goo blog サービス終了のお知らせ 

黒式部の怨念日記

怨念を恐るる者は読むことなかれ

ルチア・ポップの「とうとう嬉しい時がきた」

2024-12-24 10:05:29 | オペラ

モーツァルトの「フィガロの結婚」のスザンナを歌う歌手が「スザンナはでずっぱりで一番大変なのにこれといったアリアがない」と不満を述べていたが、何を仰いますらや、素晴らしいアリアが最後にあるではないか。第4幕で歌われる「とうとう嬉しい時がきた~早く来て、愛しい人」である。たしかに、レチタティーヴォとアリアから成るこの歌のアリアの部分はこんな感じで、

イントロと歌の出だしは階名で歌うと「ソ、ソードミーソ、ドーレミファレソ、ミード……」てな具合に大層単純で、告白すれば私もカール・ベームの映像を見て「フィガロ推し」になった後も、このアリアの良さは分からずにいた。そのベームがウィーン国立歌劇場の引越公演で上野でこのオペラを振ったときのスザンナはルチア・ポップだった。私は、このアリアだけではなく、ルチア・ポップの良さもまだ知らずにいて、えー?なんで映像でスザンナを歌ったミレッラ・フレーニじゃないのー?などとほざいていた。

ほどなくして、ルチア・ポップがこのアリアを歌うのを聴いた。ソロ・アルバム又はガラ・コンサートだったと思う。な、なんてしっとりとした歌なんだろう(曲自体も、ポップの歌い方も)。私は、その瞬間、このアリアとルチア・ポップを同時に大好きになった。オペラ全曲でポップのスザンナを聴いたのはショルティのレコードだった。吉田秀和さんのFMの番組でのことで、吉田秀和さんはポップが歌うこのアリアを「絶唱」と言って褒めていた(この点については激しく同意である)。さらに、ポップがスザンナを歌うオペラ全曲のベータビデオ(指揮はやはりショルティ)も入手し、私のポップ熱は天井知らずに高まった(私の好きな歌手は、ポップとグルベローヴァが同着一位である)。そうなると、ベームが日本で振ったフィガロを聴けなかったことがはなはな残念に思えてきた。取り返しがつかないとはこのことである。そんな折り、NHKがその公演の録画をDVDにして売ってくれた。もちろん飛びついた。私は、この件とブラタモリを放送してくれることの2点で受信料を喜んで払う者である。

さあ、そのDVDの演奏である。この頃のベームはテンポがますます遅くなっていて、「フィガロ」を歌った歌手達は「ベームの遅いテンポによく耐えた」という批評を読んだ。たしかに、赤とんぼがとまりそうな星飛雄馬の大リーグボール3号くらい遅かったが、ルチア・ポップは、その遅いテンポを見事にモノにして、情感あふれる素晴らしい歌を歌っていた。上手な歌手は、どんなテンポでも歌えるんだな、と思った。

実は、私がもしかするとアリア本体よりも好きかもしれないのは、レチタティーヴォである。

と言っても、普通の歌手がさらっと歌うヤツでは感動しない。ルチア・ポップが歌うレチがよいのだ。出だしの「Giunse alfin il momento」(きた、とうとう、そのときが)の「アルフィーン」を「フィーン」と伸ばす様がたまらないのである。

因みに、モーツァルトは、初演の後、レチはそのままにしてアリアをいったん他の曲に差し換えている。それはなんてことのない「普通の」アリアである。FMで解説してた人は「初演の歌手がモーツァルトのお気に入りで、モーツァルトは魂を込めた初演版を他の歌手には歌わせたくなかったのでその歌手が故国に帰ってしまった後にアリアを差し替えたのだ」と言っていた。なかなかのストーリーをお考えになるものだ、と感心したが、そんなことで名曲を引っ込めるかなーと私はその説にはいまいち懐疑的である。

そのアリアの日本語訳が「疾く来よ、愛しい人」となってることがある。「疾く来よ」とは御大層な表現である。いつの時代の言葉だろうか。私は、おきゃんなスザンナはこんな言い回しはしないと思って「早く来て」と言っている。

そのアリアのイントロで、歌のメロディーを先んじて吹くのはオーボエ。オーボエに関してはいつまでも初心者の私だが、ここだけなら5年こればっかりやれば吹けるようになるかもしれない(そんなことばかり言っていて、5年の間にできるようにならなきゃいけないヤツがいくつあるんだろう)。

このアリアの前後はフィガロとスザンナの化かし合い。直前では、スザンナに浮気されたと誤解したフィガロが全世界の女性を敵に回す歌を歌うが、この後はスザンナが騙されて(フィガロが伯爵夫人に浮気したと誤解して)フィガロに対して殴る蹴るの大暴行を働く。いや、どの公演でも殴ったり蹴ったりするわけではないのだが、ポップのスザンナは殴って蹴るのだ。NHK様が販売してくれたDVDでもプライのフィガロ相手に派手に狼藉をはたらいている。観客は大喜び。なんでも、本国(オーストリア)の新聞だか雑誌だかは「日本の観客が喜ぶものだから歌手がはめをはずしすぎた」と報じたそうだ。いや、私はこのくらいの方が面白くて好きですよ。

そんなわけで、私にとってこのレチタティーヴォとアリアはルチア・ポップ以外には考えられなかった……のだが、一夜だけ浮気した(「フィガロの結婚」に浮気はつきものである)。同じウィーン国立歌劇場の引越公演でも少し後、1994年の「フィガロ」はアバドが振ったのだが、そのときのスザンナはバーバラ・ボニーだった。アリアの最後に装飾音を付けていた。心を持っていかれた私であった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

斉藤晴彦が歌ったアルマヴィーヴァ伯爵

2024-12-20 11:06:57 | オペラ

映画「アマデウス」にはモーツァルトの「フィガロの結婚」の上演シーンもあるが、第4幕で皇帝があくびをしてあわや上演禁止になるところ、という話であった。私は、「フィガロの結婚」は大好物である。

だが、最初の印象はよくなかった。最初に見たのはテレビ中継で、日本人の団体の公演だったが、歌がぴんとこなかった。舞台中央に簡素な部屋があり、横に付けられた階段を上り下りして演者が入れ替わる演出も陳腐な感じがした。私は、中一のときに「NHKイタリアオペラ」を見てオペラにはまっていたから、多分、オペラは好きだけど「モーツァルトのオペラはつまらない」という感想を持ったんだと思う。

それが一変したのは、NHKがお正月かなんかに放送した、カール・ベームが指揮をしポネルが演出をした映画仕掛けの映像を見た時。フィガロはヘルマン・プライで、アルマヴィーヴァ伯爵はフィッシャー・ディースカウだった。段違いだった。一夜にして、私はモーツァルトのオペラの大ファンになり、特に「ファガロの結婚」が上演されると聞けば必ず聴きに行っていた。

そんななかに、東ドイツのオペラ劇場の引越公演があった。フィガロ役の歌手が普段ドイツ語でしか歌ってなくて(当時のドイツはそんな感じだった)、原語のイタリア語は無理!と言ってドタキャンして代役が立ったのだが、東京の聴衆には不評で盛大なブーイングを浴びていた。ドタキャンした歌手に対する不満のはけ口にされた感もあったが、たしかにいまいちな感じがした。ところが、その後の地方公演の様子を記事で読んだら、聴衆が打って変わってブラヴォーで盛り上げたそうで、するとその代役さん、調子が出てきてなかなかの名舞台になったという。聴衆の態度によってそんなに変わるのか、どっちの聴衆の方が得をしたのかと言えばそれは明らかだよな、と思ったものである。

さらに、懲りずに片っ端からフィガロを聴きまくっていて、「こんにゃく座」という団体の公演のチケットも買い、いざ、会場に出かけてみると、小さくて場末の芝居小屋の雰囲気。オケピットもなく、あるのはピアノ一台と何台かの譜面台。あれ、大変な所に来てしまった?と心細くなった。そして、いよいよ開演。数人がのっそり出てきて口三味線で序曲を歌う。「ビチビチビチ」で始まる歌詞は、当ブログの二つ前の記事の「K溜め」に通じる世界感。もう観念して、今日はその世界に浸ろう、と思ったが、歌手は、一人を除き、全員声楽科を出たプロの歌手で立派な歌であった。その一人というのが伯爵役なのだが、超異彩を放っていて、その歌は声楽家の歌でないのは明らかで、浪花節がぴったりのダミ声だった。ところが、その不思議な存在感が徐々に会場を支配してゆき、最後は聴衆全員がその応援団になっていて、第3幕のアリアの3連符の連続をダミ声で見事に歌いこなした時は会場内が熱狂の渦に巻き込まれた。その方こそが、かの斉藤晴彦さんだったのである。その頃はまだアングラ劇団で活動されていて、「笑っていいとも」にも「題名のない音楽会」にも「♪こーくさーいでーんわぁはー」(メロディーはハンガリー舞曲第5番)のCMにも出られる前であった。私は、この方にすっかりはまってしまい、以後、この方が出るこんにゃく座の「フィガロの結婚」には必ず出かけたものである。それどころか、東京文化会館大ホールで開かれたテノール・リサイタルにもしっかりかけつけた。そのときアンコールで歌われたのが、ショパンの軍隊ポロネーズのメロディーに乗せて歌う「ワーレサって言ったらだーれさ、ワーレサって言ったらかーれさ」の名替え歌であった。ショパンとワレサを結びつけるセンス(ポーランドつながり)にも感服したものである。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「後宮からの誘拐」のタイトルへの疑問

2024-12-19 11:56:42 | オペラ

モーツァルトのオペラ「後宮からの誘拐」は、そのタイトルが疑問。普通、「誘拐」というと、悪者が被害者を力尽くで、又はだまして連れ出す行為である。だが、このオペラは、トルコの太守の後宮に監禁されているヨーロッパ人女性をヨーロッパの男が助け出す話である。「解放」であって「誘拐」とは真逆のようにも思える。

原因は原題である。ドイツ語で「Die Entführung aus dem Serail」。この「Entführung」が「誘拐」だと言うのである。果たして「誘拐」だけか?他の意味はないのか?例えば、このオペラを「後宮からの逃走」と訳す人もいて、やはり「誘拐」に違和感を持ってる人だと思うが、そうした「逃走」の意味はないのだろうか?独和大辞典にはなかった。ネットのドイツ語のページを見てみたが、やはり、この言葉はハイジャック等の犯罪的な行為を意味するもののみのようである。

ところで、このオペラの粗筋を述べているドイツ語のページを見たら、「ヨーロッパの男が『die Entführten zu retten 』を決心した」とあった。「die Entführten」とは件の「Entführung」の元の動詞である「entführen」(誘拐する)の過去分詞が名詞化したものであり、「誘拐された人達」の意味である。そして「zu retten」は「to rescue」すなわち「救出」である。つまり、トルコの太守に誘拐された人達を救うことを決心した、というのである。「entführen」(誘拐する)が「retten」(救出する)に置き換わっている。それならガッテンである。すると、このオペラが「誘拐」と言ってるのは「後宮への誘拐」?だが「aus dem Serail(out of the harem)」はどう読んでも「後宮から」である。すると、太守が誘拐したヨーロッパ人女性を誘拐仕返したというのがこのオペラのタイトルであると言わざるをえない。

ところで、泥棒に盗まれた物を盗み返す行為は窃盗罪にあたる(泥棒の占有を侵害した、という理由で)。同様の視点に立ったらどうだろう。後宮から連れ出す行為は、太守から見れば犯罪であって、それは「誘拐」である。そう考えたとき、初めてこのタイトルに納得するのである。そう言えば、このオペラのラストは、脱出が失敗してとっ捕まったヨーロッパ人の男女4人を太守が許して帰国させる。なかなかの人格者として描かれている。そんな人格者の目を盗んで逃げ出す行為を犯罪行為に擬すこともあながち不当ではないかもしれない。ということで、疑問は(無理やり)解消した。

因みに、「誘拐」という言葉は、日常用語的には被害者を力尽くで、又はだまして連れ出す行為の両方を含むが、刑法的には、前者は「略取」であり、後者が「誘拐」であり、両者を総合して「拐取」と言っている。

映画「アマデウス」にもこのオペラが出てくる。サリエリがソプラノ歌手に稽古を付ける場面で歌手が音階を歌うシーンがそのままこのオペラの「拷問のアリア」のシーンになるのである。なんとも秀逸である。再現するとこうである。

映画で歌手を演じているのは俳優で、実際に歌っているのはジューン・アンダーソンである。実際、ジェット・コースターのような音階だらけの超絶技巧を要求するアリアである。私が誰でこのアリアを聴きたいかと言えば、それはもちろんグルベローヴァである。オペラになだれこんだ後、高いドをずーっと伸ばすのだが、これをピアニッシモで歌うのがグルベローヴァなのである。

因みに、映画では、件のソプラノ歌手はサリエリのお気に入りなのだが、モーツァルトに寝取られることになる。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ジャンニ・スキッキ」の「私のお父さん」は脅迫歌?

2024-12-16 11:34:25 | オペラ

プッチーニのオペラ「ジャンニ・スキッキ」のアリア「私のお父さん」は、よくソロ・コンサートで歌われるほか、結婚式でもよく歌われるそうだ。叙情的な感傷的なメロディーだが、

実は、このオペラはドタバタコメディー。全曲を通して騒々しいなか、一瞬、静かになって歌われるのがこのアリアである。このアリアについて、モノを申したいと思う。

まず歌詞。父親のジャンニ・スキッキに娘のラウレッタが「彼氏との結婚を許してくれなければポンテ・ヴェッキオ(ヴェッキオ橋)からアルノ川に身を投げる」という内容だ、と巷間よく言われる。だが、それだと正確ではない。このオペラは、亡くなった資産家が遺産の全部を修道院に遺贈するという内容の遺言書を書いていたため大慌ての相続人達が知恵者のジャンニ・スキッキに「何かいい方策があったら教えてくれ」と頼んだのに対しジャンニ・スキッキはいったん断ったのだが、相続人の中にラウレッタと恋仲の若者がいて遺産の分け前をもらえないと結婚ができないって話になって(今も昔も結婚にはお金がかかる)、それでラウレッタが父ジャンニ・スキッキに対して懇願する歌なのである。すなわち、懇願する中身は結婚の許しではなく、彼氏が遺産の分け前にあずかれる方策を考えてちょうだい、ということなのである。

次に、ラウレッタが「ヴェッキオ橋からアルノ川に身を投げる」のが「脅迫」と言われることがある。広義では脅迫だろうが、果たして日本国刑法の脅迫罪にあたるだろうか。脅迫罪が成立するためには「相手方又はその親族に対する害悪の告知」が必要である。ラウレッタの「アルノ川に身を投げる」という発言は、ラウレッタが自身を殺すということであり、ラウレッタに対する害悪の告知であるところ、ラウレッタは告知の相手であるジャンニ・スキッキの娘(=親族)である。すると、「相手方の親族に対する害悪の告知」に該当するから立派な脅迫罪である。しかも、「方策を編み出す」という行為を要求しているから強要罪の構成要件にも該当することとなる。

本件からは離れるが、恋人に対して「結婚してくれなきゃ死んでやる」と言うことが脅迫罪になるだろうか。6親等までの血族は親族であり、傍系血族同士は4親等から婚姻可能であるところ、いとこ同士は4親等の傍系血族であるから親族であり、かつ婚姻が可能となる。だから、いとこ同士で婚姻話がもちあがってるところにもってきて「結婚してくれなきゃ死んでやる」と言えば、それは「相手方の親族に対する害悪の告知」に該当するから、脅迫罪が成立することとなる。軽々しく「死んでやる」とは言わないことである。

オペラに戻る。このオペラは、このあと、もっと重罪が犯されることとなる。すなわち、一計を案じたジャンニ・スキッキがとった方策は、自分自身が瀕死の資産家に成りすまし、公証人に別の遺言内容を口授して偽の内容の公正証書遺言を作成する、というものであった。これは、公正証書原本不実記載罪に該当する行為である。因みに、その内容は、現金こそは相続人間で平等に分ける、というものであるが、おいしい不動産はジャンニ・スキッキに遺贈する、という内容であった。それを聴いていた相続人達は、ばれると自分達も共犯になるから臍をかむしかなかった。

以上の法律的な解釈はすべて私見である。信じて試験の答案に書いて零点をとっても一切責任を負うものではない旨を申し述べておく。

因みに、「ヴェッキオ橋」は日本語では「じーさん橋」である。もし「ヴェッキア橋」なら「ばーさん橋」である。イタリアのフィレンツェを流れるアルノ川に架かる橋である。

このオペラは喜劇である(ヴェルディの「ファルスタッフ」の影響でプッチーニはかようなオペラを書いたのだろうか)。いろいろ笑えるが、なかでも、遺産の全部を修道院に遺贈するという遺言の存在の知った相続人が「あいつが死んでホントに泣くとは思わなかった」という台詞は秀逸である。このオペラの冒頭で相続人達がおいおい泣いているがこれは嘘泣きであり、件の遺言書の存在を知って泣くのが本気泣きだったわけである。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

グルベローヴァに手汗でした拍手

2024-12-11 18:01:24 | オペラ

テレビCMで、手汗をかく人はお医者に行こう、と言っていた。だったら、私は、グルベローヴァを初めて聴いたとき、お医者に行かなければいけなかったはずである。そのときの話をしよう。

話は遡る。グルベローヴァは、空前絶後と言われたコロラトゥーラ歌手(高-い音にたーくさん装飾を付けてキラキラ歌うソプラノ)である。私は、最初にFMで聴いて知った。びっくりぽんどころじゃなくたまげた(平仮名ばかりの文)。次に、「ナクソス島のアリアドネ」のレコードを聴いた。こんな歌を人間が歌えるのかと思った。是非、生で聴いて確かめてみたい。だが、グルベローヴァは既にウィーン国立歌劇場と共に初来日を済ませていて、まさに「ナクソス島のアリアドネ」のツェルビネッタを歌って、会場にいた老若男女にあんぐりと開いた口を閉じるのを忘れさせたという。だが、私は、その時分、就活の真っ最中で聴きにいけなかった。その後、なかなか来てくれない。

そのうち、悪い噂が聞こえてきた。グルベローヴァが「夜の女王」を歌ったビデオの解説に「花の命は短い(コロラトゥーラ歌手は衰えるのが早い)。グルベローヴァも例外ではない。だが、安心されよ。このビデオでは全盛期の声が聴ける」と書いてあった。まるで、グルベローヴァが衰えたと言いたげである。

そうこうするうち、ようやく再来日が決まった。初来日から7年経っていた。単身での来日で、ソロ・コンサートを開くのであった。もちろんチケットを買った私は、しかし、半分心配しながら東京文化会館に向かった。「衰え」が現実だったらどうしよう、という心配である。

そして、いよいよコンサートが始まった。普通、オペラ歌手のコンサートは、一曲目にオペラの序曲をオーケストラだけで演奏して(露払い)、会場が暖まった頃に歌手が登場する。だが、グルベローヴァは、いきなり一曲目から登場した。曲は、ロッシーニのオペラ「セビリャの理髪師」の中のロジーナのアリア「今の歌声は」である。チャラーン、チャラーンとオケがイントロを弾いて、そしていよいよ歌。期待と不安が入り乱れる中、グルベローヴァは、そろ~っと歌いだした。

コロラトゥーラとは思えないような奥の深い艶っぽい声である。こちらは固唾を呑んで聴いている。すると、いきなりガツーンと来た。

まるで、そろ~と走り出したジェットコースターがいきなり坂を下りだした感じである。その後はもう大変。なにこれ、なにこれ、と思っているうちにこんな感じで、

イントロ部分が終わった。もともとの楽譜にはこんな装飾はない。これは記憶に基づく再現楽譜である。まさに上になり下になりのジェットコースターである。しかも、グルベローヴァ様は、高いレをピアニッシモでお出しになる(それどころか、この後、もっと高いファさえもピアニッシモでお出しになった)。きっと、私はここまで呼吸をしてなかったに違いない。ようやく一息ついたときには手汗でぐっしょりであった。そして、全曲が終わって拍手をしようとしたら、汗が糊になって合わさった手が離れない。だから私の拍手はパチパチではなくベットンべットンであった。しかもこれはまだ第1曲である。この夜、何度も何度もベットンベットンの拍手をした私であった。

「花の命は短い」なんていったい誰が言った?衰えてないどころの話ではない。超絶技巧はレコードで聴くそのまま。それに加えて圧倒的な声量があった。こんなコロラトゥーラがどこにいる?

「花の命は短い」は一般論としては正しいが、グルベローヴァにはあてはまらない、ということである。しかも、この後、グルベローヴァは60を過ぎるまで美声と超絶技巧を維持した。この点においても、空前絶後であった。

私は、可能な限り、グルベローヴァが日本に来たときは全日程を聴きにいった。終演後、グルベローヴァは舞台袖に集まったファンと握手をしてくることを覚えた私らファンは、必ず、舞台袖に集結して、親鳥にエサをねだるヒナのように手を差し出したものである。その際、手汗をかいていては失礼だから、ちゃんとハンカチで拭いてから手を差し出したはずである。

さらに、私は、これまでの人生で一度だけサイン会で並んだことがあり、もちろんそれはグルベローヴァのサイン会であった。今はなき六本木のWAVE(レコード店)だった。サインをしてもらったら握手を交わすのだが、そのときも手汗は拭き取っていたはずである。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする