私は,あるきっかけから田中角栄氏に惹かれ,角栄さんをとりこにした女性の書いた『熱情』を手始めに,30冊超の田中本を手に入れ読みこんできました。その内の一冊,『冤罪』を書かれた石井一氏が6月4日にご逝去。
羽田内閣で自治大臣などを務めた元衆院議員,石井一(いしい・はじめ)氏が死去。87歳。 石井氏は1969年の衆院選に自民党から出馬し,35歳で初当選。田中角栄元内閣総理大臣の側近の一人として「田中軍団の青年将校」と呼ばれ,選挙制度改革に消極的な宮沢内閣への不信任決議案に賛成して93年に離党。国土庁長官や自治相,国家公安委員長などを歴任。衆議院議員11期,参議院議員1期の44年にわたり,国政に参画した。
氏は著書『グリーン上の政治家たち』(平成30年2月 産経新聞出版発行)で,田中角栄氏のロッキード裁判中のゴルフについて、側近の眼で次のように綴っている。
スコアよりスピードの角栄流ゴルフ
source:『グリーン上の政治家たち』p56~p60
我が半生を振り返るとき、オヤジ、田中角栄先生の思い出は尽きるところがありませんが、一番ショッキングな出来事は何と言っても、田中総理に濡れ衣をきせたロッキード裁判です。
この事件を深層まで掘り下げ、無実の罪で結果的に田中先生の生命まで奪ったといえる首謀者を暴いた拙著『冤罪』でも、田中総理にまつわるゴルフのエピソードに触れましたが、本書のようなサブジェクトの本で、それらを紹介せずにはいられません。(中略)
金権政治と批判のあった田中先生を当初から有罪と決めつけ、それに沿ったシナリオと、
時の政権や最高裁、あるいは世論まで味方につけた、違法なロッキード裁判の深い闇については、『冤罪』でも詳らかに述べましたが、グリーンの上でプレイしているときだけ、先生は、世論やマスコミの批判、あるいは身に覚えのない冤罪裁判の暗澹たる日常から自己を解放することができました。肉体が悲鳴をあげるほど疲れ果てるまで身体を酷使し、ざらには酒の力を借り、そうしてようやく眠りにつきました。ですから、角栄流のゴルフは、どれだけのスコアでまわるということではなく、どれだけ早く多くのコースをまわって歩数を稼ぐか、どれだけ体を疲れさせるかということが最も重要でした。あまりにラウンドが早いので、前の組から四、五ホールあげてスタートするのですが、それでも九ホールまわると、最終ホールでは、たいてい前の組に追いついてしまいました。(中略)
そのようにして、人の二倍も三倍も歩き、グダグダに汗をかいて、そのまま別荘へ戻り、風呂を浴びた後で一休みし、夕食をとり、それから酒を飲みました。いつも決まってオールドパーの水割りでした。田中先生は軽く五、六杯、多いときは十杯以上、がぶがぶとあおるように飲み干しました。おそらく一晩でボトルの半分は平らげていたように思います。そうしてついにはフラフラになって、遅くとも夜の八時には酔いつぶれて寝てしまうのでした。
否、そうしなくては眠れない苦悩が先生にはありました。酒を責めるつもりはありません
が、酒を飲んで忘れたかった苦渋の出来事がなければ、田中総理のこの国の発展のために成した偉業の数はさらに増えていたことでしょう。
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┃★┃ 角栄本から角さんの光と影を追う
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田中角栄氏については驚くほどの沢山の本が出ています。戦後の政治家の中で氏ほど多く本が書かれた例は他にはないでしょう。私は,あるきっかけから田中氏に惹かれ石井一著『冤罪』はもとより,角栄さんをとりこにし女性の書いた『熱情』など30冊超の田中本を手に入れ,読みこんできました。
この機会に私なりの解釈で「角さんの光と影」をこのブログに書き込みます。