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かごしま 鶴丸城跡からキリシタン関連の「花十字紋瓦」出土

2010-05-08 11:56:07 | 鹿児島県

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【photo】 鹿児島市の鶴丸城跡から出土した「花十字紋瓦」-出典:西日本新聞記事より

 江戸初期のキリシタン建築に使われた「花十字紋瓦」が,薩摩藩の鶴丸城跡(鹿児島市)
から出土していたことが確認された。これまで,長崎県以外で「花十字紋瓦」は,発見され
ていなかったことから,キリシタン文化の広がりを示す資料として注目されている。

 平成11年の鹿児島市教育委員会による発掘調査で,二の丸の池があった場所に廃棄され
たような状態で5枚が出土。当時はキリシタン関連の遺物とは分からず「十字唐草紋瓦」と
して報告書に記載されたが,その後の調査研究で花十字紋瓦と確認された。

 鹿児島はフランシスコ・ザビエルが上陸したキリスト教伝来の地。鶴丸城を築いた初代藩
主,島津家久(いえひさ)の義母,永俊尼(洗礼名カタリナ)はキリシタンで,晩年に種子
島へ追放されている。
 「永俊尼が鶴丸城に住んだ時期があったのでは。幕府の禁教令のもとで鶴丸城内に教会は
なかったであろうが,なんらかのキリシタン関連の建物があったのでは」と推測される。

 花十字紋瓦は,1609年に薩摩から移築されたと伝えられるサント・ドミンゴ教会跡
長崎市)や,島原の乱で天草四郎が立てこもった原城跡(長崎県南島原市)などで出土している。
          
⇒鶴丸城
 島津氏77万石かつての居城が鶴丸城。城の形が翼を広げた鶴に似ていたことからこの名
がついた。残念ながら当時の建物は残っていませんが,石垣と堀からかつての規模をうかが
える。

⇒フランシスコ・ザビエル(Francisco de Xavier ・1506年-52年)
 スペインナバーラ生まれのカトリック教会の司祭,宣教師でイエズス会の創設メンバーの
1人。ポルトガル王ジョアン3世の依頼でインドのゴアに派遣され,その後1549年に日本に初
めてキリスト教を伝えたことで特に有名である。また,日本やインドなどで宣教を行い,多
くの人々をキリスト教信仰に導いたといわれている。

⇒「島津家久」(しまづ いえひさ 1547 ~ 1587
 戦国時代の薩摩の武将。長兄:島津義久・次兄:島津義弘・三兄と続く,島津四兄弟の末
弟。

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