今回もコラールのネタ元はヨハネ受難曲(バッハ)で、取り上げるのは第15曲と第37曲。この二曲は同じ賛美歌(コラール)を原曲とし、それはミヒャエル・ヴァイセ(注1)の8節から成る「Christus, der uns selig macht」(以下「本件賛美歌」という)。第15曲の冒頭の歌詞と同じである。すなわち、第15曲は、このコラールの第1節を歌詞としている。第2部の冒頭を飾るコラールで、無実の罪で十字架にかけられるイエスのこの後の運命を予告する内容であり、こういう曲である。
そして、第37曲は、イエスが息をひきとった後の情景をエヴァンゲリストが歌った後に歌われるコラールである。歌詞は本件賛美歌の最終節(第8節)。その冒頭がコレである。
調は異なるがコラール旋律は第15曲と同じであるし、和声付けも特にでだしはほとんど同じである。
では、原曲について詳しく見てみよう。ヴァイセの詩は、ラテン語の受難詩「Patris Sapientia」をドイツ語に翻訳したものである(その際、7つの節に1節を加えて8節とした)。そして、メロディーは、古くからボヘミア兄弟団(注2)によって歌われてきたメロディーである。
次に支流を見てみよう。バッハは、本件賛美歌のメロディーを用いてオルガン用のコラール前奏曲を書いている(BWV620とBWV747)。
面白いところでは、1750年頃に組み立てられたパスティッチョ(既存の複数の楽曲を寄せ集めて作った作品)である受難オラトリオの「このエドムから来る者はだれか(Wer ist der, so von Edom kömmt)」が、本件賛美歌の8つの節のうち7つを使用している。このパスティッチョを構成する楽曲のもともとの作曲者には、カール・ハインリヒ・グラウン(注3)、ゲオルク・フィルップ・テレマン(注4)、そしてJ.S.バッハといった大物が含まれている。今回、この記事を書くにあたって、このパスティッチョを聴いてみた。すると、バッハのマタイ受難曲の代表的なコラールの「血潮したたる」が出てきた。なるほど、パスティッチョとはそうしたものなのだな。
「パスティッチョ(pasticcio)」なる言葉を見たのは初めて。資料に「パスティッチョの受難オラトリオ」とあったのを読んで、パスティッチョという作曲家がいるのか?と思ったくらいである。料理用語にもなっていて、パスタや具材を詰めて焼いた料理のことだそうだ。ボヘミア兄弟団のことを知ったのも初めてである。まっこと、このブログを書くことは(読者にとってはただの駄文にすぎなくても)私にとって大変なお勉強である。つうか、そもそも読者は3人しかいないのであった。
今回のまとめ図は次のとおりである。
今回は、一度に二つのコラールをやっつけた。残りのコラールは2曲である。ラストスパートすべきだが、えてしてゴール直前でこけるものである。
注1:Paul or Paulus Stockmann(1603.1.3~1636.9.6)
注2:ボヘミア兄弟団はボヘミア(今のチェコ)で生まれたプロテスタントの平信徒の団体。南ボヘミアの小貴族ヘルチツキーの唱える非暴力・自由・平等の教えをうけて,1457年に東ボヘミアのクンバルトで創設された(改訂新版世界大百科事典より)。
注3:Carl Heinrich Graun(1704.5.7~1759.8.8)
注4:Georg Philipp Telemann(1681.3.24~1767.6.25)