不揃いの林檎
山を思う山はある意味で年代、経験、技術に合わせ楽しむものであるが、いまは100名山とかアルプスとか有名な山に登ることが中高年にはStatusとなり、その山登りがひとつの自慢話とな......
不揃いの林檎
人はある意味で不揃いの林檎かも知れない。
形も色も味もひとつ・・が違いみな同じように見えてそうでない林檎、その形が様々であっても味はみな同じで美味しさも変わらない「この林檎、形は悪いけれど美味しい」食べてわかる林檎の美味しさ、人も見た目ではわからず初めて心開いて付き合ってわかる、それが我々人の関係。
人も果実と同じで咲きと生まれは一緒であるが、人の愛情の注ぎで味が変わるように人もその育ちの過程、環境で人も変わる、哀しいけれど人の場合はそれが謙虚にでる。
でも、人には彼等にないHeartがあり、そのHeartでそう言った人を優しく抱擁できる一人でありたいと思う。
果実
母体となる樹は大地の愛情を受け
花を咲かせ
ひとつの実をつける
それらはみな同じように見えても
なかにはひ弱なものもあり
彼等は切り離され地に落ち朽ちる
この現実
ひ弱なものは容赦なく落とされ
強いものだけが実となり明日へと繋ぐ
それが彼等の生きる術。
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