と話し合い、師の教えのモト、
食生活の改善と、己の心身への配慮を学び、
次なる己への創まれ変わりの第0歩目として、
まずは食生活からと「乳製品と卵」を絶ち、
肉と砂糖を減らした「ネオ・ベジタリアン(野菜と肉が6:1)」として、
「サディスティック/スパルタ/ストイシズム」の「3S(スリーエス)」を核とした、
現在の「上園磨冬」の零地点に立った。

そして、以来、
それを2009年の現在迄続行し続けて居る・・・



撲に多大なる革命的変化を与え、
新たな己への創まれ変わりへと教え導いて呉れた柴田師匠を「師」と仰ぐも、
「師」に甘える事は禁物と決め、
「師」のモトへは、何かの節目に成る瞬間(トキ)にだけと決め、
1992年冬より3年間だけ通い、
己への甘えを完全に絶つ為に、
1995年から、あえて「師」には一度も逢って居無い。

「師」には逢わずだが、
毎日撲は「師」の教えを守り生きて居る。

例え小さな成功で在っても、
「=己(イコールオノレ)」な生き方を、
俗世間様に指し示す事が出来た瞬間(トキ)、
撲は「師」に御礼と御挨拶を言いに、逢いに行こうと決め、
其の日を常に目標として生きて居る・・・

2010年、ようやくと撲は…「師」に逢いに行けるだろう・・・

そう信じて、2009年9月9日に「人生の出番」を開幕させ、
そう信じて、2009年9月22日に「人生の出番」の「本編」を開始させた。

夢に迄観た・・・「人生の出番」が創まったのだ・・・・・・



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2009年11月30日、
2010年からの次なる発信に際し、
今迄の人生を振り返り、
【上園磨冬超絶濃縮無還元年表2009】として、
この1ページに集約して発表して観たけど、コレ、いかに・・・



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※1993年、新たな己への創まれ変わりの証として、
時代への3度目のマーキング、
「宝島1993年6月9日273号」にて布石を投下済。
それもいつか大きな何かに繫がる序曲と成るだろう。



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追記】
※2009年12月15日追記

【上園磨冬超絶濃縮無還元年表2009裏補足】としての、
裏ページを裏御用意させて頂きましたので裏に隠れて御覧下さいませ。

http://blog.goo.ne.jp/roteass/e/cfe437a5d4d59a38926849a42556a657
【上園磨冬超絶濃縮無還元年表2009裏補足】




圉圉圉圉圉圉圉圉圉 † 上園磨冬fromロテス † 圉圉圉圉圉圉圉圉圉

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