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茶道と仕事力~千利休とスティーブ・ジョブズに魅せられて

茶の湯の心と茶道の基本、出会った言葉やその日の出来事から、気付いた事をつづります

プーさんの鼻

2010-02-16 00:26:47 | 言葉
『生きるとは手をのばすこと 幼子の指がプーさんの鼻をつかめり』 俵万智

先日脳科学の話で、日立製作所の小泉英明フェローの講演を聞きました。
その中で紹介された歌でした。
人の脳はアルゴリズム獲得装置であり、アウトプットされた情報からフィードバックをしてさらに考えることができる。

指でつまんだプーさんの鼻が
  柔らかいのか固いのか、温かいのか冷たいのか、キューとでも音がしたのかしないのか
幼児のころから学習して行くことが生きるということだ、と紹介されました。

プーさんを遠くから眺めて、
「鼻に蜂がいた方がいい」 と、ただボヤいていてるだけの大人では、
良い創造はできないということね と、勝手な解釈して納得しております。

萬家太平春

2010-02-15 09:25:18 | 言葉

なにか良い床軸はないかと探しており、

「萬家太平春」 ばんかたいへいのはる という言葉を知りました。

 どこの家にも、誰にでも、平和で穏やかな春が訪れるという意味です。

とても心和む言葉だと思いました。
その一方で、誰にでも平等に訪れる春について、その訪れをキャッチする感度が乏しいと、春の訪れすら気がつかなくなってしまうのではないかと、ちょっと心配になりました。

誰でもいつでも、春を感じられる。そんな穏やかな気持ちで毎日を過ごしたいものだと、思います。

小さな変化を捕えられる人のみが、ビジネスチャンスを掴めるというのが原則だとしたら、誰でもいつでも春の訪れをキャッチできる感受性を持ち合わせていたら
ビジネス上の競争力はなくなってしまうのでしょうか?

より研ぎ澄まされた感受性を持ち合わせていたいものです。


お茶のいただき方

2010-02-14 23:21:40 | お茶のはなし
茶道って、お茶を飲むだけのときでも何回も挨拶して茶碗をぐるぐる回して、
どうして面倒なルールがあるの?

そんな質問にお答えしました。

 千利休も「茶は渇を医するに止まる」と言っているように、お茶とはただ渇き
をとり除くためのもの飲料です。ただ、“この渇きをとり除く”ために、現代語で
言えば、癒しや禅の心理効果などのある種のパワーも含んだ形でもてなされるの
が茶の湯かもしれません。お客様はそれを礼を持って受けることになります。

ということで、お茶のいただき方の復習です。

 正客はにじり出て茶碗をとりに行き自席にもどったら、しっかり自分の席に着い
たところで、茶碗を縁内の次客との間に右手で置いて「お先に」と両手(指先)
を膝前の畳に着けて挨拶をして下さい(これは次の人に対する配慮の挨拶)。
 次客が会釈を返したのを確認してから、右手で縁内膝前に茶碗を置き両手を畳に
着けて、亭主に向かって「お手前頂戴いたします」と挨拶をして下さい(これは亭
主に対する挨拶)。
 右手で茶碗を持ち上げ、左手の掌に乗せ、右手を茶碗に添え直してから、おしい
ただくくようにお茶に一礼をして下さい(これは、“いただきます”の挨拶)。
 右手で茶碗を時計回りに軽く(45度前後を)2回動かし、茶碗の正面を左に外して
下さい(亭主のお茶碗の正面をよけることで、亭主に対して謙って敬意を表するた
め)(時計回りは、右利きの人がやりやすい方向のため。水道の蛇口も同じ時計回り)。
 お茶は良く味わって全部飲みきります。最後の一口は音をたててすい切ります。
茶碗を左手に乗せたまま、自分の口をつけた部分を右手の親指と人差し指で挟む様に
して飲み跡を軽く拭いて下さい(エチケット)。拭いた指は懐紙などで拭って下さい。
 右手で茶碗を反時計回りに2回まわして正面を元に戻します(お茶碗を正面から
拝見するため。右利きだとやりにくいから3回になってもよい)。
 そして縁外に茶碗を置き茶碗を拝見します。

お茶をいただくだけで3回の挨拶と2回のお茶碗を回す場面がありあました。
このように礼を尽くして挨拶をしています。昔は当たり前のことだったのかもしれませんね。

職場での挨拶は、心をこめてやり取りされてますか?

「わかること」と「できること」は違う

2010-02-14 01:09:05 | 言葉
某学習塾の説明会にで聞いてきました。

「わかることとできることは違う」よく聞く言葉です。

学習塾的には、
「わかること」だけでなく、それを「できること」に変えていくことの難しさを認識させ
できるようにすることこ学習なのだ!
と言いたい事は十分理解しました。

今、自分が人に物を教える立場になったとき、
さらに加えて、「人に伝えること」はもっと違う。
本当に難しいことに改めて気づかされています。

茶の湯のこころと茶道の基本を伝えていくことを通して、自分に知識がないことがよりよくわかってきました。

「わかることとできることは違う」
「他人に教えて初めて、自分のものとなる」

よく聞くフレーズですが、ときどき反芻すべき言葉のひとつと思いました。





畳の縁(へり)のはなし

2010-02-12 23:16:26 | お茶のはなし
なぜ、畳の縁は踏んではいけないの? そんな質問に答えます

  茶道は安土桃山時代に千利休によって文化として大成されましたが、日本古来の常識的な礼儀の立ち居振る舞いが基本になっています。お辞儀にしても同様で、日本古来の常識を起源とした立ち居振る舞いは、剣道や柔道などの武道にも共通するものです。
 ”畳の縁は踏まない”は昔からの躾でしょうか。失礼のないように畳の縁を出来るだけ踏まないように気をつけて。 自分の歩幅が自然になじんでくれば、畳の縁を踏むことなく歩けます。

 裏千家では茶室に入る時は右足から、出る時は左足からです。半畳を2歩で歩くことになります。inとoutが交錯するところは三歩使うと右左の順を入れ替えることが出来ます。 客として茶室に入る時は、膝前に扇子を置いて席中の様子をうかがい、右足から立ち上がって歩いて席入りします。(広間の場合、小間の時はまた別の機会に) 最初に床の間の前に座って掛け軸、花、花入れ、を拝見します。そこから左足から立って下がってから、右足からお手前をする場所に進みすわり、炉の炭などを拝見します。それから左足から立って下がってから、右足で進んで自分の席に座ります。文字にするとかなりややこしいですが、茶室に対してinの動作か、 outの動作か、in・outを入れ替える場所かで足さばきが決定されます。

 では茶室での畳の縁に意味はあるのかというと、茶席では亭主のフィールドと客人のフィールドの境界線の意味があります。お菓子はどこに出されるかというと亭主のフィールドである畳の縁外(へりそと)ですね。それを懐紙にとるのは、客人のフィールドの縁内(へりうち)でします。お茶を頂戴する時は、縁内に置きお隣に「お先に」の挨拶をし、縁内の自分の膝前に置き「お手前頂戴いたします」と亭主に挨拶をする。いただき終わった茶碗は亭主のものですので、亭主のフィールドである縁外に置き拝見する。こんな具合です。  

畳の縁は、亭主と客人の相互が思いやって調和する時の和室の中での小さな約束ごとかもしれません。