木村剛って知ってますか?
日銀に努めた後、営業経験ゼロなのに独立し、KPMGという外資の
資本を得て日本屈指の金融専門コンサルタントを成功させている人です。
前に竹中大臣の懐刀としてマスコミにも登場していたので顔を知っている
人はいるかもしれませんね。
最近では、中小企業専門の日本興業銀行を設立したり、雑誌「フィナン
シャルジャパン」を創刊したり、という活動でも有名です。
↑高竹会頭のインタビューが掲載されたので京都会議で配られてました。
この人のブログをチェックしてるのですが、初めてJCが登場したので
引用してご紹介します。
ちょっと長いけど読んでみて下さい。
「青年会議所」と聞いて、何をしている組織なのか、ピンとくる人は決して
多くあるまい。かく言う私も3年前まではそうだった。紋切り型に申し上げれば、
20歳から40歳の青年経済人約43000人によって日本全国739の地域で
構成されている組織で、「明るい豊かな社会」の実現を目指して努力しているのが
青年会議所だ。各地の青年会議所は、日本青年会議所の下に集約されているわけだが、
その日本青年会議所は国際青年会議所の一員になっており、ちなみに、米国第42代
大統領ビル・クリントン、第7代国連事務総長コフィー・アナン、フランス第5代
首相ジャック・シラクも青年会議所のOB。わが国でも、経済財政諮問会議の委員を
務める牛尾治朗氏や麻生太郎総務大臣が青年会議所のOBとして知られている。
そもそもの由来を辿れば、1949年に「日本はこの先どうなるのだ!?」という
今以上に混沌とした戦後の時代背景の中、全国各地で志ある若者たちが立ち上がった
ことが発端だという。元々は国家の将来を憂える「熱い」組織だったわけだ。
とはいえ、その元々熱い組織だったはずの青年会議所の存在感はそれほど強くない。
改革を主導して世の中を動かしてやろうという情熱的なエネルギーを発散していない
からだ。きれいごとの政策勉強会に終わっている感じが強い。たとえば、本来であれば、
まさに20~40歳にとっての切実な政策課題であるはずの公的年金問題に関しても、
日本青年会議所からの強烈なメッセージは世の中に聞こえてこなかった。
1949年に産まれた「日本はこの先どうなるのだ!?」という咆哮がむなしい余韻と
化してしまいそうな雰囲気が立ち込めたとき、この閉塞感をリアルな行動によってぶち
破ろうとする男が現れた――東京青年会議所の理事長を務めた平将明である。
いま私は、日本振興銀行という中小企業融資に特化した銀行の会長を務めているが、
この銀行は「平将明」という男が「中小企業に対する貸し渋りを打破する具体的な行動
を起こすべきだ」と狼煙を上げたことを切っ掛けに誕生している。そして、この日本振
興銀行が誕生したことを切っ掛けに、「中小企業に資金需要はない」と言い張っていた
メガバンクは最近貸出スタンスを変えて、中小企業融資に邁進するようになってきた。
誤解を恐れずに言えば、平将明という一人の男の行動がわが国におけるメガバンクの行
動を変貌させてしまったのだ。それほどまでに意を決した男の行動というものは尊い。
聞けば、「平将明」という名は「平将門」から付けられたという。平将門は935年
伯父の国香を滅ぼし、939年常陸の国府を焼き払って、当時の絶対権力である「京」
の朝廷に公然と反抗するに至った。そして、関東一円に勢力を広げ、自ら新皇と名乗る
までになる――いわゆる平将門の乱である。将門は志半ばで討ち死にするものの、
結果的に100年後に朝廷支配の世は武士の時代に変わっていく。
その平将明が日本の青年会議所を変えたいと言う。1949年に誕生した時の咆哮を
再び取り戻したいのだという。「おとぎの世界」を浮遊するのではなく、現実を直視
するリアリズムで、世の中を変えるエンジンに日本中の青年会議所を変革したいと
吠えている。改革は常に茨の道である。抵抗と反発と横槍の渦の中で、しぶとくしたたか
に、心を逞しくして突き進んでいかなければ実現はない。賞賛する人など一握り。
行く手には、誹謗中傷の豪雨や揚足取りの砂嵐も待っている。しかし、それでも突き
進まなければ、世の中は変わらない。評論家が世の中を変えた例はない。世の中を変えた
のは、いずこの時代も行動する阿呆たちである。いま日本は、まさに「日本はこの先
どうなるのだ!?」という状態にある。平将明は祖先同様討ち死にするかもしれないが、
その行動は必ず後世に影響を及ぼすだろう。
私はこういう男気に弱い。一も二もなく応援したくなってしまう。既存勢力におもねる
ことなく、立ち上がった一人の男にエールを送りたい。そして、討ち死にすることなく、
世の中を変えてもらいたい――こういう阿呆たちがドンドンと輩出してくるのであれば、
日本の将来も捨てたものではない。
日銀に努めた後、営業経験ゼロなのに独立し、KPMGという外資の
資本を得て日本屈指の金融専門コンサルタントを成功させている人です。
前に竹中大臣の懐刀としてマスコミにも登場していたので顔を知っている
人はいるかもしれませんね。
最近では、中小企業専門の日本興業銀行を設立したり、雑誌「フィナン
シャルジャパン」を創刊したり、という活動でも有名です。
↑高竹会頭のインタビューが掲載されたので京都会議で配られてました。
この人のブログをチェックしてるのですが、初めてJCが登場したので
引用してご紹介します。
ちょっと長いけど読んでみて下さい。
「青年会議所」と聞いて、何をしている組織なのか、ピンとくる人は決して
多くあるまい。かく言う私も3年前まではそうだった。紋切り型に申し上げれば、
20歳から40歳の青年経済人約43000人によって日本全国739の地域で
構成されている組織で、「明るい豊かな社会」の実現を目指して努力しているのが
青年会議所だ。各地の青年会議所は、日本青年会議所の下に集約されているわけだが、
その日本青年会議所は国際青年会議所の一員になっており、ちなみに、米国第42代
大統領ビル・クリントン、第7代国連事務総長コフィー・アナン、フランス第5代
首相ジャック・シラクも青年会議所のOB。わが国でも、経済財政諮問会議の委員を
務める牛尾治朗氏や麻生太郎総務大臣が青年会議所のOBとして知られている。
そもそもの由来を辿れば、1949年に「日本はこの先どうなるのだ!?」という
今以上に混沌とした戦後の時代背景の中、全国各地で志ある若者たちが立ち上がった
ことが発端だという。元々は国家の将来を憂える「熱い」組織だったわけだ。
とはいえ、その元々熱い組織だったはずの青年会議所の存在感はそれほど強くない。
改革を主導して世の中を動かしてやろうという情熱的なエネルギーを発散していない
からだ。きれいごとの政策勉強会に終わっている感じが強い。たとえば、本来であれば、
まさに20~40歳にとっての切実な政策課題であるはずの公的年金問題に関しても、
日本青年会議所からの強烈なメッセージは世の中に聞こえてこなかった。
1949年に産まれた「日本はこの先どうなるのだ!?」という咆哮がむなしい余韻と
化してしまいそうな雰囲気が立ち込めたとき、この閉塞感をリアルな行動によってぶち
破ろうとする男が現れた――東京青年会議所の理事長を務めた平将明である。
いま私は、日本振興銀行という中小企業融資に特化した銀行の会長を務めているが、
この銀行は「平将明」という男が「中小企業に対する貸し渋りを打破する具体的な行動
を起こすべきだ」と狼煙を上げたことを切っ掛けに誕生している。そして、この日本振
興銀行が誕生したことを切っ掛けに、「中小企業に資金需要はない」と言い張っていた
メガバンクは最近貸出スタンスを変えて、中小企業融資に邁進するようになってきた。
誤解を恐れずに言えば、平将明という一人の男の行動がわが国におけるメガバンクの行
動を変貌させてしまったのだ。それほどまでに意を決した男の行動というものは尊い。
聞けば、「平将明」という名は「平将門」から付けられたという。平将門は935年
伯父の国香を滅ぼし、939年常陸の国府を焼き払って、当時の絶対権力である「京」
の朝廷に公然と反抗するに至った。そして、関東一円に勢力を広げ、自ら新皇と名乗る
までになる――いわゆる平将門の乱である。将門は志半ばで討ち死にするものの、
結果的に100年後に朝廷支配の世は武士の時代に変わっていく。
その平将明が日本の青年会議所を変えたいと言う。1949年に誕生した時の咆哮を
再び取り戻したいのだという。「おとぎの世界」を浮遊するのではなく、現実を直視
するリアリズムで、世の中を変えるエンジンに日本中の青年会議所を変革したいと
吠えている。改革は常に茨の道である。抵抗と反発と横槍の渦の中で、しぶとくしたたか
に、心を逞しくして突き進んでいかなければ実現はない。賞賛する人など一握り。
行く手には、誹謗中傷の豪雨や揚足取りの砂嵐も待っている。しかし、それでも突き
進まなければ、世の中は変わらない。評論家が世の中を変えた例はない。世の中を変えた
のは、いずこの時代も行動する阿呆たちである。いま日本は、まさに「日本はこの先
どうなるのだ!?」という状態にある。平将明は祖先同様討ち死にするかもしれないが、
その行動は必ず後世に影響を及ぼすだろう。
私はこういう男気に弱い。一も二もなく応援したくなってしまう。既存勢力におもねる
ことなく、立ち上がった一人の男にエールを送りたい。そして、討ち死にすることなく、
世の中を変えてもらいたい――こういう阿呆たちがドンドンと輩出してくるのであれば、
日本の将来も捨てたものではない。