四季の旅人

私のブログは生きるを旅として、四季を歩きながらその表情を文に纏めているのが私のブログです。

思うこと

2008-05-14 | Weblog

最近思うことは、情熱が失せてきたような気がする。
時々ミニ旅行したり、食事をしたりする仲のいいグループがいるのだけど、以前はよく情報流したりして連絡取り合っていたけど、最近、この付き合いが5年にもなると、もうそろそろ限界かなと思う。
以前は互いに連絡取り合うのが週に一度はあったけが、それが月に一度になり、その行く目的がずれて、タイミングが合わなくなって、せっかくのチャンスを見過ごすようになると、どうしても互いの予定の調整がとれず「まあいいか、ひとりで行こう」と言う風になって、グループとしての活動が薄れて、今ではもう一年の年賀の挨拶。
人と言うのは飽きるように出来ているのかな・・・
今までは四季毎に計画を組、ポイントを決めていたけど、
互いの生活のウェートが変化すると、前向きな情熱が失せてしまい、
桜のシーズンだけど行こうか?声をかけても「仕事、予定が・・・」
そう聞くと「じゃ、次回にしよう」
そう言いながら連絡するのが億劫になる。
それって老いた証じゃない、そう言われても仕方がない、
人の情熱とは脆いものである。

そう考えると、人の恋も儚いものかも知れない。
好き、愛している、そう言いながら、
子供が生まれ、妻の愛情が子供に注がれ、夫への恋心が薄れると、男は新しいものを求めたがる傾向にあるし、妻は子育て、家庭、仕事に追われる現実の間に入って
生きていかなければならないのである。
そうなると現実の妻の立場と、夫への思いは冷めて、
互いの価値観が変わってしまうのは避けられないことである。
この男と女のずれは、埋めることが出来ない溝となって横たわり、時が流れる。
確かに、このずれを修復して、また橋だけを架けて行き来する人もいるけれど、
一度ずれた、ボタンの掛け違い、価値観のずれ、立場の相違は、
時間をかけても修復出来ないものもある。
それが人生であり、新しいものを求める人間の性で在り、
人間として生きていくための欲望かも知れない、
少なくとも、この欲望が人間の生きる源で在るのも事実である。

生きる。
苦しくても生きる、これは人間として大切なことであり、命には生きる重みがあり、
それを安易に放棄することは罪であることを知るべきである。
私たちはこの自然と、周りの人たちに生かされている。
だからこそ感謝して、弱いものを守り、助け合っていかなければならないのである。
育む命、いきたい命、それらを大切に守り育てるという事、それが人の使命。
生きている、生かされている事に感謝を忘れない人になる、それが大切であり、
人は独りではない、いつも誰かが見守ってくれる、
生きると言う事は、それらに応えることで在る。

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