原題: MELANCHOLIA
監督: ラース・フォン・トリアー
出演: キルスティン・ダンスト 、シャルロット・ゲンズブール 、キーファー・サザーランド 、シャーロット・ランプリング 、ウド・キアー
公式サイトはこちら。
前作『アンチクライスト』は結構消化不良だった自分だし、これもうつ病をテーマにした作品ということは知っていたので、果たして自分の中でどこまで受け入れられるかな?と少々疑問に思いながらの鑑賞。
トリアー監督自身がうつ病を患った経験を元に作られた本作。
冒頭「トリスタンとイゾルデ」に導かれながら流れるプロローグは美しい。 これは『アンチクライスト』と同じ様相だが、本作、このプロローグで大方のあらすじを説明してしまっているようにも思える(なのであんまり深読みしてこのシーンを見てしまうと逆につまらないのかもしれないけど)。
それでもさまざまな音楽や絵画をオマージュした映像は素晴らしい。
プロローグの中の、キルスティンが流れていく映像やら、画集やらにあるのはミレーのオフィーリアだし、ブリューゲルの絵も出てきましたね(タイトルはわからないけど)。
それらの示唆するものを短時間で1つ1つ追いかけることはちょっとできないけど、ここはもっと調べてみたいところです。
幸せの絶頂である結婚式に向かうジャスティンとマイケル。
輝くような花嫁、見つめあう新郎新婦。
しかしながら、狭い山道を無理矢理走るリムジンのように、話が進むにつれて少しづつ、ジャスティンのあらゆる世間の常識と呼ばれる規範から外れているような行動が明らかになっていく。
いきさつこそ描かれてはいないものの、周囲の態度からどこか彼女の言動は信用ならないものとして映っているのだろう。
自分はうつ病ではないのであまり正確に捉えられていないかもしれませんが、世間一般的に「こういう風にあるべき」的な規範というものが存在するとしたら、うつ病の方は「そうあるべきではないと思う」と考えてしまうものなのでしょうか。
どうして「こうあるべき」しかないのか? と。
たった1つのことが正解なの? と。
クレアやジョン、マイケル、ジャックらにとっては、ジャスティンが何を考えているかわからない、「時々たまらなく憎たらしくなる」存在であり、腹立たしいことこの上ないのだろう。
しかしながらジャスティンにとっては、ワンサイドからしか正解じゃない状況というのがたまらなく自身を束縛するものだったのかもしれない。
だからジョンが出資したことも、マイケルが土地を買ったことも、ジャックが仕事で彼女を評価したこともすべて彼女にとっては「無」、"Nothing"となる。
それが何なの? と。
地球に接近する「メランコリア」。 恐らくではあるけど、この舞台となる屋敷の外、村であったりその他の全世界ではパニック状態になっていたはずである。
そこを一切取り入れず、ひたすらジャスティン、クレアが考える終末を映画は描く。
クレアにとってメランコリアの接近は、自分とそれを取り巻く存在をすべて奪い去るものとしか考えられない。 クレアが壊れていくほどに泰然自若となっていくジャスティンとは正反対である。
最初から「無」であるジャスティンにとって、終末など何も怖くはない。
ワンサイドからしかとらえていない「有する人々」の何と滑稽な、無様な慌てふためく様子なのだろう・・・。
これはどう考えても、既存の常識にしか物事をあてはめない我々への警告である。
私たちが今まで信じてきたことのすべて、例えば社会的な成功、幸福、果ては最近日本でも大流行の「絆」までもが実は大いなる茶番であるかもしれないのである。
全てを奪い去る、どうにもならないことの前に一体人は何ができるのだろう。 何もできないのかもしれないけど、その時目の前にある全てのことに悠然とすることはできる。
あまりにも枠にあてはめる世の中に対して、トリアー監督が突き付けた挑戦状であり、また自身の中にあるうつ病にけじめをつけた作品なのかもしれない。
★★★★☆ 4.5/5点
ダークマターの正体もわからない宇宙のゴミみたいな知的生命体の常識だからねえ。
もともとたいして意味なんかないんだと思います。(笑)
roseさんほんとだすごい高評価!
前半のムカつきを後半で釈明?してくれました
キルスティンは嫌いだけどこういう終りは納得というか、理想というか、、、。
でも鬱の空気感とか前半嫌な空気好きじゃないからもう観たくないけど(笑)
この作品は監督の体験がとてもよく表れている作品だと思いました。
うつ病の方というのはどちらかというと「こういう風にあるべき」ということに合わせなければならないと思う気持ちが強い人が多いのですよね。
自分の気持ちを殺してもそうしてしまう。
そしてそれがどこかで限界を越えて身動きできなくなってしまうのです。
まさにジャスティンはその典型であったと思いました。
そこからの復活ですが、自分のあるがままを受け入れるということなのですね。
ジャスティンはそれができたから、破滅ということも粛々と受け入れられたわけだと思いました。
対してクレアやその夫は、「あるべき姿」が崩壊していくのをどうしても受け入れられません。
彼女たちのパニックは現実の受け入れ拒否の表れなのでしょうね。
きっと鬱ってそんな感じなのかなあとも思ったり。 自分じゃどうしようもない力に引っ張られちゃうのかもしれません。
幸せの絶頂から不協和音をうまく取り込むのはさすがだと思いました。
でもジャスティンみたいなのが実際周りにいたらキレちゃうかもね(^_^;)
真面目な方に多いんでしょうかねやっぱり。 自分の逃がし場所がなくなってしまうというか、うまくやり過ごせないというか。
身動きできないのはつらいと思います。
>自分のあるがままを受け入れる
意外と難しいんですよね。 そしてそのことにもとても真剣に取り組んでしまったりして。
「あるべき姿」がなくなって慌てるのとは正反対に、落ち着き払うジャスティンがとても印象的。
でも最後の瞬間なんてそうするしかないと思いました。
美しく幻想的な映像は素晴らしかったです。
全く理解はしてないかもしれませんが、なんだかわからないけど良かったということで(笑)
恥ずかしながら、うつ病をテーマとした映画だということをこちらで感想を読ませて頂いて初めて知った次第です^^;
そうするとあのプロローグは…。
巨大な「鬱」に地球は成す術もなくのみ込まれ、木っ端みじんになるかも…ってこと?
うわー。なんと恐ろしい予言でしょうか。
だけど空に浮かぶメランコリアの映像があんまり綺麗だったので、怖さや嫌悪のような感情は全く湧かなくて…不思議です。
でも、DVDとかの記事はまだlivedoorのブログへ載せているので良かったら見て下さい。
この作品は、まるでSF映画のようでもあるし、でもよくよく見ていると主人公が鬱状態なのですね。
そして姉のクレアも同じように、鬱状態が激しくなっていく。
クレアの夫は、何故自殺したの?・・・やっぱり鬱なのか。
私にも、鬱状態(更年期障害だと思う)の友達がいるのですが、自分の殻に閉じこもって違う世界へ行っているようでした。
それにしても、最後のメランコリアが近づいて来る映像は美しかった。
映像も綺麗でした。