goo blog サービス終了のお知らせ 

魔法が解けたそのあとで

結婚、出産、育児、介護、お仕事。来た球を打ち返す、毎日のつれづれをつづりました。

澱。

2008-06-12 10:21:04 | 結婚できました編
結婚式も終わり、結婚報告葉書の作成や写真の焼き増し、発送など、それ関連のいろいろも大体片付き、ちょっと暇になってきました。

だからなのか。

毎日、やることがない

ほんとーに、毎日会社に行っている旦那さんには悪いと思いますが、暇。
だったら働きに行こう、と思って活動しているのですが、これがなかなか仕事がないですね田舎だからというのもあるんだけど、やっぱりこの年齢と今の状態(結婚していたら子どもが出来て辞めるんじゃない?)を鑑みると、雇う側としては取りたくないな、と思うのは仕方ないでしょう・・・。

土日だけ、バイトをすることにしました。

夫は朝九時前に家を出るので、十時から七時までくらいだったら良いだろう・・・と思い

そしたら「自分が帰ってくる前にばたばたして欲しくない。家事を手抜きして欲しくない。同僚に電車で会ったりして、奥さん働かせていると思われたくない」などと夫がぐたぐた言い始めました

しかもバイトの時間を「自分の相談なしに決めてきた」と怒り出し

・・・何なんだろうな・・・と思うのです。

結婚のために仕事を途中で辞めて、ここに来た。
毎日、夫としか話していない日もある。
ぴかぴかの住まいで、働かなくてよくて、何が不満なの?贅沢だ、と言われました。

たしかにそうだと思う。

毎日夫に合わせて生活している。

今まで、わたしは自分が働いて、自分を養ってきて、そのかわりすべて自分の好きなようにやってきた。
好きな時間に起きて、寝て、好きなことをやって行きたいところに行って、欲しいものを買ってきた。
ひとりの生活が長かった。

夫が好きなものを作り、夫がしたいように部屋を整え、夫が風呂に一緒に入って背中を流して欲しいと言えば一緒に入り、夫が寝たらそれに合わせて寝る。
夫の休みに合わせて予定を立てる。
休みの日は夫の行きたいところに行き、夫の実家に行ったり、夫が買いたいものを買いに行く。

夫がいない間、わたしが好きに時間を使えばいいじゃないか、と言われる。

それで何が不満なんだ、と。

夫の実家には二週間に1度は必ず行っている。

わたしの両親とは、年末と結婚式のときに会ったきり。

ずっと一人でいる。

夫の両親は、よくしてくれる。でも、私の親ではない。

友達は、結婚していれば子育て真っ最中、していなければ仕事をばりばりやっている。したがって、時間が合わないし、会えない。

最近、すごく寂しくて、泣く。

自分が一人だった時は、自分の本当に欲しいもの、居心地の良いものを集めて身の回りに置いていた。
今は夫が安いからと買ってきたものや、夫のセンスで選んだものが多いところに住んでいる。
彼は、自分の部屋がある。
私の持ち物は、まだ自分の東京の部屋にある。
引越しが住んでいないので、ものの置き所が定まっていない。
夫はモノをなかなか捨てないので、収納にはもういらないカタログや空き箱がたくさんある。
モノを動かすと、怒られる。「どこにいったか分からなくなる」とねちねち言われる。

何一つ、自分の思うとおりにならない。

ストレスが、澱のようにたまってゆく。

最近、よく泣く。
ひとりで声を上げて泣く。
窓をしめて、泣く。外に聞こえないように。
「帰りたい」「さびしいよう」「どうしてわたしが?」
そう言いながら泣く。

そうすると、少しすっきりする。

この間、すごいめまいがして、起きられなくなった。
水も吐いてしまうほどの気分の悪さで、ずっと寝ていた。
昨日も夫の実家に行く前日、頭が痛くて痛くて、夫の食事を出してから寝た。
夫も一緒になって寝に来たので、肩を揉んで欲しいと頼んだら、少し揉んで、「ちょっと休んでからやる」と言って、寝てしまった。
そして朝方早く起きたらしく、お風呂に入って何かやっていたけど、食べたものもそのままになっていた。

夫のことは好きだ。だから、うまくいかないことが、余計悲しい。

働かないで食べさせてもらっている、家事をやっている。
それがこんなに卑屈なことなのだろうか。

わたしのわがままなんだろうか。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

それでもやってよかった。

2008-06-02 01:07:50 | 結婚できました編
いろいろありましたが(ほんと~~に)無事披露宴も終わりました。

多分どこのお家もいろいろあるんだと思います。

披露宴の前の一週間は、毎日睡眠時間2,3時間という状態のまま、当日を迎えました
前日はわたしの遠方の親戚たちが集まってお食事会、まだ両親への手紙、書いてないよ・・・
清書も出来ず、寝たのが四時だよ・・・。

ほんと~~~に疲れました

新郎、「もう疲れた・・・」とか言ってるけど、こっちは寝不足な上、鬘もかぶってるんだよとむっとしました。

しかし、ああいうたくさんの方々をお招きした場で、きちんとふたりのことを披露するって言うのは、すごいプレッシャーですね。
ああまでして離婚するカップルってのは、よっぽど「もうそんなことかまいやしね~」っていう気持ちになるんでしょうね。

そしてやってよかったな、と思うのは、先方のご両親がすご~~~く喜んでいたことと、わたしの両親に「新婦からの手紙」で感謝をあらわせたこと、またたくさんのお友達が駆けつけてきてくれたことでした。
なかには中国地方から東京に前日一泊して、披露宴が終わったらすぐにとんぼ返り、というお友達もいました
わたしもそのお友達の結婚のときは行ったのですが、やっぱりそうまでして来てくれことに、本当にありがたく思いました。

入籍してもう半年近くたっているのですが、いよいよ「もう旧姓から卒業だ」と思うと、涙も出てきましたね
あとはわたしのきょうだいたちが号泣でした。
けっこう仲良くみんなで助け合ってきたきょうだいだったので、普段泣いたことなんて見たことがない姉が大泣きし、弟も男泣き(?)していたので、それを見て、また涙・・・母も泣いていました。父は黙っていました

わたしが披露宴で心がけたことは「自分たちが主役だけど、来ていただいた方に感謝をあらわす場でありたい」と思い、お食事なども試食して、手直ししてもらい、引き出物も考えて8パターンくらいになってしまいましたが、手書きのメッセージカードも書いて付けました。

もともと「自分たちが晴れ着を着て、祝ってもらうためにたくさんの人を招待してご祝儀をもらう」という互助会みたいな結婚披露宴のシステムに疑問を持っていたので、そのシステムにのっとっていらしてくださった先方のご両親の隣近所の方々もおられましたが、それ以外は特にわたしの招待客は「本当に来ていただきたい人だけ」招待状を送らせていただきました。

美味しいお食事と、ひとりひとりの方への配慮、それと感動が揃わないと満足していただける披露宴にはならないなあ、と感じます。

いろいろと至らない点があったと、本当に思いますが、満足して帰っていただけていたら良いなあ・・・と思います。

今は本当にやってよかったね、と夫と話しています

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

嘘がダメなわけ。

2008-06-02 00:35:00 | 結婚できました編
式の前に引越し。
私たちは新居にも引越しをしていたのです。
その引越し準備の時のこと。

実はかねてから、「おかしいな・・・?」と思う出来事がチラホラとあったのです。

決定的ではないのですが、女性が使うようなものがチラホラと。

そのたびに彼は「俺が使ってるんだ」と言ってました。

そう言われると「そうかあ」なんつって疑惑を消していたのですが。

女のカンって怖いですね

彼は「この部屋はリツコしか来たことがない。女性は母と妹だけしか来たことがないんだよ」と言っていました。
その部屋で新婚生活を始めることが出来たことを、わたしはとても嬉しく思っていました。

しかし。
それは嘘だったのです。

ひょんなことから、ここに女性が来ていた事を知りました

それも、実はごく初期ですが、流産した日に。
お腹に赤ちゃんがいなくなって、彼が慰めてくれて、悲しくて悲しくて、でもこの人と一緒に頑張ろう、と思った日。

ずっと「ここに女性が来ていたことがあったのでは?それは前の彼女では?」と思って、それを彼が否定するたびに安心していた、でもまた何か影を感じて疑っていた、そんな三ヶ月間でした。

もうきっぱり(多分)別れた人。
だからもういいのです。
でも、この部屋に出入りしていて、洗面所やお風呂を使っていた人がいる、ということが、わたしにはちょっと共有できないというか・・・それを隠していた、何度も聞いたのに嘘をついていた彼を、信じられなくなった。

彼が帰ってきてから、話をしました。
最初、玄関まで入ったことがある、などとこの期に及んで嘘をつく彼でしたが、さらに追求したところ、話してくれました。

やはりここに前の彼女が出入りしていたということ。

かなりショックでした。

何を信じたらいいんだろう、と。

彼を好きで、仕事を辞めて、親兄弟からも離れて、こんな寒いところに来て、彼以外に何を信じていったらいいのか?

彼はその彼女とはいい思い出がなく、できたら本当にここに彼女が着ていたこと消してしまいたいくらいのようでした。

でも、嘘をついたのはよくない。
わたしを喜ばせたい、余計なことを心配させたくない、という一心からのものだったそうです。
でもわたしは何回か本当にここに来た女性がいなかったか聞いた。それに、嘘をついていた。
それが心を冷やしました。

「この人はこうして嘘をつくんだ」

心の中に刻んだことです。

嘘をつくことはなんでいけないか。
それは「また嘘をつかれるかもしれない」という不信感を、人に植え付けることになるから。

彼は、わたしの人生で最愛のひとです。
彼からいろんな気持ちを教わりました。
というか、彼ゆえに、いろいろな感情を味わいました。

世界を引き換えにしても手に入れたい人がいる気持ち、
死ぬほどつらい別れ、
自分より愛しい存在がいる、
それでも自分を失うほどの恋は価値がないと思ってお別れして東京に行った事。
そして人を疑うこと。
彼にはほかの誰にもされたことがないほど、傷つけられた。
そういう人が世の中にいるってことも、学んだのです。

これからも、そういう気持ちを味わうのかな。

彼は謝りました。
わたしは「流れてしまったとは言え、子どもまでできたあなたと別れるとか、許さないとか、そういうことはない。でももう二度と嘘つかないでね」と引導を渡しました。

でも、今も小さな嘘はつきますねヤツは・・・。

本当に、本当につらかった、出来事でした。

いやな思いは全部前のその部屋において、わたしたちは新居に引越しをしたのです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

結婚式。

2008-05-02 00:32:55 | 結婚できました編
死ぬかと思いました・・・
結婚式って、こんなに大変なものだったんですね・・・
知らなかった・・・。

いや、でも無事終わりました。
やってみたら、「やってよかったなあ」という披露宴になりました。

前回、わたし、実家に帰りました。
そして旦那さんに叫びました。
「こんなことだったら、結婚なんてしなければよかった!」

・・・離婚の危機でした。
それは・・・。旦那さんの両親が、わたしの親族の数を制限してきたからなのです。
理由は分かる。でも極端すぎない?
たしかに「披露宴をやれ!」というご両親の意向ですることになった。
そしてうちの両親は親族が久々に集まるということで、結構な人数になりそうだった。
そしたら「うちの方の親族が少ないから父方・母方から一人ずつにしろ。あとは友達を呼べ」とのファクスが。

・・・はあ~~~~?(にしおかすみこだよ)

自分たちはまったく知らん近所の人とか15人も呼んでて、しかもわたしの招待客の倍、わたしの招待客の内訳まで指図されなきゃいけないわけ?

わたしは泣いて怒った。
だんなさんは困った。
ご両親と大喧嘩してくれた。
「だれのための結婚式なんだ」って。
でも執拗に言ってくるご両親にまいった私は、「そんなこと気にしない親の人もいるんだよ・・・こんなことなら結婚しなきゃよかった」と言ってしまった。

これには旦那さんもかなりショック

まあ、いまとなっちゃあ笑い話なんですけどね

それで、一度帰りました。元いたところに。仕事もあったし。

そしたらご両親、びっくりしちゃって

「リツコさん、帰っちゃった」って。
それで平謝り。
まあせっかく結婚できた長男が破談になったりしたら困るでしょ~
それでまあなんとか仲直り。

そのほかにもいろいろありました・・・。

わたしたちは他のカップルよりいろいろな事情が多く、結婚できるまで大変だったかもしれません。
わたしのなかにも「まだこの人でいいのかな」という不安が、ぽちっとあったかもしれません。
でも、ふたりで新居を構え、結婚式を終え、やっと夫婦として積み上げていく覚悟ができたかもしれません。
そういう意味でも、結婚式をやったことがとてもよかったと思います。

何があったかというと・・・ぼちぼち書いていこうと思います。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

結婚式の準備。

2008-02-24 12:42:21 | 結婚できました編
実は、披露宴はしないつもりでした。
というのも、お互いいい歳だし、わたしの母の印象があちらのお家には最悪なので、できるだけひっそりと内輪で披露して終わりにしたい、と考えていました。そして新居を購入することも決まり、それでお金もとってもかかるので。

そしたら。
あちらのご両親が。

「披露宴もしないで、今までなんのために育てて来たんだ」と怒るは泣くは…

田舎なんだなあ、と実感した瞬間。
曲がりなりにも長男の旦那さん。
しかし「結婚披露宴をするために、育ててきたのか?」という疑問も…。
うちの両親は「自分たちがしたかったらやればいいし、これからの生活にお金をかけたほうが良いのではないの?」という考え。

まあでも仕方なく、結婚披露宴をすることになったですよ。
そしたら大喜び。
しかし。

こちらの風習というか慣習らしいのですが、向こう三軒両隣…までいかなくても、隣組、つまりご近所の人を呼ぶとのこと。その数10人…そしてお母さんのお友達も。

旦那さんを小さい頃から知っているとはいえ、今は特に結婚したからと言って大喜びしてくださるというわけではなかろう、ご近所の方々…。(だんなさんの弁)

どうも呼び合っているので、呼び返さなくてはいけないみたい。
…はあ…

よく分からん人たちが15名ちかく来るらしい。
なんなんだ。

まあいいや。ご両親がやりたくてやる披露宴だから。

旦那さんの方は社長以下会社関係者がたくさん。旦那さんが今まで呼ばれた人を呼ぶと、もう40名を超える。
そうすると、わたしの招待客の人数はMAX20名。
どう考えても、わたしが今まで呼ばれた人は全員呼べない。

しかもスタートは旦那さんのお父さんの強硬な主張で11時半。
そうすると遠方のわたしのお友達は間に合わない。
これはあとで分かったのですが、そうすると、宿泊してもらうことになるのですよ。
とにかく「昼ごはんは12時だ!」ということと、自分の親族が来るのにちょうど良い時間を設定したのですね、旦那さんのお父さんは。

まあいい。
だってお父さんたちがやりたくてやる、披露宴だから。

この辺はまだ、わたしも旦那さんも、お父さんの希望通り、いわゆる「旦那さんのご両親のための結婚披露宴」という意識が強かった、というか、そういう気持ちのみでした。

だから、「こうしたい」という希望は一切なく、「こっぱずかしいから地味に、ゲストに喜んでいただけたらいいよね・・・」という引いた気持ちでいたのです。

そして旦那さんのお父さんとお母さんの希望のように、というのが優先順位第1位としてきたのですが。
これが、大きな間違いだったことに、のちのち二人は気づくのでした
そりゃそうだ。

そしてリツコはついに「こんなことなら結婚しなければよかった」とまで言ってしまうことになるのでした…
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新婚生活。

2008-02-17 15:41:22 | 結婚できました編
お久しぶりです。
リツコ、主婦です。
ずっと頑張ってきた仕事に区切りをつけ、だんなさんの住む地方都市に戻ってきました。
ここは高校まで住んでいたところなので、お友達もいるし、土地勘があるのですが、なにせ寒い…
リツコがこの土地を出たのは、あまりの寒さに「こんなところにいたら寿命が縮まって死んでしまう…」という生命の危機を感じ、あったかい関東平野に移住したのですが…。逆戻りしてしまいました
ほんと、この寒い時期にやってきてしまったのが間違いだったかも…死なない程度に頑張ります…。

さて、新婚生活。
仕事を辞めてしまったリツコは暇。
だんなさんを朝送り出して、夜まで、暇。
通常だったらこの時期会社は死ぬほど忙しい繁忙期なので、くたくたになっているはず。寒さとは別の意味で死んでしまう…という生命の危機を感じ、半分鬱病になりそうになりながら、春まで走り抜ける時期。
でも辞めたから、暇。

「今、わたしはだんなさんのためにしか生きていない」と思いました。
多分、今、だんなさんしかわたしを必要としていない…それでいいじゃないという思いもありますが…。
会社から電話がかかってくると、その度に「申し訳ないなあ」という気持ちでいっぱいになります

難しいのが時間。
主婦の仕事は掃除、お洗濯、食事作り。
でもだんなさんが帰ってくるまでに済ませればいい。
だから帳尻が合っていれば時間に制限がない。
お掃除だって、今日できなかったら明日やればいい。
お洗濯だって、もう少したまってからやったっていい。
その区切りのなさが、難しい

自制心がないわたしには。

こちらにいるお友達は大概、独身で仕事をしているか、既婚で仕事をしているか、子供が小さくて主婦しているか。
だからなかなか会うのも難しい。
仕事をしている人は結構大切なポジションに着いているから、忙しい。
子供が小さい人は、なかなか出られない。

わたしのような暇人は、なかなかいない…

「なんかパートとかないかな~」とチラシを見ていると「リツコには結婚式と引越しのことをやってもらわないといけないからね」とだんなさんに釘を刺されました。

そう、三月に新居に引越し、四月に結婚式をします。
引越しはともかく…。

結婚式。
これがこんなに揉めるものとは…話には聞いていましたが、こんなにとは知りませんでした…。
これはまた次回。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

結婚後。

2007-12-23 19:55:59 | 結婚できました編
リツコです。

入籍しましてから約一か月。

まだ都内で仕事を続けているため、旦那さんとは別居状態です。

ああまでうるさかった私の母も、憑きものが落ちたかのように静かになっております。なんだったんだろう…あの事態は…。

これから仕事の具合をみて退職し、だんなさんのもとに行きます。

今も薬指の指輪を見るたびにとても不思議な気持ちです。

まつ毛が抜けると、それを捨てる時に願い事をすると叶うって知ってますか?

何年間か、わたしのそれは「結婚できますように」でした。

飯田橋の東京大神宮で、縁結びのお守りも買いました。あれから約一年半くらいでしょうか。

「結婚したい」

漠然と、また切に願ったことでした。

今、結婚し、もう恋愛するのは旦那さんだけでいいんだなと思うと、安心感があります。

来月、お互い今までの携帯も解約し、新規で購入する予定です。

結婚。

わたしの結婚生活は今、始まったばかりです。

結婚は、交際とは違い、お互いの親や親せき、友達、仕事など、いろいろなものが関わってきます。

それを今、少しずつ実感しています。

なんでも話し合って二人で決める。
住まいも生活も。
そして春には結婚式もすることになりました。

旦那さんになった人は、結構バカみたいなこともやって、内心ちょっと引きますがわたしだけに見せてくれていることなんだなあ、と思ってほほえましく流しています。

わたしも今までに誰にも見せたことのなかった面を、旦那さんにみせるんだろうな。

これからです。

すべてこれから。
でも頑張ります
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

結婚できました。

2007-11-24 19:10:39 | 結婚できました編
先日、彼の本籍地がある役所に、ふたりで婚姻届を提出しました。

事前に彼が役所の人に見てもらって、ぬかりはありません

9年前、初めて彼に会った日。

それが結婚記念日にしようと決めていた日でした。
この日にこだわっていたので、とにかくちゃんと提出できるように準備しておきました。

ふたり揃って提出し、見上げた銀杏の黄色と、秋晴れの青い空を、わたしは一生忘れません。

7月に彼から電話があって、8月に再会し、9月に両親に紹介し、11月に結納し、結婚することができました。

スピード婚だったなあ

こんなことが、自分の身に起こるなんて、まったく思ってもいなかった。
小説やドラマみたいな話で、まさか自分がこんな風に結婚するなんて思いもしなかった。

本人確認のために免許証が必要で、車においてきてしまって取りに戻っていた彼は、軽く落ち込んでいましたが
「ふたりで一緒に提出したかったのに」

でも「かっこ悪い」とか「頼りない」なんて思いません。

そういうところもすべて受け入れ、愛しく感じます。

人に対して、こんな気持ちになれるなんて。
自分が結婚する旦那さんが、今までで一番好きだった、この彼だなんて。

今でもとても不思議な気持ちです。

頑張って生きてきたら、本当にいいことってあるんだなあって思います

指輪をダイヤモンドのエンゲージリングから、プラチナの結婚指輪にかえました。

これでわたしも人の妻です。



さて。
昨年から、思えばいろいろな人とデートをしてきましたが、ついに好きな人と結婚することができました。
本当にうれしいです

結婚してもこれで終わりではありませんので、大変なこともたくさんあると思います。
でも苦しみはふたりで半分ずつ、喜びは倍になるパートナーを見つけることが出来たので、話し合って投げずに、努力する心を忘れないでやっていこうと思います。

結婚して得た心の平安。
結婚っていいものですね。

「リツコの結婚できるかな?」は、わたくしリツコの結婚をもって終了になります。
つたない文章を読んでいただいた皆様、ありがとうございました。
皆様にも幸福が訪れますように、お祈りしています。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする