理系お兄さんのぼやき日記

つれづれなるままに日暮らしすずりにむかひてこころにうつりゆくよしなしごとを…意外に覚えているもんだなw

備えあれど・・・

2011-03-20 22:09:19 | インポート
<script src="http://jss.afpbb.com/mbsv/sdata/medianewsdelivery/asahi/livedoor/js/euc/60058000/748dac6ad19f4ccfd40a6cbc73f23186_d0bb7c61d803363364437210c941ec80.js" type="text/javascript" charset="EUC-JP"></script>今回の地震そして津波でお兄さんの友達や後輩の実家も被災しました。三陸に故郷をもつ、今の職場の後輩の実家は幸運にも高台にあったため津波の被害は受けずに済んだらしい。お兄さんが車で北海道へ帰省するときに便乗させて彼の実家へ行ったことがあるんだけど、三陸ってのはほんとのどかで良いところなんだよね。いちご煮とかも涙がでるほど美味い!

けど、彼に聞いたところ、一緒に通った国道45号線沿線は壊滅的な被害・・・途中の休憩でアイスを食べた道の駅近辺も跡形もないらしい・・・道の駅のバス停で見かけた中高生たちは逃げ切れたのだろうか・・・あのときの「日常のくらし」というものが失われてしまった。そんなことを考えるととても切なくなるね・・・

三陸方面は学生のときも何度か行ったことがある。当時は今みたいに高速1000円じゃないし(関東から青森への正規料金は1万円!)金はないけど時間だけは余っていたからフェリーで帰省のときは八戸まで三日くらいかけてのんびりと走ったものだ。仙台から海側へ国道45号線が分岐してて松島に寄ったり、宮古でご飯食べたりと楽しかったなぁ。

そのとき気づいたのがリンク記事の「防潮堤」それこそ鉄壁の様相で、それが記事の宮古だけじゃなく三陸の各港に整備されてた。お兄さんの実家も北海道太平洋沿いで過去にも津波が来なかったわけじゃないんだけど、これほどの防潮堤ってのは見たことが無くてビックリしたもんだ。それくらい大きい。「やっぱり入り組んだリアス式海岸はこれくらいないとダメなんだろうなぁ」とは思ってたけど、結局はそれを乗り越えてしまうほどの津波だったというわけだ・・・

 だからといって、この防潮堤が役立たずだったかというと、そうではないと思う。実際過去に津波を防いで住民を守ったんだし、今回だって完全には防げなかったけど、かなりの減勢効果があったはず。もしなければ、より高いところへ水が押し寄せて、より多くの人命が失われていただろう。だから、たとえ半世紀・50億円をかけてでも「造る」と決断して努力し続けたのは決して間違いではなかったと思う。

 翻って「400年に一度の災害に備えるのは意味があるんですかぁ?」とのたまったグラビア大臣・・・防災ってのはそういうカネ勘定の問題じゃないんだよ。実際に使わなけりゃそれでよし、かといって民間や地方自治体だけでは限界がある。そこをバックアップするのが国の仕事なのであって、高速を半端に安くしたり海外の「養子50人」に手当てを出したりするほうが「意味があるんですかぁ?」と言いたいね。

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